395LAP2025.09.16
「競争女子、KYOJO CUPの隆盛の歓喜と苦悩」
これほどまでKYOJO CUPが盛り上がるとは誰が予想したでしょう。女性だけのレースがあっても不思議ではありませんし、女性のF1ドライバーを養成するシステムも発足しました。そんな時代に日本のKYOJO CUPが始まり、ついに海外からも注目されるまでに成長しました。そのKYOJO CUPに、ミハラレーシングと共に戦う木下隆之が、喜びと苦労を語ります。
女性スポーツの盛り上がり
最近の女性スポーツの盛り上がりには目を見張るものがありますね。
たとえばテニス。四大大会――グランドスラム――では男女が同じ舞台に立ち、観客は同じチケットで英雄と女神の戦いを目撃する。強烈なサーブが炸裂し、繊細なドロップショットが相手を翻弄する。男子の迫力と女子の華やかさ、それぞれが輝きを競い合うその舞台に、人は自然と惹きつけられるのです。
フィギュアスケートもまた、女性人気が抜きん出た競技ですね。氷上に描かれる軌跡には、点数以上に物語があります。美が基本ですから男性の競技よりも人気があるのも道理かもしれません。
そして女子サッカー。男子の代表チームにも注目が集まりますが、ワールドカップの成功によって、一気に世界地図の上に新しい色を塗り変えたことがきっかけで人気を得ています。あの小柄な体で世界の強豪をなぎ倒し、世界一の座を奪ったとき、日本中が涙したことを思い出しますね。
近いところでは、女子の日本バレーチームが、先日の世界選手権にて15年ぶりにベスト4に進出しました。地上波で観戦していましたが、手に汗にぎり、年甲斐もなく大声で声援してしまいましたね。キュートな女性が懸命にボールを追う姿は感動を誘います。
モータースポーツも女子の時代を迎えている
モータースポーツ界も、その流れの真っ只中にあります。女性だけが輝ける舞台があるのです。その名は「KYOJO CUP」。2017年に誕生した、日本初の女性限定レースがそれです。競争女子――つまり“競女”を略した呼び名なのです。
ル・マン24時間優勝など、トヨタの名ドライバーとして大活躍した関谷正徳氏が発起人となり立ち上げたシリーズです。氏のリーダーシップと魅力的なアイデアによって、世界から注目される女性のレースに成長しました。
従来、モータースポーツは男の牙城とされてきました。そもそも筋力が必要で、耐久力も試される競技ですから男性が有利です。にもかかわらず、男女のクラス分けは設けられていませんでした。F1もWRCも、走るのはすべて同じ土俵です。その中で女性は「挑戦者」であり続け、主役の座を与えられることはなかったのです。
ただ、例外はあります。
ラリー界のミシェル・ムートンは、火花を散らすターボのように女性ドライバーの道を切り開いた存在です。1980年代、WRCで男性たちを相手に勝利を重ね、「女だから無理」という常識を吹き飛ばしました。その姿は、勇敢さと優雅さを併せ持つ女神のようでしたね。
インディカーの舞台で活躍したダニカ・パトリックも忘れることのできない存在です。アメリカのオーバルトラックに轟くエキゾーストノートの中、彼女は女性初のインディー500トップ3入りを果たしました。歴史に名を刻んだのです。
モビリティリゾートもてぎで開催されたインディーを観戦する機会に恵まれましたが、その時のダニカの走りは鬼神のようでした。彼女たちの活躍は単なる勝敗を超え、「限界は誰かが決めるものではない」というメッセージを放ち続けました。モータースポーツは、彼女たちによってより自由で、そして少し誇らしい景色を手に入れたのです。
これからは第二のミシェル・ムートン、あるいはダニカ・パトリックが誕生する、その土壌が出来上がりました。女性ドライバーだけがハンドルを握る。KYOJOは、まさに新時代の幕開けなのです。
徹底したイコールコンディション
このKYOJOを支えるマシンは二種類です。
一つは【VITA-01】。ヤリスの1.2リッターエンジンを積んだ軽量シングルシーター。構造はシンプルです。若手ドライバーの登竜門としても知られ、女性がキャリアを積む格好の舞台ですね。
もう一つは【フォーミュラ】。2025年に始まった新カテゴリーで、1.5リッターターボにハイブリッドを組み合わせた、本格的なマシンです。
FIA規格のFIA-F4に限りなく近い仕上がりで、VITA-01の戦闘力とは段違いで、腕力と知力の双方が試されます。VITAで磨いた技量を、さらに研ぎ澄ますための次なるステップといえるでしょう。実際にフォーミュラに乗る20名のドライバーはすべて、VITA-01を経験してからステップアップした強者ばかりです。
興味深いのは、オーガナイザーがすべてを管理していることです。チームはマシンを購入することはできず、レンタルの形式です。オーガナイザーがマシンを整備し性能を均一化してサーキットに持ち込みます。レース後はまたオーガナイザーのガレージに戻されます。レースウィーク以外は、マシンに触れることすら許されません。
レース中のセッティングは、タイヤの内圧調整とスタビライザーの微調整に限定されています。徹底したイコールコンディションが保たれています。つまり、腕一本で勝負する世界なのです。
スポーティングディレクターの苦悩
このKYOJO CUPに、福岡県・北九州のミハラレーシングは二台のマシンを送り出しています。そして何を隠そう、僕がそのチームでスポーティングディレクターを務めているのです。肩書きは大仰ですが、実態は監督もコーチも雑用も兼務する、いわば「ナンデモ屋」。これが実に骨身に染みる仕事なのです。
ドライバーは、VITA-01が経験豊富な#32保井舞。フォーミュラはレーシングカートの実績十分な#32金本きれい。ミハラレーシングは二人の女性ドライバーを擁しています。
この二人を預かり、一流に育てる大役を仰せつかったのですが、これがなかなか大変なのです。僕はまだ現役ですから、引退後にコーチを担当するよりも、二人の気持ちがよくわかる。エンジニア上がりでも、事務方上がりでもなく、ましてやメカニック上がりでもない現役ドライバーであることが僕の武器なのです。
もっとも、気苦労は絶えません。まず、このマシンをドライブしたことがないこと、これが厄介です。
徹底したイコールコンディションを保つために、例えば実際にステアリングを握り戦うドライバーとて、愛用のマシンでの練習は禁止されています。オーガナイザーが別に準備する練習機でのトレーニングに限定されるのです。それほど厳しく管理されているのですから、実際にレースに参戦しない僕がドライブすることは叶いません。ですから、このマシンがどんな動きをするのかが理解できないままのレクチャーになるのです。
過去に僕は、メカニックや事務方の頓珍漢なアドバイスを鼻で笑っていました。「乗ったこともないのによく言うわ」です。もっとも、現役ドライバーだからこそ、実際にドライブせずともアドバイスできることも少なくなく、その点ではこれまでの経験をよりどころに対応しているわけです。
そもそもスポーティングディレクターとは、ドライバーの教育やレース戦略だけではなく、もちろんそれも重要なミッションですが、チームの総合プロデュースを統括するのも業務です。
わかりやすくプロ野球に例えれば、球団のゼネラルマネージャー(GM)に当たるかもしれません。チームのブランディングや方針を決定し、監督やコーチ、ドライバー発掘を含めた人選など、経営運営を統括する立場なのです。
レース中の采配を振るう監督とは異なり、GMはチームの戦略的な部分に深く関与するのです。もちろんチームのオーナーは経営権を握るチームの代表取締役社長であり会長です。彼らの考えを尊重しながら、チームを最良の形に整えるのが最大のミッションなのです。
ですから、本来、監督業やコーチ業は、スポーティングディレクターの業務には含まれないのですが、レーシングチームの所帯では兼務する場合が少なくありません。むしろ、諸々の雑用も含めてナンデモ屋と言えるかもしれませんね。
女性だからこその気苦労
二人の女性ドライバーを送り出す。聞こえは華やかですが、現実は重労働です。
まず資金。スポンサー探しはいつだって最大の壁で、二人分ともなればその高さはなかなかのものです。レースというのは結果だけでなく物語も求められる。速さ、勝敗、そして華やかさ。そのすべてをどう演出するかが、チームの存亡を握っております。
木下隆之個人もレース活動のための資金に困窮しているのに、さらにミハラレーシングの運営にも気を配らなければならないのですから、日々混乱しきりなのです。
女性ドライバーを育てることには、心理的な問題も無視できません。同じ環境、同じ条件で走れば、結果の差はより鮮やかに浮かび上がる。肩を並べてピットに戻るふたり。その瞳に宿る喜びと悔しさを、どう調和させるか。友情とライバル心が同居する関係性を、壊さずに導くのは容易ではありません。男性である僕が女性心理を想像するのは簡単ではないのです。
体力的にも過酷です。VITA-01といえども、周回を重ねれば高いGが首を締めつけ、筋肉を苛む。男性なら耐えられても、女性にとっては重い負荷になる。その苦労を私は想像で補うしかなく、申し訳なさと敬意を覚えるのです。
走るのは本人だから…
ともあれ僕は、基本的には放任主義で対応しています。尋ねられれば答え、頼られれば知恵を授ける。しかし学ぶ気がない者に、こちらから説いても意味はない。レースの世界では、自ら渇望することが最も大切だからです。
そもそも彼女達はすでに立派な成人なのです。レース界ではまだまだ若いと言えるかもしれませんが、社会的には大人です。その大人に、「宿題しろ」と鉛筆を握らせるのもどうかと思いますよね。自らを奮い立たせるのも才能の一つですから。
冷酷のように感じられるかもしれませんが、大人である彼女たちに、まるで小学生に宿題をさせるように鉛筆を持たせるのもどこか違うのではないかと思っています。希望の学校に進学したいと強く希望しているのであれば、自分で進んで参考書を開きますよね。そうではないのなら、それはそれで仕方ありません。最終的には本人のことですから・・・。
それでも勝たせたい。だから僕は「抜く楽しさ」を教えようとしています。速さだけを叱咤しても意味はない。彼女たちは誰より速く走りたいと願っているのですから。ならば、バトルでの立ち回りを伝え、抜いたときの快感を覚えさせる。あるいは抜かれまいと踏ん張る痛快さを体に刻ませる。それが本当のレースの喜びなのです。ふたたび小学生に例えますが、「勉強するって楽しいよ」ですね。
「もっと速く走れないのかよ」
レース界にはこう口にする男性が多く目につきます。どこか女性に対してバイアスがかかっているのでしょう。少なくともKYOJOの世界まで駆け上ってきたドライバーですから、速く走りたくないわけがない。ですが、頭ごなし怒鳴りつけるチームスタッフも少なくないようです。
「なんでタイムが出ないんだよ💢」
ドライバーにそう言ったところで意味がない。もっとも速く走りたがっているのは彼女たちのほうなのですから。速く走る技をそっと伝えあげればいいのだと考えています。
さらに言うならば、レースは順位を競うスポーツです。極論ですが、速く走るのは勝つための手段のひとつであり、それ以下でもそれ以上でもない。抜かれずに抜ければ、速く走れなくても勝てるのです。
ジムカーナやダートライアルはタイム競技ですから、速く走ることが正義です。ですがレースの性質は別です。そこを多くの関係者が履き違えている。もちろん速く走れるのならばとっても有利ですけどね。
僕は、”抜く快感”と”抜かれない痛快さ”を”主に”伝えるようにしています。もちろん、速く走る秘策も伝えていますけどね…www。
試練は突然に…
そんな日々の中、私自身に試練が訪れました。VITA-01なら私もドライブ可能。そこに目をつけたチームオーナーが、耐久レースへの参戦を企て、私と保井舞を組ませるというのです。
これは困った。監督がドライバーと同じマシンに乗れば、腕の差はあからさまになる。もし惨敗すれば、監督としての威厳は崩れ去るでしょうwww。さらに金本きれいも参戦するとなれば、逃げ道はない。まさに監督件コーチとしての資質試験、敗れれば発言権を失う未来が待っているのです。
ああ、スポーティングディレクターを引き受けたことを、今さらながら後悔しているのですwww。もっとも、この緊張感を楽しんでいる自分もいる。人間とは実に勝手なものですね。
KYOJO CUPは女性の挑戦と成長の舞台。苦労は尽きぬが、歓喜もまた大きい。走るたびに限界を超え、未来を切り拓く――その姿がモータースポーツをより自由で鮮やかなものにしているのです。
キノシタの近況
僕はニュルブルクリンク24時間を最後に、今年のニュル詣を中断していますが、それでもいまだにNLS(GT4クラス)のランキングではトップにいるそうです。ポイントで抜かれる前に、再挑戦しようかと思っています。