レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

398LAP2025.11.06

「レースは時間とともにある」

夜のサーキットには、独特の静けさがあります。照明に浮かび上がるマシンの影、遠くのピットで響く工具の音。そんな時間を愛してきた木下隆之の耳に、ある日ひとつの噂が届きました。「レースを短くする」という話です。便利な時代に、時間と向き合うスポーツはどこへ向かうのでしょうか――。

レースと時間と、僕の小さな胸騒ぎ

実に由々しき噂話を耳にしたのです。レースの短縮化が検討されている――そんな風聞が、僕の耳にひゅるりと飛び込んできました。

もちろん、公式発表でも何でもありません。どこかの誰かが、ふとした拍子に「距離を短くしてみたら?」と呟いただけなのかもしれません。しかし、そういう何気ない一言が、後になってみればとんでもない変革の号砲だった、という話は世の中に山ほどあります。

レースには大きく分けて二種類あります。スプリントと耐久です。

スプリントは短期決戦、いわば陸上競技の100メートル走。ピストルの音とともに、魂までもが一歩前に踏み出すような、あの刹那の勝負。対して耐久は、フルマラソンや50km競歩のような長丁場。

サーキットを10周そこそこで終わるスプリントをさらに短くするなど、あまりに非現実的です。おそらく、噂が指しているのは耐久レースか、それに近い種のレースなのでしょう。

世界には数々の名耐久レースがあります。

「ル・マン24時間レース(フランス)」「デイトナ24時間レース(アメリカ)」「スパ・フランコルシャン24時間レース(ベルギー)」、そして僕やTOYOTA GAZOO Racingが積極的に挑み続けている「ニュルブルクリンク24時間レース(ドイツ)」も、その伝統と格式においては並ぶものがありません。日本でも「富士24時間レース」が近年話題を集めていますし、アメリカの「サンダーヒル25時間レース」や、タイの「IDEMITSU 1500 SUPER ENDURANCE」のような風変わりな25時間レースもあります。僕も何度か出場しましたが、あの過酷さと、夜明けのピットのあの空気は、ちょっと他では味わえません。耐久というのは、長いからこそいい。長いからこそ、心が震えるのです。

ですから、短縮化という話が出ること自体が、僕には少し不思議に思えました。スプリントはすでに凝縮された魅力を持っています。耐久は長いからこそ意味がある。では、どこを短くするというのでしょう。おそらくその矛先は、「セミ耐久」と呼ばれる、2〜3時間程度で開催されるレースに向かっているのではないかと、僕は考えます。
スプリントには刹那の華があり、耐久には悠久のドラマがある。ですがセミ耐久は、正直なところ中途半端だという声があるのです。二時間というのは、人間にとっても、マシンにとっても「まだまだこれから」という時間でありながら、レースとしては一区切りがついてしまう。そこに「興行としてのテンポ」を求める声が出てくるのも、わからなくはない話です。

野球もレースも、時間との闘い

思い出されるのは、つい先日の出来事です。10月2日に閉幕した国民スポーツ大会の高校野球では、7イニング制が採用されました。酷暑対策や投手の肩への負担といった事情からの措置だそうですが、その後の議論は実に賑やかなものでした。

球児たちにとって、7回から先の2イニングは、肉体的にも精神的にも踏ん張りどころです。そこからの大逆転劇が、高校野球の醍醐味だという人も少なくありません。7イニング制では、そのドラマがあっけなく終わってしまう。観る側としても、なんだか消化不良のままスタンドを後にするような気持ちになるのでしょう。

さらに、出場機会の減少という問題もあります。9イニングなら先発投手が中盤でリリーフにマウンドを譲る場面も多くありますが、7イニングではエースが完投する可能性が高まります。

野手も同様で、スタメンでフル出場しても打席がほとんど回ってこない試合が少なくありませんでした。1イニングでも多く投げ、1打席でも多く立つことで成長していく若者たちにとって、それは大きな損失です。

そして何より、エンターテインメントとしての厚みが失われます。短くなれば点数も少なくなり、最小得点で逃げ切る小粒な試合が増える。華々しい乱打戦や、スタンドが沸きに沸く延長戦の興奮は、減ってしまうでしょう。つまり、時間を削るというのは、単に「短くなる」という以上の影響を持っているのです。

いまとなっては極端な話かもしれませんが、かつて全国高等学校野球選手権大会、通称「夏の甲子園」では、18回までの死闘が伝説になっています。石川県代表の星稜高校と和歌山県の箕島高校が、延長18回まで戦っています。
2006年の決勝戦では、早稲田実業高校の斎藤佑樹と、駒大苫小牧高校の田中将大が投げ合い、延長15回引き分け、翌日に再試合が行われ、早稲田実業が初優勝を飾っています。
そういった死闘は、試合が長いから伝説になったわけです。確かに選手の身体的な負担を考えれば放ってはおけない案件ではありますが、興奮を誘ったことには間違いありません。のちに二人はプロ野球選手となりました。あの死闘があったからこそ彼らがスター選手となり、球界に貢献したのだと思えます。

人間の集中力と、興行の都合

実はスポーツ短縮化の裏には、明確なデータがあると思います。人間が集中できる時間は、およそ90分前後だというのです。確かに、スマートフォンとSNSが支配する現代社会において、長時間同じものを見続けるというのは、なかなかに贅沢な行為になりつつあります。
僕自身、飛行機移動の合間にレースの録画を観ていても、2時間を超えると集中力が落ちることがあります。観戦する側にとっても、「ダラダラと長いレース」は敬遠される傾向にあるのかもしれません。興行主としては、その時間をぎゅっと詰め込み、テンポよく見せたいという思惑があるのも理解できます。

しかし、そこに「レース」というものの本質が潜んでいるのではないでしょうか。レースとは、ただ速さを競うだけではなく、観る者の時間を奪い、選手と観客が共にその時間を「生きる」ものだと僕は思っています。90分で終わってしまうレースには、夜明けのピットの寒さも、夜中に突然降る雨も、明け方に仲間の背中を叩き合うあの感情も、存在しません。

余談になりますが、映画「国宝」は、映画としては決して短くない2時間55分という上映時間でした。封切り前は「長すぎる」と心配されていましたが、結果的には観客動員は1,000万人以上といいますから、大ヒットです。興行収入も150億円を突破したそうです。配給元の東宝の株価を上げた原因だともアナリストは囁いています。

つまり、長さではなく内容ですよね。レース内容が面白ければ、2時間でも3時間でも観客は楽しんでくださる。そう思っています。

もちろん、経済的な事情もあります。長時間のレースは人件費、設備費、照明、給油、メディア対応など、あらゆる面でコストが膨らみます。短縮化すれば、放送枠も調整しやすく、スポンサーにもメリットがあるでしょう。興行としての効率を考えれば、短いに越したことはないという理屈もわかります。

2年前、主催者が、ニュルブルクリンク短縮化を宣言、ノルドシュライフェ(北コース)を省略したグランプリコースのみのシリーズ戦を企画したのです。

その理由はコスト面です。ノルドシュライフェは1周20.8kmあります。コーナーポストは170ヶ所以上に達すると言われています。ポストに最低でも2名のオフィシャルを配置すると、とても多くの経費が必要になります。だったらノルドシュライフェを使わなければいいんだ…というわけです。

もちろん、そのシーズンの開幕から数戦、夏になるまでに短縮化の話は消滅してしまいました。参加台数が集まらなかったのです。それも道理で、我々はあの過激なノルドシュライフェに魅せられて挑んでいるわけです。ノルドシュライフェが走れないのだったら、ニュルブルクリンクである必要がありません。主催者が本質を見誤った好例ですね。

時間を削るということ

時間を削るというのは、単に長さを変えることではありません。それは物語の質を変え、関わる人の心のあり方を変えます。レースの短縮化という噂を聞いて、僕が胸騒ぎを覚えたのは、そのことを直感的に感じたからかもしれません。
僕が初めて夜明けのピットに立ったとき、空気はひんやりとしていて、サーキット全体がまるで大きな獣のように息づいていました。疲労と高揚とがないまぜになったあの時間は、単なる競技ではなく、人生そのものに似ていました。レースとは、人とマシン、仲間と時間、すべてが絡み合いながら進んでいく旅路です。そこに“短縮”というハサミを入れるとき、切り落とされるのは、単なるラップ数ではなく、人の心に刻まれる記憶の断片なのです。

スプリントにはスプリントの美学があり、耐久には耐久の矜持があります。その中間をどう扱うかは、僕たちのスポーツがこれからどこへ向かうのかを映す鏡になります。

時間を短くすれば、確かに観やすく、わかりやすくなるかもしれません。でも、それと引き換えに失うものがある。僕はその「見えない何か」を、大切にしたいと思うのです。僕たちがサーキットを走るのは、単に勝つためだけではありません。観る人に、参加する人に、関わるすべての人に「時間を共に生きた」という感覚を残したいからです。
もしも僕らのセミ耐久のレースが長く感じるというのだったら、それは我々の怠慢が原因ですね。それでも我々は、少しでも多くの人達にレースを楽しんでもらい、満足しながら帰宅して欲しいと望んでいます。そのためにさまざまな施策を整えています。

レースは短い方がいい…だなんて寂しいこと言わずに、我々に期待して欲しいと思います。

キノシタの近況

僕の母校になる明治学院大学の経済学部で、今年の秋の講義が始まります。講義内容は「キャリアデザイン」です。モータースポーツを経済学的に紹介するつもりです。