レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

402LAP2025.12.24

「勝者と敗者の残酷物語」

年の瀬になると、どうにも僕は落ち着かなくなります。理由は単純で、「箱根駅伝」が近づいてくるからです。正式名称は「東京箱根往復大学駅伝競走」。1月2日が往路、3日が復路。関東の大学陸上部に所属する若者たちが、青春を燃やし尽くす二日間です。陸上の心得はありませんが、同じ勝負の世界で生きてきた身として、スポーツが背負う光と影を、箱根駅伝を見るたびに思い知らされます。スポーツ選手というのは、栄光と挫折に、文字どおり翻弄される存在なのです。

選ばれる者、消える者

なぜ僕たちは、ここまで箱根駅伝に感情移入してしまうのでしょうか。それはきっと、表舞台に立つまでの“残酷な刹那”を、どこかで知っているからだと思います。

名門校ともなれば、部員は100人近くになります。ですが、箱根を走れるのは、往路5名、復路5名。たったの10人しか経験できないのです。狭き門ゆえに、選ばれた瞬間から、もう濃密なドラマが始まっていますね。

監督がひとりずつ、起用する選手の名前を読み上げる――。あの時間を想像してみてください。声を振るわせながら選手の名を読み上げる監督の心情も察ししますが、自分の名が呼ばれることを信じてただその瞬間を待つ選手の気持ちを想像すると震えます。

名前を呼ばれなかった選手は、静かに一歩引き、心のどこかで、夢が崩れる音を聞くことになります。どれほど努力をしても、ほんのわずかな差で立てない舞台がある。それが現実です。

さらに残酷なのは、名前を呼ばれたからといって、安心できないことです。箱根は冬。気温や風向きひとつで、出走の数時間前に“降格”を告げられることすらあります。両親や親戚が沿道に来ていても、走れないことがある。控室の片隅でうつむく背中を思うと、胸が痛みます。

“ダミー登録”。これがまた、なかなか残酷です。ライバル校との駆け引きのため、走らないと分かっていても名簿に載り、ウォーミングアップまで行う選手がいるそうです。走るふりをして、走らない。言葉にすれば軽いですが、心に残る重さは相当なものです。

それでも彼らは、選ばれた仲間を支えます。給水係や道具係として、チームの勝利を後押しする。その姿を見るたび、こちらはもう、うおんうおんと泣いてしまうのです。

箱根駅伝の残酷さは、レース中にも容赦なく現れます。象徴的なのが、“繰り上げスタート”です。

箱根駅伝では、先頭チームとのタイム差が一定以上開いた場合、前の走者が到着する前に次走者がスタートすることを゛繰り上げスタート”と呼びます。中継所ごとに時間が設定されています。往路の鶴見・戸塚は10分、平塚・小田原は15分、復路は全区間20分が目安で、繰り上げスタートになったチームは白タスキを使用するのです。 母校のタスキはその瞬間に手渡すことができないのです。

交通規制という事情はありますが、実に非情なルールです。タスキは、魂そのものです。つなげなかった選手が胸を叩き、地面を殴り、空を仰ぐ。あの姿は、勝者の笑顔より、ずっと深く胸に迫ります。

予選会──“1秒”で一年が終わる世界

シード権を逃した大学は、予選会に挑まなければなりません。ここにも、逃げ場のない現実があります。

2024年の予選会は、今も忘れられません。シード権を獲得するのは上位10校ですが、東京農業大学は、わずか“1秒差”で11位。20人が走った上位10人の合計での、たった1秒です。

誰かひとりが1秒縮めていれば…。全員が0.1秒ずつ縮めていれば…。そんな「もし」が、いつまでも胸に残ります。

しかも、発表の仕方がまた残酷です。出場校の上位10校が読み上げられ、続いて15位までが発表される。それ以下の大学は――名前すら呼ばれません。

「詳細はホームページで──」

その一言の冷たさは、胸の奥まで沈みます。

10人に選ばれるまでの苦しみ。当日まで走れるかわからない不安。繰り上げスタートの恐怖。1秒に泣く現実。

こうした残酷さが幾重にも重なるからこそ、箱根駅伝は尊いのだと思います。全力を尽くした若者の走りは、否応なく心を揺さぶります。青春とは、残酷で、まぶしくて、どうしようもなく美しいものですね。

戦力外通告

閑話休題。

箱根駅伝の厳しさを長々と伝えてきましたが、残酷なのは、駅伝だけではありません。プロ野球にも“戦力外通告”という現実があります。「構想外」という一言で、積み上げてきたものが霧のように消える。華やかな世界だからこそ、孤独は深いのです。

箱根駅伝の厳しさも刺激的ですが、プロスポーツの戦力外通告は、趣味を奪われるのとは事情が異なります。生活の糧を失ってしまうことと同意なのですから、これはただ事ではありません。

モータースポーツも同じです。いや、むしろ、もっと静かで、冷たいかもしれません。

契約社会のレース界では、連絡が“来ない”だけでシートを失うことがあります。速さ、強さ、開発力、人気、スポンサー。どれか一つ欠けただけで、谷底へ落ちる。なかなかに厳しい世界ですよね。

それでも、多くのドライバーは前を向きます。草レースからやり直す人。自分でチームを立ち上げる人。復帰したときの走りには、深い炎が宿っています。

一方で、成功の扉を開けようとしているドライバーもいます。シーズンオフの最中、来季に向けてのオーディションが開催されることもあります。テストのチャンスを得たドライバー全てに合格通知が来るわけではありませんが、光明が差しているのは確かです。

スポーツは、たしかに残酷です。ですが、その残酷さこそが、人を夢中にさせる理由なのだと思います。栄光と挫折の落差が大きいからこそ、心が動くのでしょう。

タスキがつながらなかった涙。戦力外通告の静寂。レースで名前が消えた若者の背中。影が濃いほど、勝者の輝きは際立ちます。

残酷だからこそ価値があり、残酷だからこそ感動が生まれる。その矛盾を抱えながら、選手は前へ進み続けるのです。

今年もレースシーズンが終わりました。活躍したドライバーもいれば、思うように走れなかったドライバーもいます。満足感に包まれた背中の隣で、悔しさに声を押し殺す者もいるでしょう。戦力外通告を突きつけられたドライバーも、きっといます。

光と影を抱えているからこそ、モータースポーツは輝く。スポーツとは、不条理と美しさが重なり合った、人間そのものの縮図なのですね。

好成績を挙げ、2026年に期待を背負う選手には、さらなる栄光を。そしてシートを失ったドライバーにも、次の幸運が訪れることを、心から祈っています。

キノシタの近況

もっともコンパクトなVITAを使用した耐久レースに出場しました。非力だからと侮れないマシンに苦労させられましたね。これはもう特殊技能の世界です。勉強させていただきました。