レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

403LAP2026.01.15

「風は静かにページをめくる──KYOJOフォーミュラという現在地」

女性だけのフォーミュラレース「KYOJO CUP」は、2025年、激戦の余韻を残したまま、静かにシーズンを終えました。しかし、すでに2026年への熱い戦いは始まっています。新たなドライバーを発掘するために、「トライアウト」が開催されたのです。ミハラレーシングでスポーティングディレクターを拝命する木下隆之も、トライアウトの現場で挑戦者たちの走りに注目しました。

KYOJO CUP、装いを変えて再出発

これまでKYOJO CUPは、1.2リッターエンジンを積んだVITAを用い、女性ドライバーたちの競演を描いてきました。非力なマシンと評されることもありましたが、その言葉の裏には、速さという武器を持たない者同士が、知恵とテクニック、そして度胸で競い合う、潔い舞台という意味も含まれていたように思います。

2025年、そのKYOJOに大きな節目が訪れました。VITAクラスはFCR(Fuji Champion Race )の一部として継続されるものの、年間3戦へと縮小。一方で、新たに誕生した専用フォーミュラカテゴリーが「KYOJOフォーミュラ」として走り出し、「KYOJO CUP」の名を引き継ぐことになったのです。

カテゴリー名は同じでも、中身は別物でした。KYOJOフォーミュラのマシンは、控えめに言っても、なかなかに骨太です。1.4リッターターボエンジンにハイブリッドシステムを組み合わせ、トランスミッションは6速のパドルシフト。前後には本格的なウイングが装着され、安全装備としてヘイローも備えています。

その戦闘力は、FIA-F4を上回ると言っても過言ではありません。アクセルを踏めば鋭く前に出て、気を抜けばすぐに牙を剥く。ドライバーには、これまで以上に高度な判断力と技量が求められます。

VITAはHパターンのシフトシステムであり、空力的付加物もありません。タイヤは溝付きのエコタイヤです。富士スピードウェイでの最高速度は200km/hで、ラップタイムは1分59秒ほどです。

一方KYOJOフォーミュラは、スリックタイヤを履きます。最高速度は230km/hに達し、ラップタイムは1分44秒ほどに短縮しました。速さの次元が異なるのです。

最先端のマシンで・・

KYOJOフォーミュラ最大の特徴は、マシンのスペックではなく、その性格にあります。エアロダイナミクスに過度に頼らず、シャシーと足まわりのバランスを重視した設計。その結果、ドライバーの操作が、驚くほど素直にマシンの挙動へと反映されます。

アクセルを数ミリ開ける。ブレーキをほんの一瞬残す。その小さな判断が、コーナーの立ち上がりを変え、次のストレートの速度を左右する。ドライバーの癖、迷い、覚悟までもが、そのままラップタイムに刻まれていきます。ごまかしは、ほとんど効きません。

パワーユニットはターボとハイブリッドの組み合わせですが、性格は意外なほど穏やかなようです。暴力的な加速を誇るのではなく、扱い方を覚えた者にだけ、きちんと応えてくれる。その意味で、このマシンは才能を誇示する道具ではありません。才能を静かに鍛え、磨き上げるための一台と言えるでしょう。

車体サイズや重量配分は、一般的に女性ドライバーの体格に適しているように思えます。ペダル操作やステアリング入力に無理がなく、長いレースでも集中力を維持しやすい。その結果、終盤まで精度の高いバトルが成立しました。派手さはありませんが、噛めば噛むほど味の出るレースが、確かにそこにありました。

静かに始まった一年目の物語

2025年のKYOJOフォーミュラは、女性がモータースポーツの世界に本格的に参画していくための、ひとつの道筋を示した一年でした。風向きが変わり、旗のなびき方が違って見える…。レースとは不思議なもので、そういう年にこそ、その競技が抱えてきた課題が浮き彫りになります。

圧倒的な速さでチャンピオンを獲得したドライバーがいる一方、結果に恵まれず、悔しさを噛みしめた者も少なくありませんでした。ただ、このカテゴリーは初年度です。純粋にドライバー本来の能力だけが結果に直結したかと問われれば、首を傾げたくなる部分もあります。

すでに他のフォーミュラカテゴリーで経験を積んできたドライバーは有利でしたし、このマシン特有の癖に馴染めたかどうかも、勝敗を分けました。このレースで速かったからといって、上級カテゴリーで通用する保証はありません。富士スピードウェイに限定されているために、ドライビングと富士スピードウェイとの相性も影響します。そういう意味では、ドライバーの才能がそのまま成績に直結するとは言い難い。逆に、ここで苦戦したドライバーが、別の舞台で成功を収める可能性も十分にあります。まだ、何ひとつ確定していない。それが、このカテゴリーの現在地なのです。

動かないシートと、人材不足という現実

2025年にKYOJOフォーミュラへ出走したドライバーは20名。その多くが、2026年も同じシートを継続する見通しです。初年度という事情もあり、チーム側も結果だけで判断せず、「もう一年様子を見よう」と、比較的寛容な姿勢を取っています。

しかし、それ以上に大きな理由があります。人材不足です。やや厳しい言い方になりますが、この本格的なフォーミュラマシンを安定して操れる女性ドライバーは、まだ多くありません。好成績を残したとしても、男女混合のFIA-F4やフォーミュラ・リージョナルといったカテゴリーから声がかかることは稀で、結果としてシートが空かない状況が続いています。

それでもチームは、新しい風を求めています。停滞は、レースにとって何よりも怖い。そこで主催団体が打ち出したのが、「トライアウト」という選択でした。

トライアウトとは、参加希望者や候補者が、一定の条件下で能力や適性を試される選考の場のことを指します。野球やサッカーなどのスポーツやモータースポーツ、芸能、ビジネスの世界など、分野を問わず用いられる言葉ですが、共通しているのは「結果だけでなく過程も見られている」という点です。

競技の世界におけるトライアウトでは、単純な記録や順位だけが評価対象になるわけではありません。技術の再現性、判断の速さ、ミスをした際の立て直し方、さらには周囲との協調性まで含めて観察されます。うまくいった一瞬よりも、崩れた場面での振る舞いのほうが、むしろ雄弁に語り結果に繋がることがあります。

また、トライアウトは挑戦する側にとって、自分の現在地を知る機会でもあります。合否という結果は残酷ですが、それ以上に「何が足りず、何が通用したのか」を突きつけてくれる場です。合格しなかったとしても、そこで得た経験が次の一歩を支えることは少なくありません。

トライアウトとは、選ぶ側と選ばれる側が、短い時間の中で互いの本音を確かめ合う真剣勝負の場です。静かですが、緊張感に満ちた、人生の分かれ道になり得る舞台だと言えるでしょう。

プロ野球のトライアウトの様子がテレビ番組として放送されることがあります。それは比較的、戦力外通告を突きつけられた選手が最後の可能性のために挑戦する、といった悲壮感が漂いますが、KYOJOフォーミュラのトライアウトは、むしろ明るい未来へのアピールの場という印象です。

実際にすでに海外のF1チームの育成に所属しチャンスを模索しているドライバーもいました。数千万円の持参金を手に、日本のチームを探しているドライバーもいました。彼女達にチャンスが訪れることを祈ります。

冬の富士で行われた、静かな真剣勝負

暮れも押し迫った12月23日、寒風吹きすさぶ富士スピードウェイのショートコースに、12名の女性ドライバーが集まりました。海外からの挑戦者も少なくありませんでした。トライアウト参加費用は22万円。決して安価ではなく、優れた走りを見せたとしても、必ずシートが得られる保証はありません。

それでも、彼女たちは集いました。KYOJOフォーミュラが、国内外から注目を集めている証と言えるでしょう。

トライアウトのカリキュラムは実にシンプルです。前日にシート合わせを行い、当日は主催者が用意したマシンで走行する。走行データは公開され、ドライバーの才能は、隠しようもなく露わになります。

僕も、ミハラレーシングのスポーティングディレクターを拝命していますから、その場に立ち会いましたが、印象に残る走りを見せたドライバーは確かに存在しました。派手ではありませんが、丁寧で、考え抜かれた走り。そういう走りは、不思議と目で追うものです。

14歳の少女も印象的でした。まだ自動車免許を持たないこともあり、クラッチ操作が不慣れで、発進すら困難でした。関係者の厳しい目が注がれるなか、エンストを繰り返す姿を見るのは厳しかったし、本人は辛かったことでしょう。ですが、それでも挑戦する姿には心を打たれました。

2026年の開幕戦では、果たしてこの中から何人のドライバーがグリッドに並んでいるでしょうか。冬の富士で見た彼女たちの背中を思い出しながら、その瞬間を楽しみに待ちたいと思います。

KYOJOフォーミュラは、まだ完成された物語ではありません。むしろ、書き出しの数ページに過ぎない。だからこそ、今が一番面白い時期なのかもしれません。

静かに、しかし確実に、新しい風は次のページをめくっています。その音に耳を澄ませながら、私たちはこの物語を、もう少し先まで見届けることになりそうです。

キノシタの近況

2026年のニュルブルクリンク参戦のために、ドイツのチームと交渉を初めています。もちろん簡単にシートが得られるはずはありませんが、感触は悪くはありません。ご期待ください。