404LAP2026.01.28
「スポーツ功労者顕彰という、静かな顕彰」
先日、ひとつの朗報が木下隆之の元に届きました。先輩レーシングドライバーであり、日本モータースポーツ界の屋台骨を支える存在とも言える関谷正徳さんが、「スポーツ功労者顕彰」を受けられたのです。日頃から関谷さんのそばで活動を見守っている木下隆之は、その栄誉は当然のことだと言います。むしろ、来るべきものが、来るべき時に届いた──そんな静かな納得が先に立ったのです。
数々の栄冠を手にしてきた
関谷正徳さんが「スポーツ功労者顕彰」を受けた。この知らせを聞いたとき、正直に言えば驚きはありませんでした。むしろ「ようやく、ですね」という気持ちのほうが、胸の奥から自然と湧いてきたのです。
ご本人はきっと、照れながら笑って「いやいや」と手を振っていたでしょう。しかし、これは誰がどう見ても、受けるべくして受けられた顕彰です。実際に、都内某所の豪華絢爛なコンベンションホールで開催された顕彰式では、いつになく緊張された様子だったと、関係者は証言していました。
サーキットのポディウムでは、あれほど堂々と、数え切れないほどのシャンパンファイトを演じてきた関谷さんが、レーシングスーツからネクタイ姿に変わると、さすがに少し居心地が悪そうにされていたようです。あるいは、「スポーツ功労者顕彰」という言葉の持つ重みが、そうさせていたのかもしれません。
関谷正徳――その名を聞けば、多くの人が1995年のル・マン24時間レース総合優勝を思い浮かべるでしょう。日本人初の快挙です。あの夜、テレビの前でガッツポーズを取ったクルマ好きは、きっと僕だけではないはずです。
僕はあのころ、すでにニュルブルクリンクで勝負をしていました。世界のレベルの高さを身をもって体験していたからこそ、その栄冠の凄みに、文字どおり身震いする思いでした。世界と対等に戦える日本人の誕生は、日本のモータースポーツ界が新たな一歩を踏み出した瞬間だったと思います。
ですが、今回の「スポーツ功労者顕彰」は、関谷さんのレース戦績に対してだけに贈られたものではありません。むしろ、表彰台から降りたあとの時間、歓声が消えた場所で、誰にも見られることなく積み上げてきた仕事に対する評価なのだと、僕は感じています。
功労賞の重み
そもそも今回のような顕彰はより一般的には功労賞と言います。そして功労賞とは、国・自治体・企業・業界団体・学会・スポーツ団体・文化団体など、あらゆる組織が、それぞれの基準により贈られるものです。関谷さんが受賞した功労賞は、正式に「スポーツ功労者顕彰」と言い、日本の文部科学省(スポーツ庁)・文部科学大臣からの授与となります。
もちろん、文部科学省の「スポーツ功労者顕彰」は、単にレース戦績だけで得られるものではありません。モータースポーツ業界全体の発展に、どれだけ心を砕き、手を動かしてきたかが評価されるのです。
関谷さんは、数々の輝かしい戦績を残しています。その中には、1995年に達成したル・マン24時間レース総合優勝という日本人初の快挙も刻まれていますが、近年ではむしろ、女性ドライバー育成のための「KYOJO CUP」を創設するなど、モータースポーツの将来性に積極的に取り組んできた点が高く評価されたのだと思います。
類まれなる実行力
関谷さんの考えに賛同し、ミハラレーシング(北九州)の代表・三原崇敬氏もKYOJO CUPに参画しています。僕もその思いを尊重し、スポーティングディレクターとしてサポートしています。
「木下くんも、ミハラレーシングをサポートしてほしい」
三原さんと関谷さんから直々にそう口説かれたのは昨年のことです。すでに僕は、ミハラレーシングからニュルブルクリンク参戦に関してパーソナルサポートを受けていたこともあり、快く承諾がしましたが、その根底にあるのは、すべて関谷さんの考えに同調したからなのです。
僕たちミハラレーシングだけでなく、KYOJO CUPに参戦するほとんどすべてのチームは、関谷さんが掲げた理念に心を動かされ、ドライバーをサポートしています。
しかも、現状にとどまらない関谷さんの実行力には、ただただ驚かされます。すでにKYOJO CUPは高い注目を集めるカテゴリーに成長しましたが、さらにトライアウトを実施するなど、矢継ぎ早に新たな施策に取り組んでいます。(*コラム#403参照)
https://toyotagazooracing.com/jp/blogcolumn/column/403/
KYOJO CUPを、日本国内のドメスティックな競技にとどめることなく、世界から注目されるカテゴリーに育てようと尽力しているのです。
近い将来、海外で活躍する女性ドライバーがKYOJO CUPに参戦し、そこをステップに、さらに上位カテゴリーへと上っていく。そんな光景を目にする日が来るのでしょう。それが、関谷さんの描いている未来なのです。
モータースポーツの不安と将来性
関谷さんと接していて、常に感心するのは、現状に満足せず、モータースポーツをさらに高みに押し上げようとする考えを持っていることです。多くのモータースポーツ関係者が、これまで数々の施策にトライしてきましたが、はたしてプロスポーツとして認知されているかといえば、首を縦に振りづらいのが現状です。
それを打破するためのひとつがKYOJO CUPの開催です。これまで男性中心だったモータースポーツの分母を広げるためには、人口の半分を占める女性の参画が不可欠なのです。
すでに関谷さんは、女性ドライバーを育てるための施策を打ち出しています。「ダブルス」の実現です。たとえば、スーパー耐久シリーズ、あるいはSUPER GTなどに「女性を乗せること」という一文を加える提案をしています。複数ドライバーで構成される耐久レースに女性ドライバーを走らせることで、女性にとって門戸が開かれるだけでなく、新たなスポンサーを誘致できる可能性もあります。発展性は無限です。この考え方には、僕も大いに賛同しています。
人間性に人が集まる
個人的に関谷さんと接してきて、いつも印象に残るのは「声を荒らげない強さ」です。これまで長くパドックや控室でご一緒する機会がありましたが、関谷さんが誰かを叱り飛ばす場面を、僕は一度も見たことがありません。けれど不思議なことに、その場にいる全員が自然と背筋を伸ばすのです。あれは威圧ではなく、信頼から生まれる空気によるものなのでしょう。
関谷さんがパドックを歩けば、年齢の離れた多くのドライバーが挨拶に訪れます。誰からも慕われています。あれほどの地位と名声を持ちながら、決して偉ぶらず、腰低く接してくれるのです。
あるとき、レース運営について、若輩者の僕が生意気にも意見をしたことがありました。今思えば、ずいぶん単純で、現場を知らない発言でした。すると関谷さんは、すぐに否定せず、少し考えてからこう言ったのです。
「それも一理ある。でもね、現場っていうのは、正しいだけじゃ回らないことも多いんだよ」
言葉は柔らかいのに、妙に胸に残りました。速さや正論だけではどうにもならない世界を、関谷さんはずっと生きてきたのだと思います。
ドライバーとして世界の頂点を知り、同時に日本のモータースポーツの脆さも知っている。だからこそ、極端に振れないのです。熱くなりすぎず、冷めすぎもしない。そのバランス感覚は、簡単に真似できるものではありません。
思い返すと、関谷さんはいつも「次」の話をしていました。次の世代、次のレース、次の10年。自分の名前を残すより、日本のモータースポーツが残るかどうかを気にしているのです。功労賞という言葉が、これほど似合う人も、そうはいないでしょう。
身銭を切って……
下世話な話をするならば、これまでの功績を考えれば、多額の収入を得てきたはずです。もうこれ以上何を求めるというのでしょうか。あるいは、名誉や収入のためのカテゴリー創出ではないか、と穿った見方をする人もいるかもしれません。
ですが、関谷さんからは、そんな素ぶりを感じたことはありません。KYOJO CUPの立ち上げに際しては、私費も投じられています。損得ではなく、将来を見据えた判断だったのだと思います。レジェンドとして、モータースポーツ界でのんびりしていても誰も咎めない立場でありながら、それでもなお、モータースポーツ界に尽力し続ける姿には、ただただ感心してしまいます。
若いドライバーたちにとって、功労賞はまだ遠い話でしょう。ですが、彼らが今立っているグリッドは、誰かが整えてくれた場所です。そのことを、いつかふと思い出す日が来るはずです。
先月のこと、「スポーツ功労者顕彰」を受けられたことに、お祝いの言葉を贈りました。すると関谷さんは、照れくさそうにしながらこう言ったのです。
「僕が賞をもらえるなんて驚きだし、そのためにやってきたわけじゃないけれど、それでも、こうしてモータースポーツのことを話題にしてくれるのは嬉しいよね」
最後まで、モータースポーツ界を案じていました。
写真提供:「公益財団法人 日本プロスポーツ協会」「田村弥」
キノシタの近況
このところ、ヴィッツとヤリスに搭載されている1.2リッターエンジンにご縁がある。昨年はヴィータで、今年はヤリスで耐久レースに参戦する。小排気量エンジンの限られたエネルギーを叩きつけて走るのも、なかなか楽しいものだ。