412LAP2026.06.18
「モータースポーツの進化が止まらない」
F1は2026年の新規則によって、大きな転換期を迎えた。電動出力の強化とエネルギーマネジメントの導入により、レースは従来以上に“効率”が問われる世界へ変化している。一方で、駆け引きやオーバーテイクは新たな激しさを生み出しているのも事実だ。賛否を巻き起こしながらも、世界最高峰カテゴリーが変化を恐れず改革へ踏み出したF1を木下隆之が分析する。
魅力は薄れたのか?
F1が侃々諤諤(けんけんがくがく)、騒がれている。
人気は相変わらずヒートアップしている。今年の日本ラウンドは、驚くほど多くの観客がサーキットを訪れた。日本人ドライバーがレギュラーシートを失ったこともあり、人気下降が心配されたのだが、蓋を開けてみれば熱狂は冷めることはなかった。
フジテレビが地上波での放送も全戦ではないものの再開したことや、それに合わせたプロモーションの効果も無視できない。もちろん、TOYOTA GAZOO RacingがハースF1チームをサポートしていることも日本人気の追い風にはなっただろう。ともあれ、人気が薄らぐ気配はないのである。
侃侃諤諤と議論されているのは、ルールのことである。
F1は、今年からマシン規定がドラスティックに変更された。最大の特徴はパワーユニットで、1.6L V6ターボは維持しつつもMGU-Hを廃止し、電動出力を大幅に強化。エンジンと電力の出力比はほぼ50対50となり、100%持続可能燃料も採用された。
空力面では前後ウイングが可変する「アクティブエアロ」を導入し、従来のDRSは廃止。車体も小型・軽量化され、より俊敏な挙動へ進化した。さらにエネルギー管理が重要となり、オーバーテイクはドライバーの戦略次第という要素が強まったのだ。
新規定がもたらした功罪
2026年の新規則によって、F1はこれまで以上に「エネルギーをどう使うか」が勝敗を左右する競技へと変わった。その結果、レースの様相はどこか“エコラン”を思わせる側面を帯び始めている。
最大の要因は、パワーユニットの性格変化だ。前述のとおり内燃機関と電力の出力比はほぼ50対50に近づいたことで、アクセルを踏めば無尽蔵に速いという時代ではなくなり、「どこで電力を使い、どこで回生するか」という配分の妙が問われるようになったのである。これが賛否両論を招いたのだ。
エネルギーの使用量そのものにも制約がある。レース全体を通して使える電力には限りがあり、無計画にプッシュすれば、にわかに“電欠”に近い状態に陥る。それがより複雑かつ支配的な要素として前面に出てきたことになる。
この変化はドライビングにも影響を及ぼす。ストレートで常に全開というわけにはいかず、コーナー進入や立ち上がりでのエネルギー回収を意識した走りが求められる。無駄なホイールスピンや過剰な加速は、そのままエネルギーの浪費につながる。結果として、ドライバーはラップタイムだけでなく、エネルギー効率という“見えないラップ”とも戦うことになる。
こうした状況は、市販車の燃費走行―いわゆるエコランとどこか似ている。一定のリズムで走り、無駄な加減速を避け、回生を最大限に活用する。その延長線上に、現代のF1があると言ってもいい。もちろん、絶対的な速度域や限界の高さは比較にならないが、「速さ=消費」ではなく「速さ=最適化」という発想は共通しているように思うのだ。
しかし、これによって、一部のドライバーはストレスを感じているらしい。電動出力の増大と使用制限により、常に全開で攻め続けることが難しくなり、「速さを競う」というF1本来の魅力が薄れているという声が上がっているのだ。
これまで4度の世界チャンピオンに輝いているフェルスタッペンは、ドライバーがアクセルを踏み切れず、エネルギー残量を気にしながら走る状況に違和感を覚えると、たびたびコメントしている。レース中に“セーブ”を強いられる時間が増えたことで、バトルの純粋な激しさが削がれ、観ている側にも分かりにくい展開になりがちだというわけだ。
「最速を決めるカテゴリー」であるはずのF1が、“最も効率よく走った者が勝つ競技”へと変質しつつある―そのギャップに、彼は率直な不満を漏らしている。速さを解き放つはずの舞台で、むしろ抑制が求められる。その皮肉が、現代F1の評価を揺らしているのだ。
実際にテレビで観戦していても、ドライバーのスキルが見えにくくなったことに少なからず違和感がある。回生するためにアクセルオフしているのか、単純に速度が乗らないのか、画面からでは判別できないのである。
相変わらずF1はモータースポーツの頂点であり続けている
とはいうものの、F1の本質的な激しさが失われたわけではない。むしろ、新しい規則が別の形の戦いを生み出しているのも事実だ。多くのドライバーが指摘するように、エネルギー制御の要素は増えた、その分「いつ仕掛けるか」という判断の価値が跳ね上がった。そこに新しい魅力がある。
限られた電力をどこで使うのか。防御に回すのか、それとも一気にオーバーテイクを狙うのか。その一瞬の決断が、レースの流れを劇的に変える。結果として、バトルはより戦略的で、かつドラマ性を帯びるようになった。いわば“考えて殴り合う”時代である。
エネルギーの使いどころが異なることでマシン同士のスピード差が生まれやすくなり、オーバーテイクの機会はむしろ増えている。一直線に全開で走るだけでは生まれなかった駆け引きが、コーナー進入や立ち上がりで可視化されるようになったのだ。
激しさの質は変わった。しかし、失われてはいない。むしろ、より濃く、より人間的になったとも言える。制御の中で解き放たれる速さ―その矛盾を乗りこなす姿こそ、現代F1の新しい魅力なのかもしれない。
新時代のモータースポーツの形
こうした変化は、ある意味で“テレビゲーム世代”にフィットした進化とも言えるかもしれない。エネルギーの残量を管理し、ここぞという場面でブーストを使う―その感覚は、現代のレースゲームに慣れ親しんだ世代には極めて直感的だ。アクセルを踏み続けるだけでは勝てず、リソース配分とタイミングが勝敗を分ける構造は、まさにゲーム的な戦略性である。
かつては身体感覚と度胸が支配していた領域に、思考と管理のレイヤーが重なった。言い換えれば、F1は“反射神経の競技”から“判断力の競技”へと比重を移しつつある。その変化に戸惑う声がある一方で、新しい楽しみ方を見出す観客も確実に増えている。
ともあれ、世界最高峰であるF1が、人気という“安住の地”にとどまらず、自ら変化を選んだことは高く評価すべきだろう。長い歴史と確固たるブランドを持つカテゴリーほど、現状維持に流れがちだ。だがF1はあえてリスクを取り、技術と競技のあり方を見直した。
エネルギー効率や持続可能性を重視する流れは、自動車産業そのものの未来とも重なる。つまり今回の改革は、単なるルール変更ではなく、モータースポーツと市販車開発をつなぐ大きな意思表示でもある。
変化には必ず賛否がある。だが、その議論が生まれている時点で、F1は前に進んでいる。速さの定義すら問い直しながら、新しい時代の頂点を目指す。その姿勢こそが、F1をF1たらしめている理由なのだ。
F1が変革に積極的なことは、SUPER FORMULAやSUPER GTも
世界最高峰のF1が変革に積極的なことは、SUPER FORMULAやSUPER GTはもとより、世界各地で開催されている競技にも何らかの好影響を与えるものだと想像できます。
SUPER FORMULAは、独自にオーバーテイクシステム(OTS)を採用している。ステアリングのボタンを押すことで、一時的に出力を約50馬力高めることができるのだ。燃料流量を増加させるのである。
レース中に使用できるのは最大で200秒間に限られる。ボタンワンプッシュで、連続して最大20秒間のパワーアップが可能だ。一度使用すると、次の使用まで一定のインターバルが必要だ。これによってパッシングシーンが増えた。あるいは、いつどのタイミングでOTSを使うか。その駆け引きがレースの魅力のひとつになっている。
この使用時間やタイミング、あるいはそれを観客にどう伝えるかなども試行錯誤が繰り返されている。というように、SUPER FORMULAも改革を進めているのである。
SUPER GTとて同様に、改革の歩みは進んでいる。高騰するマシン製作費用をいかに抑えるか、あるいは技術の進化に合わせ、いかにパフォーマンスの均衡を図るのか。相変わらず圧倒的な人気を誇っていながらも、進化を止めていない。モータースポーツは伝統的なスポーツでありながら、常に革新に満ち溢れているのである。
これはGAZOO Racingの思想と重なる。常に改革を求め、チャレンジする。「もっといいクルマを作る」 そのために日々研鑽を重ねるその姿勢を鏡のように映しているのだ。
キノシタの近況
ニュルブルクリンク24時間が終了しました。予選はクラスポールを獲得したものの、決勝は3位。まずまずの成績だったかもしれませんね。