417LAP2026.08.26
「ニュルブルクリンクより、ドイツらしかったレース」
レースは勝つために走るもの――そう思っていた。ところが富士スピードウェイには、順位表だけでは測れない楽しさを教えてくれるレースがある。「Fuji-1GP」(フジワングランプリ)だ。仲間とマシンを持ち寄り、トランスポンダー(計測器)を襷のようにつなぎながら4時間を走る耐久レース。 木下隆之が自ら参加し、その魅力を解説する。
後ろ髪を引かれる思いで…
「TAKA、今度のVLN、走らないか?」
そんなありがたい誘いを受けた。昨年、チームメイトとしてニュルブルクリンク24時間レースを戦ったマークが自らのチームを立ち上げた。すでにGT3とGT4を3台走らせており、春の24時間レースではクラス優勝に導いている。飛び上がらんばかりの嬉しい誘いである。
舞台はニュルブルクリンク。30年以上、人生を重ねてきた特別な場所である。まして今回のVLN(ニュルブルクリンク耐久シリーズ)は6時間耐久レース。プロドライバーとして考えれば、迷う理由などない。
だが、その週末にはもうひとつ約束があった。富士スピードウェイで開催されるFuji-1GPに、ご縁がある仲間から参戦の誘いを数ヶ月前から受けていたのだ。
こちらはナンバー付き車両によるホビーレース。豊中宮山春日神社の宮司が所有するランサーエボリューションワゴンを借りて走る約束をしていた。
本気のドイツか。
遊びの日本か。
普通なら答えは決まっている。けれど、自分で言うのもなんだが僕は昔から義理堅い。必ず先に約束したほうを優先する。それで何度損をしたかわからないが、性分は変えられない。だから、迷わず富士を選んだ。
正直に言えば、未練はあった。東名高速を富士スピードウェイに向かいながらも、心のどこかではアイフェルの森を駆け抜ける自分を想像していた。今頃は、ニュルブルクリンクを攻めていたんだろうなぁと、気持ちはニュルブルクリンクの上空にいたのである。
ところが、その後ろ髪を引く思いは、富士スピードウェイへ着いてわずか数時間で吹き飛んだ。
「なんだ、このレースは…」
腰を抜かしかけたのである。
ハードルが取り払われていた
まず、ルールが面白い。
JAFライセンスは不要。耐火レーシングスーツの着用義務もない。運転免許証があれば、レースに参戦できるのだ。デニム姿のドライバーがいれば、レーシングスーツで完全武装した参加者もいる。
マシンにも制約はない。SUPER GTマシンでも、普段買い物に使っているミニバンでも参加できる。雰囲気は走行会そのものだ。
真剣勝負なのか、走行会なのか。その境界線がじつに曖昧なのだ。だが、その曖昧さが心地いいのである。
日本人は何かと境界線を引きたがる。競技か遊びか。プロかアマか。速いか遅いか。けれどクルマ好きにとっては、そのどれも本質ではない。
「走りたいから走る」
たったそれだけで十分なのである。
正式には「Fuji-1GP」であり、4時間耐久のレース形式である。予選があって、決勝があって、4時間後にチェッカーフラッグが振られ、ゴールを迎える。ゴール後には暫定表彰があり、アルコール入りのシャンパンファイトがある。
大会代表は、今宮眞氏だ。富士スピードウェイの職員が、管制室で采配を振るう。オフィシャルカメラマンは、自らもレースに参戦する池之平昌信氏が担当する。そもそも、国際レースの開催権がある富士スピードウェイが舞台なのだ。イベントは本格的なのである。
だが、競技は土曜日だけのワンデイ開催。本来ならば前日にテスト走行をこなして戦いに挑みたくなるところだが、いや、もちろん前日のスポーツ走行を走ってもいい。ここもハードルの低さのポイントで、ウィークデイに職業を持っている人でも、週末に気軽に参加できる。レースを終えた翌日は日曜日だから、家族サービスに充てられるというわけである。
ドライバーズミーティングは、監督が参加すればそれで済む。レース形式ではあるものの、スケジュールは走行会のそれなのである。
だから僕は、レース当日に比較的ゆっくりと、8時ごろにサーキットインした。そこで初めて、僕がステアリングを握るマシンと対面したというゆるさなのだ。
コペルニクス的発想の転回
もっと驚いたのは、チームの仕組みだった。
通常の耐久レースなら、一台のクルマをドライバーが交代しながら走らせる。ところがFuji-1GPでは、一つのチームに複数台のクルマを登録できる。
僕はランサーエボリューションワゴンでスタートした。燃料補給でピットへ戻る。普通ならドライバー交代である。確かにドライバー交代した。しかし次のドライバーは、自分のGRカローラへ飛び乗った。受け渡すのはクルマではない。トランスポンダーだけである。
トランスポンダーを手渡し、次のGRカローラに乗るドライバーがコースへ飛び出していく。まるで駅伝で襷をつなぐようだった。なるほど。耐久レースではなく、「耐久駅伝」である。日本人らしい発想だと思った。
クルマに制約がないばかりか、チーム内でも複数のクルマの組み合わせとなる。これは、じつによく考えられたシステムである。
クルマが複数だから、耐久力にも余裕が生まれる。ボロボロになるまで走り続けなくても済むのだ。
ドライバーとクルマがトランスポンダーを受け継ぐだけだから、ピット作業はゆっくりで済む。
実際に僕はランサーエボリューションでスタートした後、ガソリンが底をついたタイミングでピットインした。慌てて給油する必要もなく、タイヤ交換も急がない。次のGRカローラが走行している時間にゆったりと、ガソリンをタンクからトボトボと注いだり、タイヤが冷えたタイミングを見計らって交換した。高価な給油タワーも、大勢のメカニックのサポートも必要ないのである。
「いやいや、1台のクルマで走り切りたいんだ」
一般的な耐久レースのように走りたいのならばそれも許される。自由なのである。
日本にも存在した自己責任の思想
その瞬間、頭の中でニュルブルクリンクの風景と重なった。ニュルブルクリンクには「ツーリスト走行」がある。レース開催日以外は一般開放され、料金さえ払えば誰でも北コースを走れる。
JAFライセンスはいらない。Tシャツでもいい。短パンでもいい。家族四人を乗せたオープンカーも走る。その横をGT3マシンが全開で駆け抜ける。観光バスまで走っている。初めて見た日本人は皆、目を丸くする。危なくないのか、と。
もちろん危ない。だから自己責任なのである。
自由とは、責任を引き受ける覚悟の上にだけ存在する。ドイツ人は、それを当たり前の文化として受け入れている。Fuji-1GPにも、その空気が流れていた。
「細かなことはいいじゃない」
「まず走ろう」
そんな声が聞こえてくるようだった。
日本では、安全を守るためにルールを積み重ねる。もちろん、それは大切なことである。だが、ときにルールは入口のハードルを高くしてしまう。挙げ句の果てに、分厚い六法全書のように無意味とも思えるルールが積み重なっている。
モータースポーツ人口が減ったと言われる。それなのに、始めようとするとJAFライセンスはもちろん、高額な装備を揃えるなど必要になる。ゴルフを始めようと思ったら、最初に会員権を買えと言われるようなものだ。それではクラブを握る前に帰ってしまう人もいるだろう。そんな憂いを感じることが少なくない。
Fuji-1GPには、その堅苦しさがないのである。
「まず楽しもう」
そこから始まる。じつは、その精神こそがニュルブルクリンクなのである。だから僕は思った。このレースは、日本で開催されているのに、どこかドイツよりドイツらしい。
いや、駅伝という日本独自の文化まで取り込んでいるのだから、ドイツ人が見たら「こんな自由があったのか」と驚くかもしれない。
モータースポーツ文化は、トップカテゴリーだけでは育たない。森が一本の大木だけでは森にならないように、文化もまた、名もなき草花や落ち葉が土を育てて初めて豊かになる。SUPER GTやスーパーフォーミュラという大樹を支えているのは、こうした草の根のレースなのだ。
速さだけを競うのではない。笑顔も競う。仲間も増える。そして「また走ろう」と思える。その積み重ねが、日本のモータースポーツ文化をもっと豊かにしていく。ニュルブルクリンクへ行けなかった週末。その代わりに僕は、富士山の麓で、アイフェルの森と同じ風を感じていた。
自由とは、好きなように振る舞うことではない。好きなことに、自分で責任を持つことだ。Fuji-1GPは、その当たり前を、笑顔で教えてくれるレースだった。
写真:佐藤正勝
キノシタの近況
本来参戦するはずだったVLNニュルブルクリンク6時間耐久レース。年末に参戦する予定です。