420LAP2026.10.14
「Studieのいないサーキットなんて…」
BMWという一本の道を、ひたすら走り続けたチームが、静かに幕を引いた。BMW M Team Studie、モータースポーツ活動の終了である。最後の舞台は、始まりと同じ鈴鹿だった。ステアリングを託してもらった一人として、感謝と、去りゆくものへのさびしさを、ここに記しておきたい。
突然の知らせ
BMW M Team Studie(以下、スタディ)が、モータースポーツ活動から退くことを発表した。鈴木“BOB”康昭会長が自身のnoteで明かしたもの。2008年から続いた「Team Studie」名義での参戦は、鈴鹿1000kmを最後に幕を下ろすことになった。
このニュースを耳にして、驚きを隠せなかった。
朝、庭に出てみると、昨日まで枝いっぱいに葉を茂らせていた木が、一夜にして裸になっている。そんな光景を目の前にしたような、立ちすくむ思いだった。
2025年にSUPER GTの舞台を離れたあとも、チームはGTワールドチャレンジ・アジアを軸に走り続けていた。いつかまた戻ってくるのではないか。そんな思いが、胸のどこかに居座っていた。
だが、会長みずからが「三度目の正直」と綴るのを読んで、今回ばかりは本当に終わるのだと、ようやく腹に落ちた。人は、失うと分かってはじめて、それが手のひらにあったことに気づく。
スタディは、BMWとMINIのチューニングパーツで知られるStudie AGを母体とする。レースは、本業とは別の場所に張った天幕のようなものだった。 男たちは火を焚き、夢を語った。
しかも、最初から手厚い後ろ盾があったわけではない。メーカーの支援を持たぬ、いわゆるプライベーターとしての出発である。
初参戦は2008年、SUPER GT第6戦の鈴鹿1000km。結果はほろ苦いものだった。
だが、風向きが変わったのは2011年だ。Z4 GT3でGT300クラスを戦い、6月のマレーシア・セパンで初優勝。その勢いのままシリーズチャンピオンを獲得。BMW本国とBMWジャパンの支援を受けるようになったのは、この結果を出してからのことである。
先に支援があったのではない。走りで認めさせたのだ。灯台の明かりを待たず、自分たちで火を掲げて港を見つけた。そこが、いかにもスタディらしいと思う。
積み重ねた戦績
2014年からは単独チームとして参戦を続け、2016年にはBMWの公式なレーシングチームとなった。M6 GT3を走らせ、BMWワークスドライバーであるヨルグ・ミューラー選手や、ル・マン24時間レースを制した荒聖治選手がステアリングを握った。
近年もM4 GT3にミシュランタイヤを組み合わせ、2022年と2023年には、いずれも第3戦鈴鹿で勝っている。
毎年のようにチャンピオン争いに顔を出す、GT300の常連であった。ブランパンGTアジアでも、2018年と2019年にGT4クラスで2年連続のチャンピオンを獲得している。
数々の栄光の数字は、ただ黙ってそこに並んでいる星座のように、夜空に整然と散らばっている。だが、その一つひとつの星が、どれほどの闇のなかで灯されたか。走った者だけが知っている。
出会いは突然に…
僕もドライバーとして、このチームの一員に加えてもらった。数々のチャンピオンを獲得できたのは、僕の腕だけの話ではない。マシンを作り、直し、送り出してくれた仲間がいたからだ。
表彰台の頂に立つとき、いつも背中の向こうにいてくれた人たちの顔が浮かぶのである。
スタディとの縁は、ずいぶん昔にさかのぼる。
スタディがニュルブルクリンクに挑むらしい。そんな噂を耳にして、僕はチームオーナーの鈴木氏のもとを表敬訪問した。
「ニュルブルクリンクで勝ちたいのなら、僕を起用するべきです」
いま思えば、ずいぶん強引なセールスだった。若さというものは、恐れを知らない。
結局、スタディのニュルブルクリンク計画は霧散し、僕の願いも叶わなかった。それで縁は切れたのだと思っていた。
ところが10年ほどが過ぎた、ある晩のことである。電話が鳴った。
いや、もう「鈴木氏」などと他人行儀な呼び方はやめよう。
電話の主はボブだった。
「ブランパンGTアジアに、一緒に挑戦しませんか」二つ返事で承諾した。
そのプロジェクトはすぐに実行され、韓国、中国、マレーシア、タイ。国から国へと転戦し、僕たちは勝ち続けた。連戦連勝、と書いてもさしつかえあるまい。
それ以来、僕は公私ともにスタディのドライバーとして日々を過ごすことになる。
正直に白状すれば、レースよりも、飲んで騒いでいた記憶のほうがずっと多い。ボブは金払いが豪快で、遊び方が頭抜けている。それがまた、じつに気持ちがいいのだ。杯を重ねた夜の数だけ、僕たちは家族に近づいていった。
ワクワクさせるチームだった
スタディの魅力は、強さだけではなかった。
オーナーであるボブの発想は、いつも少しばかり奇抜で、そして楽しげだった。次は何を仕掛けてくるのか。ピットに入るたび、ドライバーもメカニックも、どこかそわそわしていたものだ。
レース参戦にしても、イベントの主催にしても、たいがいはその場の思いつきのように見えた。いや、実際には胸の内で周到にプログラムが組まれていたのだろう。けれど、僕に告げられる企画は、いつもインスピレーションに支えられているように思えた。
どれだけワクワクできるか。どれほどカッコいいか。それが、ボブの発想の原点だったと思う。
そのくせ、勝利に対する貪欲さには恐れ入った。極度の負けず嫌いなのである。
ワクワクして、カッコよくても、勝てなければ納得しない。2位でチェッカーを受けた日、苛立つボブの横顔を、僕は幾度か目にしている。悔しさを噛み殺した、あの横顔が、僕は好きだった。あれほど真剣に「勝ちたい」と願う大人の顔を、僕は他に知らない。
驚かされるのは、ボブの人気である。
スタディには、熱狂的なファンがいる。それは、ボブが仲間を何よりも大切にする男だからだ。
速さだけでは、人はついてこない。金だけでも、ついてこない。人を惹きつけるのは、結局のところ、人の熱なのだ。ボブという男は、その熱の塊のような人間である。近づいた者はみな、ほっと頬をゆるめてしまう。
じつは、僕を応援してくださる方々の多くは、スタディで走ったことがご縁で結ばれた人たちだ。ボブが推すドライバーなら、俺たちも応援する。そんな声援を、僕は肌で感じてきた。僕らはスタディを通じて、仲間になれたのである。
ボブは、いつも僕を、いろんな人に引き合わせてくれた。自分の手柄にするでもなく、ただ人と人とをつなぐ。細い糸を一本ずつ撚り合わせて、太い綱に仕立てていく。そんな人間は、そう多くない。
BMW M社が認めたアジア唯一のチーム
本国BMWからの信頼も厚いチームだった。ミュンヘンから期待を寄せられ、日本のみならずアジア各地でも、スタディは大きな役割を担うようになった。
プライベーターとして始まったチームが、ここまで来た。天幕ひとつで始めた旅が、いつしか一国の旗を掲げる船団になっていた。その道のりを思うと、胸が熱くなる。
スタディのマシンには、名だたるワークスドライバーが乗ったことも勲章の一つだろう。
ヨルグ・ミューラー。長年BMWのワークスドライバーとして世界を戦ってきた男だ。2013年の鈴鹿1000kmでは、初音ミクBMWのドライバーとして日本の土を踏み、スタディの一員として活躍した。
アウグスト・ファーフス。こちらも長年BMWのワークスとして世界中で活躍してきた。2022年、M4 GT3の投入とともにチームへ加わり、荒聖治選手のパートナーを務めた。
ブルーノ・スペングラー。DTMの王者としても知られる名手が、2024年、ドライバーとしてチームを支えた。同じ年には、ドイツ人ドライバーのニクラス・クルッテンも加わっている。
そして、忘れてはならないのが荒聖治である。ル・マン24時間レースの勝者が、大黒柱としてチームの舵を長く握り続けた。
チームにとって最後の鈴鹿1000kmを走ったのは、山口智英、そして荒聖治である。
サーキットを去るのは寂しい
活動の終了には、事情があるのだろう。レースを続けるための費用は、年々重くなっている。本業を守るために、原点に立ち返る。会長が「初心に返る」と綴ったのは、おそらくそういうことなのだと思う。
頭では分かっている。それでも、寂しいものは寂しいのだ。
鈴鹿に始まって、鈴鹿で終わる。18年前、スタディの挑戦が始まったその場所で、最後まで走り切って幕を閉じた。
物語というものは、ときに、これ以上ないほど出来のいい結末を用意する。現実のほうが、よほど小説じみていることがある。
思えば、チェッカーフラッグというのは不思議な旗だ。勝者にとっては祝福で、去りゆく者にとっては別れの手振りになる。同じ一枚の旗が、振られる者の胸のうちで、まったく違う色に見える。今日のあの旗は、僕の目には、ボブが18年間の航海を終えて、静かに振った手のように映った。
来年からは、あのマシンがグリッドに並ぶことはない。パドックで、あの華やかなピットを探してしまう自分がいるだろう。ピットウォールの向こうに、見慣れたユニフォームを探してしまうかもしれない。そこにはもう誰もいないと知りながら、それでも視線は、きっとあの場所へ戻っていく。
ずっと点いていた街灯が、ある夜ふいに消えても、人は暗い道でしばらくその場所を見上げるものだ。光はもうないのに、光があった場所を、目が覚えているのである。
スタディの皆さん、本当にありがとうございました。ワクワクする時間を、たくさんいただきました。
ボブ、あなたと走れて、僕は幸せでした。
新しい門出に、心から拍手を送ります。そして、またどこかのサーキットで会いましょう。いや、飲みの誘いを待ってます。
キノシタの近況
マツダが主催する「メディア対抗ロードスター耐久レース」は今年で37回目だという。もはや僕のライフワークのひとつになっている。とても楽しいのである。レース中のファーステストを記録し表彰されたけれど、エコランで最速タイムとは・・・。嬉しいやら恥ずかしいやら・・。