2022シーズン TOYOTA GAZOO Racing体制発表に寄せて…
モタスポコラム その29 2021.12.17
SUPER GTのタイトルがGRスープラ陣営に劇的に舞い込み、それから10日ほど経過した12月6日(月)、都内にてTOYOTA GAZOO Racing(トヨタ自動車株式会社)のモータースポーツ活動の一部が早々に発表となりました。
異例ですね、こんなに早い時期の発表は。シーズンが終わった瞬間から来季に向かう業界。現役を終えるという中嶋一貴選手の発表は衝撃でしたね。シーズンが終わった余韻と新たな道へ送り出す気持ち、また来季への期待が入り混じり、なかなか頭が整理できませんでした。
体制発表が早いことは、チームやドライバーにとっては、オフシーズンの活動がやりやすくメリットしかありません。その内容と顔ぶれをしっかりチェックいただいて、今回は、これまでのご活躍に感謝し、転機を迎え新たな旅立ちをするドライバーさんについて、ピックアップしてお送りいたします。
〇一貴!お疲れさま!
- (WECラストランとなったバーレーン8時間にて 写真:トヨタ自動車)
- (2004年全日本F3選手権2連戦をポールトゥウィン 写真:トヨタ自動車)
2004年、全日本F3選手権(現在のスーパーフォーミュラ・ライツ)鈴鹿の開幕ラウンド2連戦をポールトゥウィン。トムスから華々しくデビューを果たしました。次の筑波ラウンドでは、お父様の元F1ドライバーである中嶋悟氏もサーキットへ来られ、ご両親ともにコースサイドで観戦されていました。
中嶋選手は、お父様はHondaですが、敢えてそこを避けトヨタの門を叩きました。カートからスタートし、トヨタの育成プログラムの2回目の受験となった2002年に合格(一回目はなんと不合格…)。当時のプログラム育成の頂点、F1を目指すスタートラインにつきました。
2003年フォーミュラトヨタでチャンピオンになり、2004年から全日本F3選手権で2シーズンを過ごし、2006年にトヨタの三羽烏と呼ばれた育成メンバー、中嶋一貴選手、小林可夢偉選手、平手晃平選手でヨーロッパのユーロF3シリーズに参戦しました。
プロフィールの詳細は、こちらをご参考。中嶋 一貴 | ドライバー情報 | モータースポーツ活動 | TOYOTA GAZOO Racing https://toyotagazooracing.com/jp/motorsports/driver/2021/kazuki-nakajima/
2005年は、SUPER GT GT300クラスにもスポット参戦し優勝。写真を撮りにピットに走りました。少しパドックの距離が短いので菅生で良かったです(笑)。育成プログラムの校長先生だった関谷正徳氏は、国内の場にも若い彼らがスポット参戦する場を作って、参加型レースも経験させてあげたりと、本当に力を注いでこのドライバー育成プロジェクトに取り組んでいました。
2006年11月、毎年開催されるF3の世界戦「マカオGP」にはヨーロッパから凱旋。マカオで再会しました。ちなみに土曜の予選レースでは、小林可夢偉選手が優勝、平手晃平選手が3位に入りました。
関谷さんが、彼らとのご飯に誘ってくださり同行。全く変わらずでフツーの若者でした。あ!今思い出しました、私の趣味なのですが手相を見たのを覚えています(笑)。すんごい大物になる…とあるドライバーさんに言いましたよ、そうそう。過去に占い師の方に言われたことがある!とその時にそのドライバーさんも言ってました。日本からマカオGPに参戦していたドライバーさんたちも応援しつつ、観戦を楽しみました。あれから15年の時を経て、みなさんとてつもなく雲の上の人になってしまい感慨深いです。セバスチャン・ベッテル選手がちょうどF1にデビューする前の年、BMWのサードドライバーとして走っていましたが、マカオも走っていて少しだけお話しましたね。懐かしいです。
話を戻しますが、その後中嶋選手は、2007年にF1の一つ下のカテゴリーGP2(現在のF2)に参戦します。2007年のF1最終戦で、のちにカテゴリーも全く違うWECでチームメイトとなるアレックス・ヴルツ選手の引退に伴い、ここでレギュラードライバーとしてウィリアムズからF1デビューすることになりました。2008年からフル参戦。仕事中に、F1出るんでよろしくお願いしますとサラッと連絡があり、椅子から落ちそうになりました。え?今なんて言った?…(笑)。「F1出るんで」のフレーズを全くもったいつけずに、ドラムロールが必要なくらい聞かされる私にとっても大イベントなのに、フツーに話すので、言葉に重みをつけて理解するのに時間がかかりました(笑)。照れ隠しだったのかもしれません、本人はもう覚えていないと思いますが。
2008年に初開催のナイトレース、シンガポールGPへ応援に行かなくちゃ!と張り切って行きました。はい、プライベート!サーキットは楽しいと改めて実感しましたね。当時は、Panasonicレーシングとして、トヨタ自動車もF1に参戦していましたので、写真撮りまくり。当時のトヨタは、サードドライバーが小林可夢偉選手ですね。
- (2011 SUPER GT)
2シーズンをF1ドライバーとして過ごし、2010は空白。トヨタ自動車がF1から撤退したこともあり、2011年に活動の場を日本に移しました。
彼は、F3デビュー当時からSNSには積極的ではありませんでした。どうしてもお父様の功績がついてまわりご自身が目立つ事をとても嫌っていたのです。しかし発信することも大切ですので、そこはブログだけでもとお願いしました。もちろん、そのうち中嶋一貴として戦績も残し、名が広まる事になる訳ですが。ただSNSを頑張らないことは、良い時も悪い時も彼がずっと自然体でいられたメリットではあると思いますね。
- (グリッド 当時のSUPER GTのチームメイト、ロイック・デュバル選手 翌年にはWECでライバルとなります)
- (グリッドにて お父様中嶋悟さんと当時レーシングドライバーだった弟の中嶋大祐選手 5枚全て2012年WEC富士6時間レース)
またお話を戻します。2012年WECにメーカーが復帰参戦、当時はAudi全盛時代でSFチームメイトのアンドレ・ロッテラー選手が大活躍していました。秋に初開催のWEC富士6時間レースはとても華やかでしたね。ル・マンに行けなくてもル・マン24時間気分が味わえると思い感動しました。そして、日本開催で力の入る大会となりましたが、ポールトゥウィン、耐久レース初優勝を遂げました。
- (2013年ル・マンにて 当時他メーカーで走っていた小林可夢偉選手もホスピタリティに遊びに来ていました。2015年度にはトヨタチームへ加入し共に戦うことに)
2013年に、私は初めてとなるル・マン24時間へ同行させていただき、10日間ほど裏側まで全てを取材させていただきました。その時の写真を少々。
毎年開催されているWEC富士6時間耐久レースでしたが、昨年と今年と2年連続でコロナ禍の為キャンセルになったことがとても残念です。
国内のレースは、今年のスーパーフォーミュラ第6戦がラストレースとなりました。タイトルも獲り、11シーズン駆け抜けたこのカテゴリーも、今季は2回しか出走できず残念でしたね。今月の鈴鹿公式テストでルーキーレーシングからテスト参加。これが本当に最後の走行となりました。Honda山本尚貴選手を始めとするドライバー主体で引退セレモニーが行われたことは感慨深いですね。泣かない一貴もこみ上げるものがあったようです。
心残りは、テレビ解説でサーキットに現れる彼も素敵なのですが、ハイパーカーを駆り富士スピードウェイを走る姿を見たかったです。本当に残念。日本でまだハイパーカーが走っていませんしね。
- (SUPER GT最終戦のパドックにて 同じく今季で引退された星野一樹選手とパレードランも話題となりました。またレースアナウンサーのピエール北川さんも声をかけていました)
今後は、TOYOTA GAZOO Racingの為に、TGR-Eの副会長という役職に就かれてドライバー育成やマネジメントをされていくとのこと。偉大なお父様を尊敬しつつも、少年の頃に自分で決め別の道で頑張り、育ててもらったメーカーに骨をうずめるとは彼らしい。気さくな一貴は、周囲の人たちへの接し方も昔から変わらないので、ついこちらも今まで通り接して来ましたが、そういう所も含め彼は尊敬できますし大物。たくさんの「ありがとう」を送りたいですね。本音は引退して欲しくないですが、これを最後にきっぱりそれを言うことを諦め応援します。またサーキットでお目にかかることもあるのかな?その時は、フツーに一貴!と声をかけさせていただきますね。お疲れさまでした!
〇ヘイキさんありがとう!
- (2016年シリーズチャンピオンに輝く 当時のチームメイトの平手晃平選手と)
元F1ドライバーのヘイキ・コバライネン選手が、今季でSUPER GTを卒業しました。自ら降りたカタチとなります。愛妻家のヘイキですが、コロナ禍のこの状況の中でもお正月明けにはもう来日、レースに備えてくれていました。さぞかしさみしかったことでしょう。
私は憧れのドライバーさんでした。2007年から2013年までF1ドライバーでしたが、中嶋選手と同時期のこともあったのでよく覚えています。SUPER GTに来るというのが信じられないという気持ちでした。サードの当時の経営陣に彼が日本に来る経緯をすぐ聞きに行きましたね(笑)。信じられなかったから。
- (2015年開幕目前の富士公式テストにて)
当初NOという事でもお返事があったそうです。それを口説き落としたと伺いました。東洋の国のなんていうレース?ハコ?なんだろう?だったと思います当初は。来てみたら、当然F1の環境と違う訳です。そうHondaで走ったジェンソン・バトン選手も驚いていたと聞きました。わたしたちには普通でも、セレブたちには信じられない環境だと思いますので、よく日本へ来てくださいました!という思いでした。
セレブすぎて緊張するなあと思いきや、ヘイキはこちらに合わせてくれるんですよ。タイトルを獲った時のパーティで素敵なタキシードを着て来られました。ファッションチェックをさせていただきましたが、もうね、すごかった。ブランドの名前、かつその素敵なタキシードは送られたものだったり、今思えばいつも気軽に接してくれたことが申し訳ないです。
- (2019年TGRFにて ニック・キャシディ選手もリスペクトしている様子がわかります)
ピットにいると、走行が始まると挨拶を遠慮したりして時が進んでいくのですが、気づくと必ず私よりも先に挨拶をしてくれるんです。憧れの人があまりにスマートで今でも本当に感謝しかないです。それは来日してから今季もずっとでした。
日本で最初にお目にかかった時、緊張しながら日本のSUPER GTはいかがでしょう?と、今思えばざっくり過ぎる質問をしました。クルマの台数も多いし、公式テストから沢山のファンが訪れていたことに驚いていてとても素晴らしいと、少し思い描いていたものとは良い意味で違った印象だったように話してくれました。トンカツがお好きだったことは、当時のチームメイトの平手晃平選手が発信してくれて有名でしたよね。平手選手は英語も上手でしたからチームメイトとして頼りになったことでしょう。2016年にお二人でタイトルも獲って、さすがだなあ~しかありませんでした。
- (2021年最終戦にて)
来季は、SUPER GTを離れますが、全日本ラリーに参戦予定。いつか再会できればと思っていますファンとして(笑)。Nähdään!(ナハダーン)、またね!7年間ありがとうございました!
〇WECフル参戦おめでとう!平川亮選手!
- (2017年最終戦にて)
SUPER GTを卒業して、来季はWECフル参戦ですね、おめでとうございます! 2017年、最年少SUPER GTチャンピオンにニック・キャシディ選手と共に輝きました。今般、晴れてステップアップです(過去にWEC、LMP2クラスにはフル参戦経験あり)。仲良しの一足先に世界へ羽ばたいたWRC勝田貴元選手も大喜び。彼は帰国すると、亮の応援にサーキットによく来ていました。それにチームメイトだったキャシディ選手も世界へと、周りに追いつきました。きっと来年は欧州で再会もしているかもしれません。
その他に来季はスーパーフォーミュラ(以下、SF)は同じチームインパルに残留。良かった日本に居てくれて。今季シーズン途中でWECのテストに行かれSFを欠場しました。星野一義監督は、もちろん手離したくはないのですが、SFで居なくなっても良いWECへ行ってくれと、彼を応援していました。今季は、SFはチームタイトルに貢献。来季も、ドライバータイトルを目指しましょう。
SUPER GTの最終戦では、実は注目して見ていました。最後なんだろうな~と。パドックの「噂(あくまでも噂)」は早いので…。2位となったのですが、最後の表彰式での彼の動き…、最後にキャップを脱いで深く一礼をし天を仰ぎました。強いドライバーの亮ですが、もしかすると何か胸に去来するものがあったのかもしれません。チーム内でもスタッフに挨拶している姿を見ていました。空気を読むのは得意な方だと思っていますが違うかしら…。
ドライバーさんに体制発表前に私の方から体制を聞くことは過去にも将来もありません。ただレースウィークにじゃれて来る亮はいたのですが(笑)、それがいつもの余裕のある時の亮なのでね。とにかく、最終戦は将来がある若者にいろんな思いを抱きました…。
- (2012年全日本F3選手権岡山ラウンドにて優勝やはり岡山は得意 写真:トヨタ自動車)
経歴(平川 亮 | ドライバー情報 | モータースポーツ活動 | TOYOTA GAZOO Racing https://toyotagazooracing.com/jp/motorsports/driver/2020/ryo-hirakawa/)は、こちらになります。
- (2012年夏のもてぎ)
2012年からサーキットで見て来ました。とても速いドライバーさんなので、まだ10代の彼は気になる存在でした。灼熱のもてぎラウンドでは、2位に入ったのですがレース後脱水症状起こして座り込んでいましたね。表彰式に出られませんでした。今の亮からは考えられませんね。
- (2014年SF参戦)
スーパーフォーミュラは、まだ若い頃に獲得したシートを2014年から2シーズンでいったん失ったのですが、SUPER GTのタイトルを獲得したことが後押しとなったと思われますが、2018年にSFに復帰しました。シート獲得を目指して動いている姿を前年にパドックで見かけ話した記憶がありますが、それから毎年タイトル争いに絡む走りを見せています。
- (代役参戦は、中嶋一貴選手の代わりに36号車で)
- (2015年SUPER GT開幕目前のテストにて)
- (2015晴れて開幕戦 何気にド真ん中におりますね)
- (2015年鈴鹿にて)
SUPER GTのGT500クラスは、2014年にWEC参戦の中嶋一貴選手の代役としてスポット参戦しました。これがね、全く危なげない走りで当然2015年にはレギュラーシートを獲得、同年と2016年は、岡山国際サーキットで育った彼は、開幕戦の岡山でポールトゥウィン!2017年にも岡山とタイで勝ちタイトルを獲得、2018年、2019年も開幕戦岡山で優勝。2020年は、コロナ禍で富士での開幕となりましたが、ここでも優勝しました。そしてタイトルをかけた最終戦で、まだ記憶に新しいと思いますがチェッカー目前でガス欠スローダウンという悲劇を味わいました。
- (2020年チェッカー目前でストップ、チェッカーを受けられず運ばれていく37号車)
これを乗り越える事は、なかなか辛かったと思います。ただ、若いながらキャリアを積むうちに、ご結婚されお子様も生まれてと強い味方が出来たことが、再び立ち向かう原動力になったのではと思いますね。
平川選手が抜ける来季は、GRスープラ陣営にとってかなりの戦力ダウンになるのでは?と思ったのですが、そこは速さが際立つ宮田莉朋選手が代わることとなりましたので、期待をしています。
来季の二足のわらじもWECのレジェンド中嶋選手との入れ替わりで重責です。以前、高校生時代はF1の中嶋選手が憧れだったと話していました。その彼が上司、そしてこの度チーム代表には、小林可夢偉選手が就かれます。ドライバーファーストとなった環境下、新しく迎えるハイパーカー時代で、亮が近い将来ル・マン24時間ウィナーとなるのを心待ちにしたいと思います。必ずなってね!そして、WEC富士6時間レースに凱旋してください!早期に世界情勢が良い方向に向かうことを祈念し、長くなりましたが終わりにします。
みなさん!新天地で頑張ってくださいね!
大谷幸子の近況
シーズン終わりは、見えない終わりもあちこちで迎えていたりします。切ない「the end」が多かったです。いつもと言えばいつもだけど。そして、日本人として全力で応援した、HondaさんのF1ラストイヤー。大逆転の結末は涙なみだでした。語り継がれるであろう歴史をライブでしっかり視聴しました。SUPER GTも2年連続大逆転劇で、究極の感動をもたらしてくれました。
F1最後のHondaさんとキミ・ライコネン選手。F1日本GPが開催されていたら、鈴鹿でその走りを見られていたかも? 一貴もWEC富士が開催されていたら、ラストランが見られたはず! Moto GPのヤマハのヴァレンティ―ノ・ロッシ選手の引退ももてぎで見られたはずなのに…。コロナ禍で全て見られずおしまい。人生で足りないことの1つになりそうです。
そして、レースは最後まで何が起こるかわからない…という事も重々承知なのですが、当事者の気持ちで表現するならば、「最後まで諦めるな!」ですね。実感こめて言い直す自分がいます。何事にもあてはまります。コロナ禍でも、どうにかレースが開催され沢山の感動を与えてくれました。今季は上記のように最後に失うものも多すぎて、ロス…。そんな締めくくりです。今季も本当にありがとうございました。また来年!