• モタスポコラム その32-私財を投げうって協力してくれた両親、支援が紡いだ才能、そして親として ~関口雄飛インタビュー~

私財を投げうって協力してくれた両親、支援が紡いだ才能、そして親として ~関口雄飛インタビュー~

モタスポコラム その32 2022.2.10

今でもお顔を記憶している彼は、当時まだ10代でした。話した事はなかったけれど、その頃から威風堂々とした佇まい、歩き方も雰囲気も今と何ら変わらず。若くしてスカラシップから外れるという挫折から昨年タイトルに辿りつきました。
じっくり話していたら、ますますそのブレない彼の強さに感銘を受けました。シートが全てなくなった時のお母様の叱咤激励の言葉。あの時はそうだったんだとずいぶん濃いお話になりましたけれど、とても楽しかったです。関口雄飛インタビューそれではどうぞ!

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    (2021年SUPER GT GT500クラスシリーズチャンピオン 写真:トヨタ自動車)
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    (2018年 写真:トヨタ自動車)
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    (2019年 写真:トヨタ自動車)
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    (2020年 写真:トヨタ自動車)

—————チャンピオン獲得おめでとうございます!トムスに4年間在籍していた期間のことをお聞かせください チームにいた際はどのような感じでしたか?
関口:ありがとうございます。振り返るとチームメイトに恵まれた4年間でした。
一貴さん、サッシャ、坪井選手(中嶋一貴氏、サッシャ・フェネストラズ選手、坪井翔選手)と年上から年下まで組ませていただきました。ここでドライバーとして成長できたと思います。
また、東條エンジニアの元で過ごした事もとても勉強になりました。出会いは36号車のトラックエンジニアとして、その後、全体を見るチーフエンジニアになって、タイヤ選択の際みんなが悩んで進まない時に、東條さんが喝をいれつつ最後の決断をテキパキしてくれました。長年の経験と「勘」と性格的な部分もあると思いますが、レースに必要な判断、決断力の速さを学ばせていただきました。

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    (東條エンジニアと)
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    (吉武聡エンジニア、坪井翔選手と)

—————今回の移籍についてお聞かせください
関口:移籍については、最終戦(2021年11月)に入る前に打診がありました。最終戦のレースウィークで富士に入って、東條さん、吉武さんの2人のエンジニアには、言ったらダメだったかもしれないですが…、移籍を伝えました。先にどうしても言っておきたかったんです。信頼していた2人に、全力を尽くして良いカタチで終わりたいのでよろしくお願いしますと伝えました。
結果的にスタッフとも気持ち良く終わることができましたし、チャンピオンも獲ってハッピーエンドとなりました。
そして、以前から脇阪寿一監督とはずっと一緒にやりたいと思っていました。現役時代は勝てなかったので…(笑)。TGRのドライバーは、メーカー側がヒアリングをしてくれます。走る環境などいろいろ聞いてくれるので、いつかは絶対寿一さんのもとで走りたいということを頭の片隅に入れておいて欲しいと伝えていました。きっとそのことがあったし、タイミングもあって移籍になったんだと思います。寿一さんの元でやることは、自分のプランよりは、時期が少し早かったですが(笑)、移籍のお話が来て、一晩寝て…すぐ新しいチャンレジをしようと思いました。
19号車に居た頃は、最初に寿一さんと組んだので、任せて走ることだけに集中しました。国本選手と組んでからは、マサ監督(坂東正敬監督)が作り出すアットホームなムードのもとで、タイヤ選択や戦略もタイヤメーカー、チームを含め、みんなで仲良く決めて行くスタイルでした。

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    (2015年 写真:トヨタ自動車)

—————では、以前のチームメイト、今季また組む脇阪監督は関口選手から見てどのような方でしょうか
関口:いつも近くに居て、ひとことで言うと「男気」、それがある人です。上に立つ人間と向かない人間がいると思うのですが、まさに上に立つ人間だと思います。自分がフォーミュラトヨタをやっていた時代は、接点もないしGTチャンピオンでオーラがあって近づけませんでした。当時自分は16歳くらいで、怖い存在でしたね。自分と出会った頃は、寿一さんもとても優しくて(笑)、そんな時期に出会えてよかったと思います。10年以上前で出会っていたら、自分は若造でキレられていたかもしれませんね。良いタイミングで出会いましたね(笑)。

—————寿一監督が現役を退く時にやめないで欲しいと説得に行かれたそうですが
関口:好きな先輩だし、チームメイトとして辞めて欲しくない気持ちを伝えに行きました。最終戦でファステストラップも獲っていたので、まだまだやれるのになぜ辞めるのか不思議でした。まだ沢山学びたかったし、生意気な言い方ですが、まだできるし、もう一回考えてくれませんか?と言いました。
もちろん、自分の意志だけではない環境もワークスドライバーにはあります。いろんな要素もあり後身に道を譲ったことも考えると、引退して欲しくないという気持ちはあってもそれは叶いませんでした。

—————今季は、中山雄一選手とコンビを組みますね
関口:中山選手とは、特にこれまで大きな接点がなかったのですが、SUPER GTは二人の実力が必要となります。結果を出す為に2人で協力し合ってコミュニケーションを取っていければと思っています。まだ2人で走っていないのですが、開幕前のテストで何度も顔を合わせるので、自分は全く心配していません。

移籍で新しい環境を受け入れた関口選手。「ゼッケン1番付けられませんね…」という質問には、「そこにこだわりはない」とあっさり。「また獲ればいいわけですからね」。
さすがだ。さあ、関口選手をここからもう少し深堀します。彼のルーツを探る質問をいくつか投げかけました。

—————レースを始めたきっかけは何でしょう?
関口:カートから始めたのですが、その時は子ども用のカートがなく、大人のカートをペダルを手前にして乗っていました。セナプロ時代、地上波でやっていたF1が大好きで父と見ていました。ある時、雑誌で4、5歳から始められる子ども用カートが出来ましたという広告を父親が見つけてくれ、乗りたい?と聞いてくれて、それが本格的に始めるきっかけとなりました。小1か小2だったと思います。中井インターサーキット(神奈川県足柄上郡)や子ども用カートを制作している会社が持っていたのが桜土浦のレオンサーキット(茨城県つくば市)なのでそこで走っていました。桜土浦は、中山雄一選手やホンダの山本尚貴選手もそこの出身ですね。

負けず嫌いのカート少年たちは、2位以下だと悔しさから全身で泣いてる姿を見たことが何度もあります。この闘志が将来生きるんだなと思うのですが、関口少年は、泣いた記憶が無いそう。
最初から一番ばかりを取っていたからとのこと。たくさんの子どもたちといきなり走って常に1番。その才能に気づいたお父様はいろいろ調べて協力してくださいました。

—————そうなるとやはり高みを目指して次なるステップを考えますよね
関口:カートまではやらせてもらえたけれども、4輪のレースをやるにあたりを両親が全額サポートできる金額ではなかったので、メーカーの育成に乗せることを考えてくれました。ホンダとトヨタを検討。当時トヨタがF1をやっていたので、F1ドライバーを目指してFTRSのオーディションを受け合格しました。前年にオーディションに合格していたけれど、まだ16歳になっていなくレースデビューしていなかった大嶋和也選手が同期となり、冬に一緒に練習を始めて次の年に揃って4輪デビューをしました。

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    (2007年 全日本F3選手権参戦 写真:トヨタ自動車)

—————デビュー1年で挫折を味わうことになりました
関口:SUPER GTのGT300クラスを坂東正敬監督のチームでデビューし、同じ年F3をやって、一年でトヨタのスカラシップから外れました。そのあとは紹介していただいたホンダさんでオーディションを受けました。この時ホンダさんとはテスト契約のみを結びました。その前月にイタリアのモンツァでインターナショナル・フォーミュラ・マスターのテストを受けていました。エンジンがホンダのS2000と同じだったので、チャンピオンになると、F1のテスト、タイトルを獲らなくてもインディやWTCCへのチャンスが広がるものでした。

関口:もちろん資金が必要で一度諦めたのですが、また急に状況が変わり12月に行けるチャンスがうまれ、ホンダさんにはお断りして参戦を決めました。2008年イタリアに住んで1年でリーマンショックが起きました。
シーズンが終わり2009年の活動を目指し、チームも自分もスポンサー活動をしました。自分は3月の一週目くらいまでイタリアにいたのですが、最終的に参戦を断念し帰国しました。

関口:結局、1年のみのシーズンで、ぎりぎりまでイタリアにいたため、帰国しても全く乗るところがありませんでした…。当時はGP2(現在のF2)に参戦することを夢見ていました。あの当時だと2億円くらいでフル参戦出来きたのですが…、まあ全て終わったと思い、やる事もなくダラダラしていました。
実家に住んでいたのですが、母親に「今まで私財を投げうって協力して来たのに、乗れないのは仕方ないけれど、最後まで努力をしないのは失礼でしょう。今、やれることをとにかくやりなさい」と言われ、それもそうだと思い、飛び込みでスポンサー営業をしました。

関口:振り返ると、当時支援してくださったスポンサー、チームは沢山ありました。 その支援に結果で恩を返し、走り続けて来ました。ただレース活動はスポンサー事情も当然あり、助けていただいてもまた失うの繰り返し。いつもギリギリの所で頑張っていました。海外のカテゴリーへの足がかりとなるようマカオグランプリにも参戦するなど、あらゆる方面への努力も惜しみませんでした。

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    (2011年たくさんの方に助けていただき、全日本F3選手権チャンピオンを獲得)

2011年に全日本F3選手権でチャンピオンになった後のマカオグランプリ。一時2位を走ったことでまたチャンスが産まれ、2012年日産の育成ドライバーにも抜擢されました。
2013年にはSUPER GTでGT500クラスのシートも得ましたが再び一年で失うこととなりました。

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    (2016年坂東監督、国本雄資選手と共にタイにて優勝を飾る 写真:トヨタ自動車)

ここで以前お世話になった坂東正敬監督から声がかかります。監督のチームも2011年にGT300からGT500クラスへステップアップしていました。急遽、オフシーズンのセパンテストに参加。当時のLEXUSのシートを得しました。以前、GT300クラスのマサ監督が監督デビューした時の最初のドライバーだった関口選手は、また彼とタッグを組むこととなりました。この時のチームメイトは脇阪寿一監督。これが2014年。
その後、チームメイトは国本雄資選手に変わり、2人でチームの戦績を引き上げ4年在籍したのち、トムスへと2018年移籍しました。

ここまで遠周りにも見えた道程。以前、まったくそんな事は思ってないという本人談の記事を目にしたことがあります。そのことを質問すると、結果論でそんなことを言ったのかもしれないと謙虚(笑)。シートが途切れていたら、今はなかったわけで…、と沢山の方への感謝は常に思っているのがよくわかりました。そこが雄飛だね…。次は、最近のプライベートについて伺いました。

—————最近、ドライバー育成も頑張っていらっしゃいますよね?
関口:ジュニアドライバーです。小学校高学年から中1中2の4輪に上がる前の一番大事な時期のお子様を預かっています。チームを持ってとか機材を買ってという訳ではありません。コーチングとマネージメントをしています。ドライバー側について、彼らの進むべき方向についてアドバイスをしています。
1月、2月は寿一さんも参加しているオフシーズンのアスリートの合宿に合流させていただいてます。そこには、プロが集まってトレーニングを行っています。プロがこれだけ頑張っているから、まだプロではない子どもたちはもっと頑張らないといけないということを教えたくて…。現場に一緒にいることが一番効果があると思うし、走る以外のことも教えたくて寿一さんに協力してもらっています。

—————息子さんも将来レーシングドライバーという道をお考えですか?
関口:今、自分が教えている子どもたちがいるので、教える時間はないです。息子は夏休みなどの合宿に行くときに家にいてもしょうがないので連れて行っています。あくまでも預かっている子どもたちが優先です。そんな何人も見られませんので。息子は何もない時だけ見てあげています。レーシングドライバーにしようとは今は考えていません。ただ、スポンサーさんのご厚意で使用できなくなったカートを使っていいよと言っていただいたので、それをお借りしています。息子は気に入ったようで楽しい楽しいと続けています。
憧れを持っていて、レーサーになりたいと言ってくれていますが、レーサーにさせたい訳ではないです。かっこいいと思ってくれるのはうれしいけれど…、今、才能を見極めているところです。自分のコだから、もちろんかわいいのでお金をかけてあげたい気持ちはあります。息子の「才能」にお金をかけたいので、レースの才能を親の目で見極めてみて、ダメなら、他のこと。例えば留学や起業などで力になってあげるという事も考えています。それは本人にも話しています。

私が夏のサーキットでお見かけしたとき、お父さまがマシンに乗り込むシーンをじーっと見ているんです。その眼差しは、お父さんというより、憧れのドライバーに向けるまなざしでした。それをまた、星野一義監督が目を細めて見ていましたね…。

—————自分が息子さんと同じくらいの時にはどんなことを考えていましたか?
関口:年齢が上がっていくにつれ、全国からライバルが現れました。和也や可夢偉が出てきて、いつも勝てる訳ではなくなりましたが、絶対自分では頑張れると思っていました。

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    (2018年マカオグランプリにて レース中にハプニングが起き長い赤旗の時間にトムスのチームクルーのところに来ていました)

—————マカオグランプリに積極的に参戦されていましたね
関口:マカオに拘った理由は、F1には無理でもDTMなどヨーロッパで活動したい思いがあったので参戦していました。だいぶ年齢も周囲より上がりましたが、F3のシートが無い時でもマカオで乗ることで感覚的にも一週間戦って取り戻したいと思い挑戦していました。

—————憧れのドライバーさんは誰ですか?
関口:特にないですね。自分は自分なんで、コピーじゃなくて、いろんな選手から学ぶことが多いです。チャンピオン獲って結果出して、自分を全部最強にしたい。人間なんて絶対どんなドライバーでも得意不得意もあるし、自分はそれを全て100にするのが目標です。

—————プライベートでお付き合いしているドライバーさんはいますか?
関口:今、業界にいるドライバーで仲の良いのは、可夢偉(小林選手)と雄資(国本選手)ですね。心置きなく、いろんな話をしています。遊びに行ったり、お互いなんでも話しています。その2人はとても信頼しています。

—————ヘアスタイルがいつもキマっていますね
関口:明るい色と短いヘアスタイルが好きです。顔は変えられないけど、かっこよく見せたいから…。ぼさぼさでは行きたくないですよね。僕は男がかっこいいと思うスタイル、アスリートで言えば強いとか…できる限りそういう事にこだわりたいと思っています。

—————音楽をよく聴いているイメージがあります
関口:ヒップホップは、高校生の頃から聞いています。イタリアから帰ってきて、シートが何もなくなった時、19歳だったのですが、実家に住んでいてさすがに親から小遣いをもらう訳にはいかず、アルバイトをしながらずっと聴いてました。そこで更に好きになったということです。

—————好きな食べ物は?
関口:ラーメンです。ジャンルなどの拘りはないです。でも、カップラーメンは嫌いで仕方なく食べていたりします。レースウィークに食べるお弁当が冷たかったり油ものがあったりするのが苦手で、特に生野菜と一緒にオレンジが入っていたりが無理…。カップラーメンとかパスタを買って食べている時もあります。

—————ゲン担ぎをしていますか?
関口:一昨年にタイに行って、ムエタイジムを紹介してもらって、ちょっとやっていたのですが、その時に日本で紹介してくれた方の繋がりでタイのお守りをいただきました。通った学校はキリスト教でミサもあったのですが、都合の良い時だけお願いするのはどうかと思っていたし、信じていれば心の中に神様はいるだろうし。だから、一切そういうのは信じないのですが、タイのお守りを持っていたら戦績が良かったのでカバンに入れています。

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    (写真:トヨタ自動車)

—————今季の抱負をお願いします!
関口:スーパーフォーミュラでは、チームチャンピオンは取れたのですがドライバーチャンピオンを獲れていないので、そこも一緒に獲れるよう戦って行きたいです。
SUPER GTは、移籍するチームを引き上げたいです。トムスの時は、チームは出来上がっていたのでドライバーが引っ張るということをしなくても良いチームでした。サードで自分は35歳になりますので、みんなを引っ張っていくことを考えています。今まで以上にミーティングからチームで費やす時間を増やしていきたいです。
ダメでも投げ出さないで、この気持ちをずっと維持していきたいです。時間がかかっても良いので、絶対このメンバーでチャンピオンを獲りたいです。自分が培って来たものと情熱を注いで頑張りたいです。サードに来てくれてありがとうというムードで迎えてもらっていて、とてもうれしいんです。好き嫌いの激しい自分ではありますが、こんな風に迎えられたら、その気持ちに応えたい。精一杯頑張りますのでよろしくお願いします!

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    (写真:トヨタ自動車)

ありがとうございました!とても長い時間、インタビューにつき合わせてしまいました…。ゼッケン1に拘っていたのは、私だったのですが、そんな事より最後の言葉はとても勢いがあってね、こちらまでワクワクしてしまいました。まっすぐで熱い雄飛は、ずっと変わらない、最後に思ったのがそれでした。新天地で頑張ってくださいね!