NEXT GENERATION ラリーで世界の道を切り拓け! ―北欧フィンランドで奮闘する若きアスリートたち―

世界で戦えるドライバーになりたい。

異なるバックグラウンドを経て、今は「ラリーチャレンジプログラム」に打ち込む彼ら。
そろそろ本題の「ラリー」に話を移そう。彼らは、なぜ「ラリー」を選択したのか。
彼らの答えは非常にシンプルだった。

レーサーの勝田貴元はラリードライバーへの転向、
そして「ラリーチャレンジプログラム」への挑戦の理由をこう話してくれた。

「小さい頃からカートを始めて、その時から世界で通用するドライバーになりたいっていうのが大きな目標でした。そこに向けて一番良い方法を考えた時に、トヨタがラリーに力を入れていくということを知って、直感的にラリーに行くべきだなと感じました。世界で活躍できる選手になりたいっていうのが夢だったから、自分にとって現実的な方法を考えた時にそれがラリーだったのです」

勝田は、サーキットを舞台に行われるレースでずっと戦ってきた。トヨタの育成ドライバーだった2011年には若手が集うフォーミュラカーのレース(FCJ)でチャンピオンになり、その世代ナンバーワンに輝いた。プロのレーシングドライバーとして充分な素質をチャンピオンという形で証明した将来有望な選手だった。にも関わらず、ラリーを選択したのはなぜか。「現実的な方法」という表現を勝田は

使っているが、彼が目標としているのは日本の同世代の中で一番になることではない。彼の大きな目標はあくまで「世界の舞台」。サッカーや野球の日本代表戦に同世代の友人たちが熱狂するように、自分自身も日本代表として戦いたい。そう思い続けてきた時、トヨタが2017年からラリーの世界最高峰「WRC(世界ラリー選手権)」への参戦を発表。時を同じくして若手のラリードライバーの育成を行う「ラリーチャレンジプログラム」の実施がアナウンスされた。

「自分の実力で、世界で活躍できる選手になりたい」。
そこに強いこだわりをもった勝田は、迷わず「ラリーチャレンジプログラム」のオーディションにエ

ントリーし、フィンランドで行われた最終選考に挑んだ。だが、ラリーとレースの世界は似て非なる別物。
トヨタの育成ドライバーだからといって、そこは過去の実績やトヨタとの関係など全く通用しないフィールドだった。それでもサーキットで培ったドライビングテクニックを活かしながら、プロジェクトのイスを勝ち取った。

「今までずっとやっていたレースをゼロにして、ラリーに行こうって決めたからには、全てをそこに集中していこうと思っていたんで。合格した時は、嬉しさって言うよりも、これからもっと今まで以上に厳しい世界だから、と自分に言い聞かせました」

一方の新井は、ラリーへの挑戦についてこう語る。

「免許を取ったばかりの頃は祖父の軽トラを借りて毎晩、友達とドライブに行ってて。そこからクルマが好きになりました。ラリーを始めたきっかけは、友達から『ラリーやってみよう』と勧められて、小さいラリーの走行会に出させてもらったことからですね。車で走るのが好きで、苦にならないんですよね。雨が降ってもどんな環境でも走りたいなと思うんですよね。楽しくて仕方ないなって(笑)」

屈託のない笑顔でそう語る新井。クルマ好きの友達と軽トラでラリーに出場したのが彼自身のラリーの始まりだ。運転免許を取ったのが19歳。そこから彼は軽トラも自分で整備するようになり、全日本ラリー選手権にも出場し、短期間でクルマの知識とラリードライバーとしての実力を磨いていった。

クルマが大好きな自分が、どこまで行けるのか。そう思った彼は、「ラリーチャレンジプログラム」にエントリーし、当時彼が憧れていた

サッカー界の若きスーパースターのように、他のライバルを差し置いて、用意されたイスへ一気に駆け上がったのである。

「軽トラを運転しながら友達と遊んでいたちょっと前までは、自分がここにいることなんてとても想像

できませんでした。でもやるからには、一つ一つ学びながら、少しでも成長できるように頑張りたいです。
まだまだ、ドライバーとしては未熟ですけど、いずれは世界で闘えるようなドライバーになりたいですね」

サッカー、野球、オリンピック種目などで世界大会に出場するレベルの選手に20歳前後から競技を始める選手は少ない。また他のスポーツから転向して成功する例も非常に稀だ。
新井は19歳からクルマの運転を始め、勝田は21歳で転向した。
日本人の多くにとっては、未開のスポーツジャンル、ラリー。
19歳からでも目指せる世界の頂点。彼らはその道を今、走りだした。

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NEXT GENERATION ラリーで世界の道を切り拓け! ―北欧フィンランドで奮闘する若きアスリートたち―

世界で戦えるドライバーになりたい。

異なるバックグラウンドを経て、今は「ラリーチャレンジプログラム」に打ち込む彼ら。
そろそろ本題の「ラリー」に話を移そう。彼らは、なぜ「ラリー」を選択したのか。
彼らの答えは非常にシンプルだった。

レーサーの勝田貴元はラリードライバーへの転向、
そして「ラリーチャレンジプログラム」への挑戦の理由をこう話してくれた。

「小さい頃からカートを始めて、その時から世界で通用するドライバーになりたいっていうのが大きな目標でした。そこに向けて一番良い方法を考えた時に、トヨタがラリーに力を入れていくということを知って、直感的にラリーに行くべきだなと感じました。世界で活躍できる選手になりたいっていうのが夢だったから、自分にとって現実的な方法を考えた時にそれがラリーだったのです」
勝田は、サーキットを舞台に行われるレースでずっと戦ってきた。トヨタの育成ドライバーだった2011年には若手が集うフォーミュラカーのレース(FCJ)でチャンピオンになり、その世代ナンバーワンに輝いた。プロのレーシングドライバーとして充分な素質をチャンピオンという形で証明した将来有望な選手だった。にも関わらず、ラリーを選択したのはなぜか。「現実的な方法」という表現を勝田は使っているが、彼が目標としているのは日本の同世代の中で一番になることではない。彼の大きな目標はあくまで「世界の舞台」。サッカーや野球の日本代表戦に同世代の友人たちが熱狂するように、自分自身も日本代表として戦いたい。そう思い続けてきた時、トヨタが2017年からラリーの世界最高峰「WRC(世界ラリー選手権)」への参戦を発表。時を同じくして若手のラリードライバーの育成を行う「ラリーチャレンジプログラム」の実施がアナウンスされた。

「自分の実力で、世界で活躍できる選手になりたい」。
そこに強いこだわりをもった勝田は、迷わず「ラリーチャレンジプログラム」のオーディションにエントリーし、フィンランドで行われた最終選考に挑んだ。だが、ラリーとレースの世界は似て非なる別物。
トヨタの育成ドライバーだからといって、そこは過去の実績やトヨタとの関係など全く通用しないフィールドだった。それでもサーキットで培ったドライビングテクニックを活かしながら、プロジェクトのイスを勝ち取った。

「今までずっとやっていたレースをゼロにして、ラリーに行こうって決めたからには、全てをそこに集中していこうと思っていたんで。合格した時は、嬉しさって言うよりも、これからもっと今まで以上に厳しい世界だから、と自分に言い聞かせました」

一方の新井は、ラリーへの挑戦についてこう語る。

「免許を取ったばかりの頃は祖父の軽トラを借りて毎晩、友達とドライブに行ってて。そこから車が好きになりました。ラリーを始めたきっかけは、友達から『ラリーやってみよう』と勧められて、小さいラリーの走行会に出させてもらったことからですね。車で走るのが好きで、苦にならないんですよね。雨が降ってもどんな環境でも走りたいなと思うんですよね。楽しくて仕方ないなって(笑)」
屈託のない笑顔でそう語る新井。クルマ好きの友達と軽トラでラリーに出場したのが彼自身のラリーの始まりだ。運転免許を取ったのが19歳。そこから彼は軽トラも自分で整備するようになり、全日本ラリー選手権にも出場し、短期間でクルマの知識とラリードライバーとしての実力を磨いていった。

クルマが大好きな自分が、どこまで行けるのか。そう思った彼は、「ラリーチャレンジプログラム」にエントリーし、当時彼が憧れていたサッカー界の若きスーパースターのように、他のライバルを差し置いて、用意されたイスへ一気に駆け上がったのである。

「軽トラを運転しながら友達と遊んでいたちょっと前までは、自分がここにいることなんてとても想像できませんでした。でもやるからには、一つ一つ学びながら、少しでも成長できるように頑張りたいです。
まだまだ、ドライバーとしては未熟ですけど、いずれは世界で闘えるようなドライバーになりたいですね。」

サッカー、野球、オリンピック種目などで世界大会に出場するレベルの選手に20歳前後から競技を始める選手は少ない。また他のスポーツから転向して成功する例も非常に稀だ。
新井は19歳から車の運転を始め、勝田は21歳で転向した。
日本人の多くにとっては、未開のスポーツジャンル、ラリー。
19歳からでも目指せる世界の頂点。彼らはその道を今、走りだした。