ニュルブルクリンク基礎知識

ニュルの厳しさは、伝説のF1レーサーを、
生死の淵まで追い詰めた。

世界の自動車メーカーのテストコースとして、そして24時間レースの舞台として、厳しく極限の場所であり続けるニュル。ここでは世界最高峰のスプリントレース、F1も幾度となく開催されてきました。 サーキット完成より間もない1927年から行われ、舞台となったのは北コース。ですが、世界一過酷と言われる北コース はF1ドライバーにも容赦なく牙を剥きました。特に、マシンの高速化からニュルのコースレイアウトが危険すぎるとの意見が出ていた1976年、フェラーリで2年連続チャンピオンを目指していたニキ・ラウダを襲ったレース中のクラッシュは凄惨なものでした。その後、彼は奇跡の復活を果たしたものの、一時は生死の淵をさまようほどのダメージを負います。

この時代のF1の世界を中心に制作された映画「ラッシュ/プライドと友情」が2013年に公開。F1ファンだけではなく多くの人々の話題を集めました。この映画のなかには当時のニュルを映した貴重な映像も出できますので、各シーンからもニュルの歴史を感じることができます。 ニキ・ラウダの事故の影響もあり、1976年のレースを最後に長らく開催が途絶える事に…。90年代に入るとコースを変え、新設されたグランプリコースを使用して再びF1は開催されましたが、F1の開催が途絶えていた時代も24時間レースは継続して行われていたという事実も忘れてはいけない大きなトピックです。 そんなニュルの北コースを昨年、1994年にドイツ人として初めてF1チャンピオンになった「皇帝」ミハエル・シューマッハがF1マシンでデモ走行。シューマッハの雄姿に、そして北コースを走るF1マシンに大きな声援が送られました。