2007年から始まったニュルブルクリンク24時間
レース挑戦の歴史を振り返る
豊田章男と成瀬弘。育ちも立場も世代も異なる二人だが、ブレない共通した考えがあった。それは販売台数を求め、「いいクルマ」より「売れるクルマ」を重視するようになった当時のトヨタを正しい方向に戻すことだった。
その手段とは「モータースポーツを通じて人とクルマを鍛え、もっといいクルマづくりに繋げること」、つまりトヨタ創業時の“原点”に戻ることだった。そのステージとして選ばれたのがニュルブルクリンク24時間耐久レースである。
2007年のニュル24時間の初挑戦から10数年、マシンは大きく変化した。初参戦時のマシンはアルテッツァ。このモデルは2005年に生産が終了しており、中古車を購入して製作が行われた。
体制もトヨタの名を使うことを許されず、例えるならば「同好会」レベルと言える状況だった。すべてが初めての経験だったと言える。
モリゾウこと豊田章男は当時のことをこのように振り返っている。 「トヨタはニュル24時間レースに向けて中古車でトレーニングを行い、中古車で参戦しました。しかし、他の自動車メーカーは2 ~ 3年後に出るであろう、ニューマシンで参戦していました。当時、私と成瀬さんは、『トヨタはいつも“抜かれる”クルマではなく、“抜く”クルマもつくりたい。そして、そんなクルマでレースに出たい!!』と思っていました」。
その歴史は年代ごとに詳しく記載しているのでそちらを見てほしいが、ニュルは時に微笑み、時には牙をむき、さまざまなドラマや課題をチームに与えてきた。
しかし、初参戦以来変わっていないのは、このレースへの参戦の目的だ。それは、世界で最も過酷と言われるコースで行われる24時間の極限のレース活動が「もっといいクルマにするための開発の場」であり、参戦することで「クルマ・人・チーム」を鍛えるということだ。
要するに、レースというとても短いスパンの中で、失敗を含めた多くのことを経験し、数値や机上の論理では見えない何かを感じ取って改善に繋げること。つまり、モータースポーツという場を使った究極の人材育成の場というわけだ。
そして、この活動で最も大事なのは、これがゴールではなく「もっといいクルマづくり」のスタート地点であることで、この活動はこれからも続くということだ。