時代は昭和50年代後半、オーナーの佐々木は当時35歳。
自動車の鈑金会社を設立してから数年、会社も軌道に乗り始めた頃、一台のダートトライアル車輛が入庫した。
『走る場所が無い』と持ち主から相談を受けた事がきっかけとなり、会社を経営する傍ら、自ら重機のレバーを握り造成を始める。競技車が走行する際に出る騒音を気にし、近隣住民に相談すると、地域おこしへの思いが通じ、快諾してくれた。
小さなイベントから始まり、開催する毎にコースを延長する作業が続く。
こつこつと拡張を重ね3年が経つ頃、ついに初めての全日本戦がやって来る。
予想をはるかに超える数千人の観客が来場。住民からの『この地域にこれだけの人が集まるのは初めて』の声が嬉しかった。
しかし、開催日だけにぎわっても仕方ないという事を考えていた。『過疎化』という現実が身近に迫ってきている危機感があった。次の世代の人たちの為に何かしなくては・・・
それからは毎年全日本戦も開催され、全国から沢山のドライバー達が集まった。
新しく作ったコーナーには、初めて転倒したドライバーの名前や看板スポンサーなどの名前が付けられていく。カジオカコーナー、アヤベ・キャロッセコーナー、モンテカルロコーナー、松茸が生えていたので『まったけ山』など。
テクニックステージタカタはいつしか、全国屈指のコースとも囁かれるようになっていた。
こだわり抜いたのは「完全砂利のコース」そして徹底した日々のコース整備。
安全に楽しく走れる、車を壊さない路面造りをひたすら続けて来た結果、ハイスピードでコーナリングできるコースと喜ばれるようになり、高速S(エス)という、高いスピードで駆け抜けるS字のカーブがタカタの代名詞となった。
定期的に地区戦・ダートトライアル練習会・タイヤテストそして全日本戦などが開催されるようになっても、地域に対する危機感は消えない。
そんな時、ラリーチャレンジ開催の話が届いた。
テクニックステージタカタ(グラベルコース)とTSタカタサーキット(ターマックコース)をSSに利用し、SSを出たら地元の道をラリー車が周回する。セレモニアルスタートは、地元の市役所で行うという案に胸が高鳴った。
地域の方にモータースポーツを知ってもらい、エントラントの方には地域を知ってもらえるチャンスだと思った。
もう一つ胸を躍らせたのは、その大会にモリゾウ選手のエントリーがあるかもしれないという情報だった。モリゾウ選手には以前からコースを数回利用してもらっていた。もちろんその事は周囲にも秘密にしていたが、関係者からのコース予約が入る度、その日に向けて普段以上にコース整備に力が入った。少し声をかけられるだけで報われ、感謝のメッセージを頂いた際には疲れが一気に飛んだ。そして「必ずまた来ますから」という言葉を思い出す度、力が沸いた。
いよいよラリー開催当日、「モリゾウ選手がこの町にやってくる!」の影響力は絶大だった。セレモニアルスタートにも沢山の地元住民やモータースポーツファンが集まった。
全て、この日の為にやってきた気がした。
しかしそれでゴールではない。
2021年、また新たな発想が降りてくる。「WRC(世界ラリー選手権)のSS(スペシャルステージ)のようなコースを造ってみたい!」
新しい山を開拓する事に決めた。相談に向かった先の山主にも、熱意が届いた。「この地域はあんたに任せる。思うようにやってみろ。」
頭の中にあるイメージを基に、数十年の運転を重ねた機械さばきで、山を削り、谷を埋める。目標は2022年開催のラリー選手権で新しいコースを使ってもらう事だった。
全長はおよそ3キロ、トップスピードは時速140キロ。アップダウン、コーナリング、そしてジャンプ、考えるだけでワクワクするようなコースになってきた。
今も更に先の事を考えている。
コースだけ残っても仕方ない。競技が生き残らなければ。
競技があれば人が集まり、人が集まる事で地域に貢献できると信じている。
いつも道はキレイにしてお客様をお迎えしたい、周辺の道路を掃除して回り、歩道にかかる草を刈る。
人が助けてくれるのを、指を咥えて待っていては、遅い。自分達でやらなくてはならない。
競技業界も若者への後押しを始めた。ラリー、ダートトライアル、ジムカーナ参加者への育成支援プログラムなど競技への支援をしている。年齢制限はあるもののどんどん活用して欲しいと願う。
自分だけが嬉しいのではなく、皆が喜ぶ事を望む。地域にも、モータスポーツにも。
「やっておけば良かった」なんて事は無いようにしたい。
雨の日も晴れの日も、建設機械のレバーを握る。~ 今日も最高のステージ造りは続く。
筆者 佐々木優子
https://www.takata-gr.com/testa/