崖っぷちから掴み取った頂点 中編(2/2)
「最終戦に巻き返せるという自信」
チームメイト同士の争いも
データは共有するというチームの方針
―― シーズン途中、国本選手のポイントに石浦選手が追い付いてきまいた。国本選手はこれを意識していましたか?
国本
石浦さんがポイントを重ねて近づいてきたときには「来たな」と思いました。ほとんどのレース、予選では石浦さんが前だったので本当に危機感があって「どうにかしないとな」と思っていました。
それでも、ウチのチームでは基本的なデータのやりとりはお互いにしているんです。岡山は石浦さんがすごく速いので、僕もよく研究させてもらいました。第5戦の岡山は研究の結果です。いつも予選では石浦さんが前にいるんだけど、レース1の予選は2位とうまくいって石浦さん(8位)より前に並べて満足でした。でもレース2の予選は石浦さんが2番手で僕は6位、すごく合わせ込んできたなあと思いましたね。
岡山国際サーキットが得意な石浦のデータを見て研究していた
石浦
あのレースウィークは走り始めから国本の方が速くて。僕は岡山に得意意識があったのに歯が立たなくて、最終的にはセットをまるまるコピーさせてもらいましたよ。丸コピーではいきなり完璧とは行かないんだけど、2回目の予選は自分の好みに近づけてうまくいきました。
チャンピオンとして(セカンドドライバーのデータを)丸コピーをさせてもらうのは言いづらいものですが、エンジニアも含めてそれをやってくれるのが、うちのチームなんです。やりたいと言ったらやらせてくれるのが、うちのチームの強みだと思うんです。
浜島 岡山のレース2、ピットインのタイミング(1周目で入った)は国本君が自分で提案してきたんだよね。「スタートでジャンプできなかったらすぐ入ります」と自分で決めて自分で入ってきた。
石浦 実際あのレースは5周目くらいには決着がついていて、見えないところで国本はピットが終わっていてどんどんいいペースで走っていて、僕はピットに入らないうちにペースカーが出て取り返しのつかない方向へ動いてしまった。
国本
あのレースでの初優勝は嬉しかったですけど、別にその後で何かが変わったわけでもなくて。やはり、危機感はずっと持ち続けていました。ピットインのタイミングで自分が前に出ただけで、本当の速さで勝ったわけではないですから。
予選でポールをとって、決勝ではそのまま逃げ切って勝ったのであれば自信がついたのかもしれないけど、勝っても「もっと速さが必要だ」と思いました。
―― タイトル争いも大詰めの第6戦SUGOではチーム自体、苦戦に陥りましたね。
立川 なんとなくダメということはあるけれど、あそこまでダメ(※4)なのは珍しいよね(笑)。ただ、そのときから僕は「うちのクルマが一番合わないのが、SUGOだったというだけ」と割り切っていました。それに、最終戦の鈴鹿では「こんな状況にはならない」という自信があったんです。
(※4)・・・予選Q1で国本が、石浦もQ2で脱落。決勝も国本15位、石浦16位と下位に低迷した。
国本
SUGOであんなに苦しい思いをするとは思わなかった。もう少し楽な状態で最終戦に行きたかったんだけど、走り始めからダメで予選もQ1で落ちて、まったくまともなレースができなかった。一方で、ITOCHU ENEX TEAM IMPULの速さには驚きました(※5)。
でも鈴鹿は毎年すごく調子のいいサーキットなので、開幕戦でも速かったし、最終戦の鈴鹿へ行けばまったく違う状態で戦えると思っていました。
(※5)・・・予選ではNo.20 関口雄飛がポールポジション。決勝もセーフティカーが出たことで、ピットインのタイミングを逸して不利な状況となるが、それを跳ね返して、結果的には独走優勝した。
<中編 あとがき> 浮き沈みが激しかった今シーズン中盤のP.MU/CERUMO・INGING。しかしそれは彼らだけでなく、今季のスーパーフォーミュラが非常に厳しい1年であったことを表しています。最終戦鈴鹿は国本選手がランキング2位、石浦選手が5位、ともにチャンピオンの可能性を残して挑むことになります。自信があったと言う鈴鹿ですが、タイトルを争う2人を抱えるチームはどんな状況だったのでしょうか? また、両選手の心境は? 最終回となる後編では、緊迫の最終戦の模様を語っていただきます。