チャンピオンの肖像 ~7人の証言者が語る石浦宏明のスピリット~(前編)
「普段はクールに、そして時に発露する情熱」
2度目のチャンピンとなった石浦宏明選手を語っていただく1番手は、チーム総監督として、彼を間近で見てきた浜島裕英さん。続いて、石浦選手をファインダー越しに毎戦見つめる全日本スーパーフォーミュラ選手権オフィシャルフォトグラファーの小林稔さん。石浦選手が若き時にステップアップを支援したレーシングドライバーの服部尚貴選手。立場や付き合い方の違う3人は、チャンピオン石浦選手をどう見ているのでしょうか?
※ストーリー中では証言者の皆さんの敬称を略させていただきました。
石浦宏明(No.2 P.MU/CERUMO・INGING SF14)は、2017年全日本スーパーフォーミュラ選手権でシリーズチャンピオンとなった。2015年に続く自身2度目の栄冠である。今年石浦がチャンピオンとなった最大の要因について、石浦が所属するP.MU/CERUMO・INGINGのチーム総監督を務める浜島裕英監督はこう語る。
「チャンピオンになるんだという意思の強さが最大の要因だったと思います。去年は、チャンピオンが獲れそうだったのに最終戦で逃しました。あのとき、あまり表には出しませんでしたが石浦選手は相当悔しがっていたんです」
一般に、石浦選手はどんな場面でも冷静で状況を落ち着いて受け流すタイプの人物だと言われがちだ。しかし戦いの現場を見守っている浜島は、石浦の別の面を見ている。
「外見は冷静な石浦選手ですが、実は中に秘めているモノは相当強いんです。マイケル(ミハエル・シューマッハー)でも(セバスチャン)ベッテル※1でもそうだけど"勝ちたい""チャンピオンを獲りたい"というターゲットをしっかり持っている。その意思はすごいですよ。去年の鈴鹿で予選が黄旗でダメになったとき※2も、彼にしては珍しく手袋を投げたりして怒りを露わにしていました。ただ、彼は大人なので、そういう態度をやみくもに表に出したりはしません。日常の自分と闘う自分は違う。気持ちをきちんと切り替えてレースをしているんです」
※1:ミハエル・シューマッハーとセバスチャン・ベッテルは共にF1チャンピオン経験者で、フェラーリでもドライバーを務めた。F1タイヤのアドバイザーで、フェラーリにも所属した浜島氏がよく知るドライバーでもある。
※2:2016年開幕戦鈴鹿の予選Q1でアクシデントがあり黄旗(追い越し禁止)が出た際に、やむを得ない追い越しをした石浦もペナルティが課せられて結果Q2へ進出できなかった。
レースの戦況を見守る浜島裕英総監督
今年、シリーズチャンピオンを獲得するにあたって大きな意味があったレースはシリーズ第4戦ツインリンクもてぎでのレースだったと浜島は指摘する。予選で石浦は奮わずスターティンググリッド17番手と苦境に立たされた。だが決勝レースではなんと4位にまで驚異的な追い上げを見せたのだ。浜島は言う。
「予選での天候に足をすくわれたということもあったんですが、もてぎでは後ろからひたひた行くしか道はないと割り切っていたと思います。自分に残されたチョイスはそれしかないと。彼は頭がいいドライバーだし、年を取ってから道が開けたということもあって、年間のミッションはこれ、このレースのミッションはこれ、決勝レースでのミッションはこれ、とその場その場でやるべきことがわかってレースをしていると思います。もてぎでも、そのとき自分が何をするべきなのか理解して決勝では我慢するレースをするしかないと考え、狙い通りのレースをしたんです。その辺は非常に冷静です」
石浦は自分が置かれた状況を分析、理解してそのとき最善のレースをすることによって結果を着実に残し、2度目のシリーズチャンピオンを獲得した。だからといって石浦が自分のことだけを考えているわけではないと浜島は言う。
「石浦選手は、レーシングドライバーの自分だけではなくP.MU/CERUMO・INGINGというチームを強くしたいという意思も持っていて、いろいろな意見をしてくれます。自分が速く走れないときに不満を言うのではなくて、今よりもっと強いチームにするためにはどうしていくべきかという提案をしてくれるんです。彼が来てP.MU/CERUMO・INGINGが強くなったのは確かです。レースは自分ひとりでできるものではなくてそれを支えてくれる人がいてこそのものだということもよくわかっている。だからチームをもっと強くしたいんだと思うんです。国本(雄資)選手も石浦選手がいることが心強いと思いますよ」
浜島は石浦が日常の自分と闘う自分をうまく「切り替え」ていると指摘した。その切り替えの場面を異なる角度から眺めた人物がいる。全日本スーパーフォーミュラ選手権のオフィシャルフォトグラファーを務める小林稔である。
「石浦選手は、個人的に親しい選手の1人だし上位を走ることもあって、意識して撮影することが多いです。コーナリングで違うラインを走る人だとか撮りにくいんですが、石浦選手はすごくスムーズで、予想できない突っ込みをすることもなくて、普通に走っているけど速い。そういうイメージです。本当に性格そのものみたいな走り方なんです」
しかし、いざというとき石浦の走りは変わる、と小林は言う。「さすがチャンピオンを獲っただけあると言ったら失礼かもしれないけど、普段は目立たないんだけど、ここ一発というときには結構激しい走り方をするんです。いつもはああいう優しい感じの人物だけど、『あ、こんな走り方をするんだ!』と思うことがあります。結構思い切った突っ込みだとか、競っていて『ああ、そこで引かないんだ!』とか、『そこまで徹底的にやり合うんだ!』とか、驚かされたりすることがあります。いざというとき『やるぞ』と切り替えるのが彼の強さなんじゃないかな。僕が勝手に石浦選手を『優しい好青年』と思い込んでいるだけなのかもしれないけど、ときどきそのイメージから外れることがあるんですよ。それはそれですごく魅力的なところですけどね」
小林もやはり今シーズン印象に残ったレースはシリーズ第4戦のツインリンクもてぎ戦だったと言う。「後ろの方からスタートして4位にまで上がった。あのとき、最初はひたひたと上がってきたんだけど、最後の方、4位に上がる直前くらいは結構激しいバトルをしているんですよ。僕が持っているあの石浦選手の優しいイメージからしたら『おおーっ、行くなあ!』と驚かされるような走りでした。それは撮りがいがありますよね。燃え上がっている走りは撮らないわけにはいかないじゃないですか」
走りが変わるだけではない。マシンを止めヘルメットを脱いでからも、石浦が変化する様子を小林はレンズを通して眺めている。「予選が終わった直後の悔しさみたいな表情は現れるんですよ。だから厳しい顔を撮れることは撮れるんです。でも直後だけなんです。引きずらないんだろうなあ。少し時間が経つといつもの温和な表情に戻って、うまくいったときなどはエンジニアとニコニコ話をしています。彼は切り替えが速い。それが彼の良さなのかも知れませんね。頭脳的に切り替えているんでしょうね。絶対頭がいいんですよ。レースの駆け引きも含めてそう感じます。いつもいつもガンガン攻める選手もいるけれど、石浦選手は、行くときは行く、必要ないときは無理しないとメリハリがあります。それは撮影していて非常に感じます」
笑顔でチームメカニックと話す石浦宏明
静と動を巧妙に使い分け、2度目のシリーズチャンピオンとなった石浦は、今や国内モータースポーツ界の頂点を極めたトップドライバーになったと言える。その石浦が現在の地位を築くきっかけを作ったのは、服部尚貴である。服部は知り合った当時の石浦を振り返り、決しておとなしいだけの若者ではなかったと言う。
「若手を育成しようと思って、2005年に自分のチーム、Team Naokiを立ち上げました。そのとき選んだ吉田広樹の友だちが石浦だったんです。その伝手をたどって石浦の方から『自分もなんとかならないか』と売り込みがありました。彼はフォーミュラトヨタ(FT)をやろうとしていたときでした」
FTはTeam Naokiにとって活動範囲外ではあった。しかし、石浦は車両も含めて活動体制は自前で揃え、ステップアップするためにアドバイス面でのバックアップを求めてきたという。
「ある意味売り込みですよ。でも、昔は、乗るために無理矢理でも飛び込んでトライをして自分の道を切り開いていたのに、近頃の若い選手は自分から売り込むこともせず消極的だなあと当時から思っていたんです。そこに石浦が売り込んできた。"それなら"と一緒にやることにしました。その時点ではどんな成績のドライバーかもわかっていなかったんだけど、熱意が感じられて、いいんじゃないかなと思ったんです」
では服部は若き石浦にどんなアドバイスをし、それがどう活かされたのだろうか。
「彼は元々器用なドライバーで、僕がなにか教え込む必要もありませんでした。ただ、彼は『ビビリ』なんですよ(笑)。どうしてもドキドキしすぎてミスが出ちゃうというところがあった。だから『周囲をなめてかかれ』と言ってやったんですよ。自分がドキドキしている以上に相手もドキドキしているんだ、と。その他、F3に上がるとき、人と人をつなぐとかいう面も含め、ドライバーとしてのドライビングテクニック以外の面である程度のサポートはできたかなとは思うんですけどね」
石浦宏明のヘルメットには現在も「Team Naoki」の文字が貼られている
石浦は順風満帆でステップアップを続けてきたドライバーではない。レース人生のスタートも遅く、シートを失ったこともあり、スーパーフォーミュラでチャンピオンを獲得するようになるまで、紆余曲折を経た苦労人である。彼を見守っていた服部は、だからこそ石浦は"強い"ドライバーになったのではないかと言う。
「本当に強いドライバーになりましたね。速くなったと言うよりも強くなった。チャンピオンになるためにはどうあるべきなのか、ダメなときにどうすればいいのかというところがよくわかっている。シーズンを通して見れば、良いときも悪いときもあるわけで、そういうことができるかどうかは大きな違いになるんです。彼は毎年毎年崖っぷち人生を送ってきた。FTからF3に上がろうという頃なんか本当に小指がひっかかったような状態でようやく上がれたみたいな状況で、翌年のことで慌てずにシーズンオフを送れるのはここ数年の話ですよね。でもそういうところで残ってきた。それが彼の強さ、彼が元々持っていた運のようなものでしょう」
今後の石浦には何を望んでいるかと聞くと、服部はこう答えた。
「まだ脂ののった時期がまだしばらくあるので、日本のモータースポーツの顔になって、これからの若い人をどんどん引っ張っていって欲しいですよね」