チャンピオンの肖像 〜7人の証言者が語る石浦宏明のスピリット〜(後編)
「クルマを知り、極め、レースに挑む日々」
続いて証言をいただくのは、スーパーフォーミュラの実況を通じて石浦宏明選手を皆さんにお伝えしているアナウンサーのピエール北川さん、石浦選手の使用するトヨタエンジンを担当するTRDの増田亮エンジニア、SUPER GTではチームメイトとして2人でタイトルも獲った大嶋和也選手、そして国内トップフォーミュラで4度のタイトルを獲り、現在はスーパーフォーミュラの解説などを行っている本山哲選手。そこには、チャンピオンの走りの秘密が垣間見えてきます。
※ストーリー中では証言者の皆さんの敬称を略させていただきました。
2017年全日本スーパーフォーミュラ選手権でシリーズチャンピオンとなった石浦宏明をオフィシャルレースアナウンサーの立場から眺めていたピエール北川もまた、今年の鍵になったレースはシリーズ第4戦ツインリンクもてぎ戦、と言う。
「あのレースは予選が良くなくてグリッドがかなり後ろになったんだけど、決勝が始まると、表彰台まであと一歩の4番手まで順位を上げてきたんですよね。そのとき実況でも『すごい追い上げをしてきている。この4位はチャンピオンシップを争う上で大きな意味を持ってくるだろう』と言った覚えがあるんですよ。あれは、彼のしぶとさ、あきらめないぞという意志を見たレースでした」
ピエール北川は、ただ単にしぶとさ、強い意志に驚いたわけではない。ふだん実況アナウンサーとして接する、ヘルメットを脱いだときの石浦が醸し出す雰囲気と、ここ一番で攻めた走りをする石浦が発する迫力に大きな違いを見いだしていたのだ。
「普段の石浦選手は、レーサーらしくないというか、ものすごくまじめな好青年です。ある意味影が薄そうに見えるんだけど、あのもてぎのものすごい追い上げからは強い執念も持っていたんだなあ、そういうレースをするんだなあと感じました」
石浦がレースで見せるしぶとさ、強さの理由についてピエール北川はアナウンサーとして取材したエピソードを語る。
「レースが終わったら普通は疲れているから家に帰ればすぐ寝ちゃうかもしれないところ、彼の場合は家で自分が出ていたレースの録画を奥様と晩酌をしながらすぐに見るらしいんです。非常に研究熱心なドライバーなんですね。きっと去年の最終戦でチャンピオンになれそうでなれなかったときも、何がダメだったのかを研究して理解をして、そのうえで今年の最終戦を迎えていたと思うんです。だからこそのしぶとさ、強さだったんじゃないでしょうか」
石浦宏明にインタビューするピエール北川氏
北川とは対照的に、エンジン担当エンジニアとして石浦を眺めていたのがTRDの増田亮だ。増田は現場でドライバーたちから意見を集め、エンジンを制御するマップの管理・変更を行う。
「石浦さんは、車両の状況とエンジンの状況を切り分けて評価してくれ、こういうところでもう少しエンジンのトルクがあればタイムが上がる、というようにコメントしてくれるので対応が楽です」
レーシングカーは複雑な工業製品で、車両のセッティングやエンジンの特性など複数の要因が絡まり合った結果がラップタイムにあらわれる。石浦は、車両ではこういうこと、エンジンではこういうことが起きているのでこういうラップタイムになる、と別々に指摘ができるので、エンジニアも問題への対応が的確になるという。
「ただ単にエンジンが遅いと言われても、エンジンの専門家ではあるけれども車両の専門家ではない僕らには、本当には何が起きているのかがわかりません。石浦さんはクルマの仕組みを理屈から理解しているから、そこを切り分けて教えてくれるので、エンジンとして何をすればいいのかがわかるんです」
今年の石浦についてもっとも印象に残るのはどういう場面かと問うと、増田はエンジン担当ならではの興味深い指摘をした。シーズン中、チームメイトである国本雄資のマシンとの間にスピード差が生じたことに気付き、その原因を執拗に究明したというのだ。
「こういうコーナーでは車両が影響していると思うけど、こういう場所では多分エンジンが影響しているので、データを確かめてくださいと指摘してくれました。それでエンジンだけでなくその周辺、いろんなことを見直して改善につながったということがありました。そういう点でも石浦さんは冷静です」
一方、より身近な立場から石浦を眺めていた男がいる。大嶋和也である。大嶋は、石浦と同じTDP(トヨタ・ヤング・ドライバーズ・プログラム)の一員として2007年、TEAM TOM'S(トムス)に所属して全日本F3選手権を闘うと共に、SUPER GTのGT300では同じマシンを操って、チャンピオンも獲得した"チームメイト"であり"友人"であり"後輩"である。
「石浦さんは僕より6歳も年上だったので、最初はお兄ちゃんというか、『大人だなあ』という感じでした。僕は結構感覚的にクルマを理解する人間で、あれをこうしたらこういう感覚になるということを覚えていたんですが、石浦さんはクルマのこと、セットアップのことなどを理論立てて、なぜそうなるのかまでを考えられる人でした。僕とは違う視点からクルマを考えていたので、『すごいなぁ』と思っていました」
年齢は離れていたが、1台のマシンを共に走らせるGT300でのレースを通じて2人はお互いを理解し合い、非常に好ましいコンビネーションを成立させたようだ。それもそのはず、石浦と大嶋は同じTDPの所属ドライバーとして御殿場のアパートで隣の部屋に住む友人同士でもあったのだ。
「当時は気を遣いあうのも疲れてしまうくらい一緒にいたので、お互いに気を遣うのはやめて付き合っていました。毎日朝起きたら一緒にトムスへ行って、その後にジムへ行って、一緒にゴハン食べて、という暮らしでした。その頃から石浦さんは特別変わったとは思いません」
2011年のフォーミュラ・ニッポンで笑顔で話す石浦宏明と大嶋和也
ただ、広く言われている石浦の「あまりガツガツせずマイペースな性格」という評価については首を傾げる。
「いや、そんなことないですよ。石浦さんは、自分をアピールすることが得意な人で、きちんとその辺はしています。表面的にはそう見えないかもしれないですが、しっかり考えて自分が速く走るために必要なものはちゃんと手に入れようとしますよね」
石浦が見せる、ある種の"二面性"については、スーパーフォーミュラのオフィシャルアンバサダーを務める本山哲も指摘する。本山は2008年、Team LeMans(当時)に所属して国内トップフォーミュラを闘った。そこへ加わったのがF3からステップアップしてきた石浦だった。本山がレーシングドライバーとして石浦を意識したのは事実上これが初めてだった。
当時、本山と石浦が所属したチームは体制作りの過程にあり、本山のノウハウを求めていた。本山はそれに応えて様々なセッティングを試行錯誤してデータの蓄積に努めた。石浦はその試行錯誤の中、新鋭としてトップフォーミュラの走らせ方を学んでいった。難しい立場ではあったが石浦は与えられたセッティングをうまく乗りこなした。
「石浦は、与えられたモノを乗りこなせるタイプで、今までのレーシングドライバーとは違う角度から速く走ること、クルマをセットアップすることに向き合っているかなと感じました。根本的に頭が良くて、才能や感覚だけで上がってきた選手とは違うなあと思って見ていました」
しかし石浦はただ単に本山のセッティングを受け取って手堅い走りをしていたわけではなく、ルーキーながら独自のトライも試みていたようだと本山は指摘する。
「自分だけ何かやってこっそり自分だけいい結果を残そうと工夫するようなところもありました。外からはガツガツしていないように見えるかもしれないけど、レーシングドライバーとして、いい意味でずるいところも持っているのが見えました。ルーキーなのに結構計算高くやっているなと、それをきちんと形にしていくなあと思っていました」
2008年のフォーミュラ・ニッポンでチームメイトだった本山哲と石浦宏明
レーシングドライバーとしてしたたかな二面性を認めたうえで、国内トップフォーミュラシリーズチャンピオン4回という実績を持つ本山は、2回目のシリーズチャンピオンを獲得した石浦の今後の課題についてこう見ている。
「高いレベルのところで安定して走っているドライバーです。でもさらに上を目指せる素質があると思う。そこでもう少し入れ込んだりとか、がむしゃらにやったりする感じがあってもいいんじゃないかな。そういう部分が出たらドライバーとしてのピークのパフォーマンスが出て、もっと強くてもっと速くなるんじゃないかなあと思うんです」
理論派ながら闘争心も隠し持つ石浦。2度目のタイトルに甘んじることなく、さらなるステップアップを成し遂げるのは間違いないだろう。それは本山が思うように今と違う面を出して変化するのか、それとも今のままで突き進むのか? "石浦宏明"という存在に注目する人たちに、また新しい興味が生まれてきたような気がする。