Volume1 / 前編
「きっかけはそれぞれでも、レースに魅せられて」
華やかなSUPER GTのレースやイベント。
その前面に立つのではなく、
傍らに寄り添いさりげなく選手やレースを伝える女性たちがいます。
通訳、個人マネージャー、レポーターといった"支える"お仕事をする3人に、
東京・表参道のおしゃれなカフェ
「INTERSECT BY LEXUS(インターセクト バイ レクサス)」
に集まってもらいました。
美味しい食事に舌鼓を打ちながら、まずは皆さんのお仕事の内容や、
その仕事を始めたきっかけなどを聞かせていただきます。
「言ってることが何にも分からないって言われて、メラメラと燃え上がっちゃった」
通訳
木戸 敦子(きど・あつこ)さん
今井優杏さん(以下、今井) 今回は異色のメンバーですね!(笑) 早速ですが、皆さんがモータースポーツに関わったきっかけから伺ってもいいでしょうか? まず、英語の通訳として活躍されている木戸さん。レクサスブースでの外国人選手の通訳以外にも、レース大会の公式通訳をされるほどの力量ですが、最初のサーキットは?
木戸敦子さん(以下、木戸) 1995年、FJ1600の地方選手権※1でした。外国人のゲストを呼ぶのでアテンド(世話役)を、と頼まれたのが初めてのサーキットです。2回目は同じ年のF1パシフィックグランプリでした。 その翌年からフォーミュラ・ニッポン(現 スーパーフォーミュラ)がスタートしたのですが、それまでの2度の経験からか引き続きお声が掛かり、いきなりドライバーズブリーフィング(レース前の選手説明会)の通訳をさせられてしまって......。当時は本当に何にもわからなかったから、しどろもどろに。そうしたら、ある外国人ドライバーに「お前の言ってることが何にもわからない。これだったら自分で調べるよ」と言われてしまったの。それで逆にメラメラと燃え上がっちゃった(笑)。それから自分からサーキットに行って運営やルールを関係者に教わったんですよ。
※1 FJ1600:F3よりも下位の初級フォーミュラで1980年から2010年まで行われた。1600ccの市販車エンジンを使用し、大型のウイングなどない車両だった。シリーズは各地域のサーキット1、2カ所で行われる地方選手権のみだった。現在はエンジンや空力の仕様が変わったスーパーFJに移行し、7つの地方選手権と選抜大会1戦が行われている。
今井 元々英語はどこで習得されたんですか?
木戸 父の仕事の都合でカナダに住んでいたの。でも中学一年生のときに帰国し、あとは普通の日本の学校です。
「コマスが後輩のフランス人を
SUPER GTに参戦させたいって。
それでマネージメントの会社を始めた」
外国人選手マネージャー
細田 真美子(ほそだ・まみこ)さん
今井 細田さんは外国人選手の個人マネージャーをなさって、時に通訳もされています。パリに在住経験があって、フランス語、英語がたんのうですね。でも、元々はファッション関係のお仕事をなさっていたとか?
細田真美子さん(以下、細田) そう、ファッションの仕事をしていた80年代後半、携わっていたフランスのブランドが、あるF1チームのスポンサーをすることになったの。ドライバーはエリック・コマス※2。それがモータースポーツとの初めての出会いね。その後、ファッション業界を辞めて帰国し、"何か違うことを"と考えたとき、そのF1からご縁がいろいろ繋がって、日本でプロモーターのお仕事だとか、サーキットの仕事をいただけるようになったの。ほどなくして全日本GT選手権(現 SUPER GT)が始まるとき、コマスと再会して、「このシリーズはとてもおもしろいシリーズになる。僕の後輩のフランス人ドライバーも参戦させたいから、チームにドライバーをアレンジする会社をやらないか」と。そこでマネージメントの会社を設立したのが2000年。そのあと、コマスが帰国してからも仕事を継続して、今に至るというわけ。
※2 エリック・コマスはフランス人の元F1ドライバー。1995年から2006年まで全日本GT選手権(SUPER GT)に参戦し、2度の年間チャンピオンを獲得している