レーシングハイブリッド「THS-R」進化の歴史
レース用ハイブリッドシステム開発が始動
2005年12月、「ハイブリッドシステムを使ったレース活動を検討する」ことが決定。当時は、ハイブリッドシステムを搭載したレーシングカーは存在しなかったため、ハイブリッドカーが出場できるレースもなかった。レース用のハイブリッドシステムをどの方向で開発していくのか、どのレースに出て行くのかが、当面の検討課題となった。
初めてのレース参戦。十勝24時間を完走
モータースポーツ部だけでなく、トヨタ社内の協力も得てレーシングハイブリッドシステムのイメージをまとめていった。参加するレースとしては当時、北海道の十勝スピードウェイで開催されていた十勝24時間レースを選んだ。
この年、十勝24時間レースでは来るべきエコ時代を見据えて、ハイブリッドカーを含むエコカーのためのプロダクショングループ・P-1クラスが新設された。(ただしスーパー耐久「ST-1クラス」の特認車両としても認可されており出走が可能ではあった)そこに、当時最新の量産ハイブリッド車の1台、LEXUS GS450hのニッケル水素バッテリーにキャパシタを追加して持ちこむことにした。レーシングハイブリッドシステムのエネルギー蓄積装置には、電池よりも急速充放電が得意なキャパシタが適しているのではないかという考えからの判断だった。ハイブリッドシステム全体の最高出力は254kW(345PS)に及んだ。そしてレースに参加した車両は、トラブルらしいトラブルを起こすことなく総合17位で24時間を走りきり、様々な実戦データを蓄積することに成功した。
十勝24時間で総合優勝。世界初の快挙を達成
2006年、市販ハイブリッドカーに改造を施した形のLEXUS GS450hによる十勝24時間レースを通じて得たノウハウを基に、開発陣は2007年には一歩踏み込んだレース専用ハイブリッドシステムを開発し、再び十勝24時間レースに挑んだ。
ベース車両になったのは、当時国内最高峰GTレースであるSUPER GT GT500クラスを戦っていたスープラだった。スープラは、353kW(480PS)を発揮する3UZ-FE 改 自然吸気V型8気筒4500ccエンジンを搭載、トランスアクスル化されていたが、このトランスアクスルの前に150kWのMGU(モーター/ジェネレータユニット)を置いたほか、左右フロントブレーキローター裏にも10kWのインホイールMGUを設置(総計230PS)するという大改造が加えられた。エネルギー蓄積装置として採用されたキャパシタも含め、実戦に現れたレース専用ハイブリッドシステムとしてはこれが初めてのもので、後にTHS-R(トヨタ・ハイブリッドシステム・レーシング)と呼ばれることになるレーシングハイブリッドシステムの原型である。
十勝24h-Specialグループ・TP-1クラス/GTクラスに参戦したスープラHV-Rは、断続する雨となった悪条件の中、基本的にはトラブルフリーで走行し、24時間、616周(3136km)を走りきって参加36台中総合優勝を飾った。準国際格式のレースにおいてハイブリッド車が総合優勝を果たしたのは、世界初の快挙であった。また、ハイブリッドシステムの効果により、燃費は10%以上向上し、フロントの回生力行システムの効果により、フロントブレーキの摩耗が当初想定した半分以下のレベルに抑えられることが確認できた。
目標をル・マン24時間に。厳しい課題に挑む
十勝24時間レースで総合優勝を果たしたとき、レーシングハイブリッドシステムを本格的に持ちこむことができるカテゴリーは世界を見渡しても見当たらなかった。また、もしル・マン24時間レースに「ガソリンエンジン+レーシングハイブリッドシステムを組み合わせた車両」での参戦を想定して計算してみると、運動性能を同等にするためにはシステムの重量は600kgを超えるとの試算が出た。ル・マンで優勝するためには、システム重量を1/6以下、100kg以下にしなければいけないという途方も無い話だった。
TS030 HYBRIDでWEC/ル・マンへ参戦開始
ル・マン/WECに出走できるLMP1クラスについてハイブリッドカーに対する制限の緩和がされることとなり、トヨタは12年、ル・マン24時間レースとWEC参戦を表明し、TS030 HYBRIDを発表した。
当初、TS030 HYBRIDの搭載するレース専用ハイブリッドシステム、THS-Rは、エネルギーの回生と力行(駆動)を行うモーター・ジェネレーター・ユニット (MGU) を、リアのギアボックス内部とフロントに搭載して設計された。しかしその後レギュレーションが見直され、「回生は前後いずれかの2輪のみ、放出も回生と同軸で行うこと」と決められたため、検討の末にフロントのMGUはやむなく取り外されて実戦デビューを迎えることとなった。キャパシタは蓄電量を高めた電気二重層キャパシタ、いわゆるスーパーキャパシタが採用された。
エンジンの規格も改定され、自然吸気ガソリンエンジンは3.4リッター、ターボ過給ディーゼルエンジンは3.7リッター、ターボ過給ガソリンエンジンは2リッターと排気量上限が定められた。TS030 HYBRIDは自然吸気3.4リッターのガソリンエンジンを選択した。1周13.629kmあるル・マンのサルト・サーキットには7つの区間が設定され、それぞれの区間で放出するエネルギー量は区間最大0.5kJ、1周で最大3.5MJと制限されていた。
より進化したTS030 HYBRIDを投入
2013年のTS030 HYBRIDが搭載したTHS-Rは、基本的に2012年の仕様を受け継ぎ、2012年仕様に対し、システムの効率を向上させると同時に、ブレーキ協調制御の精度を高めたものだ。
ただし車両はフロントのMGU用スペースを廃止してモノコックとサスペンションを再設計し、フェンダーからノーズにつながるラインをなだらかに整形し空力性能を引き上げた。改良されたTHS-Rシステムは300馬力を発生し、530馬力のV8エンジンと組み合わされた。
この2013年型TS030 HYBRIDで挑んだル・マン24時間レースでは、優勝まであと一歩となる2位表彰台を獲得している。
車両規定の改定を受けTS040 HYBRIDが登場
この年から車両レギュレーションが大きく改訂された。ガソリンエンジンの排気量制限、吸気リストリクター装着義務は撤廃された。一方、ハイブリッドシステムの運用規則も変更になり、区間ごとの放出量制限は廃止されサルトサーキット1周あたり2MJ/4MJ/6MJ/8MJと、4段階ある最大放出エネルギー量から、任意の数値を選択できるようになった。
放出エネルギー量だけに着目すれば、大きな数値は魅力だが、その分システム重量は増えてしまい、重くなればなっただけ運動性能面ではハンデを負うことになる。また、エネルギー回生が増える分だけ、燃料タンク容量も絞られる。開発陣は、ハイブリッドシステムの性能と重量、重量配分が影響する車両運動性能の観点から、ベストなバランスを求めた結果、THS-Rでは1周あたりの放出エネルギー量は、6MJを選択した。これにともない、スーパーキャパシタの構造も進化。自然吸気のV型8気筒3.7リットルガソリンエンジンによる520馬力に、ハイブリッドシステムによる480馬力が加えられ、1000馬力以上の強力なパワーを発生している。
安定性と耐久性をさらに向上。市販車へ技術還元も
THS-Rの改善は、総計1000馬力を超えるに至ったパワーユニットを無駄なくスムーズに使いこなせるようにという点に絞って行われた。THS-Rでは減速時には短時間に大容量のエネルギーを蓄え、必要な時には瞬時に放出できるスーパーキャパシタの存在が鍵になる。2015年、そのスーパーキャパシタも更なる性能向上を目指して構造の見直しが図られ、強力なハイブリッド・パワーを2014年より安定して供給出来るようになった。
2015年、トヨタはTS040 HYBRIDのハイブリッドシステムに磨きをかけ、サスペンションジオメトリーを見直すなどの改良を加えてル・マン24時間レースへ挑戦した。シーズン開幕前テストでTS040 HYBRIDは総走行距離30,000kmを大きなトラブル無く走破した。ル・マンを想定した6,000kmのテストも問題なく走り切った。
だが、レースはシステムの絶対性能だけでは戦えない。ル・マン24時間レースのレギュレーションを考えたとき、当初定められていたセクター毎の充放電量規制が2014年に1周全体での総量規制へ変更になった時点で、充放電の速度に利点があるものの、重量あたりの充電量が不利なキャパシタは蓄電装置として苦しい状況に追い込まれていた。WECには新たにリチウムイオン電池を搭載したポルシェが参戦、その威力を発揮し始めていた。完成度が高まったにもかかわらずTS040 HYBRIDは苦しい闘いを強いられるようになり、必勝を期したル・マン24時間レースでは思い通りの結果を出すことはできなかった。WECでも表彰台は開幕戦シルバーストーンと最終戦バーレーンの3位入賞だけという厳しい成績でシーズンを終え、マニュファクチャラー選手権では3位に甘んじた。
最新のレギュレーションを考慮し全面改修
開発陣は、2014年から変更になったレース中の充放電に関するレギュレーションを精査し、最適化するためには実戦と並行して研究していた次世代エンジンと蓄電装置を投入して闘うべきという結論に達した。前年度はシステム重量を考慮して最大放出エネルギーを6MJとしたが、8MJに対応できしかも小型・軽量化した独自のハイパワー型リチウムイオン電池開発に成功したため従来のスーパーキャパシタに替えて採用、さらにWEC転戦時、コンディションに合わせたチューニングが容易なV型6気筒直噴ツインターボエンジン開発を前倒しして実戦に投入するなど、パワートレインを全面的に改修することが決まった。
トヨタがハイブリッドレーシングシステムをもってWECに挑戦して以来、世界のモータースポーツでは、従来の内燃機関であるエンジンの回転数を上げて馬力を出すという方向から、使える燃料の量を規制して熱効率を上げることで馬力につなげるという、市販車と合致する方向へ変わってきた。2016年型TS050 HYBRIDが搭載するTHS-Rは、まさにトヨタハイブリッドシステム(THS/THS-II)の未来を切り拓くためにサーキットを疾走することになった。
主要コンポーネントの大幅な変更により2016年型TS050 HYBRIDのパワートレーンの実践向け、ファインチューニングは未完成のまま、英国シルバーストーン・サーキットで開催されたシリーズ開幕戦を迎えることになったが、ライバルの脱落等によって総合で2位に入賞、スパ・フランコルシャンで開催された第2戦では車両トラブルで脱落したもののレース終盤までトップを独走するパフォーマンスを示した。TS050 HYBRIDは「トヨタよ、敗者のままでいいのか」というメッセージを掲げてル・マン24時間レースへ立ち向かった。
満を持して臨んだル・マン24時間レースは期待通りの高い戦闘力を発揮し、23時間57分までトップを走行。最後のゴールラインを切るだけと思った矢先に突然のパワーダウンのトラブルが発生して、あと1ラップを残してストップするという衝撃の結末となってしまった。空力仕様などがル・マンをターゲットに開発されたTS050 HYBRIDは、他のサーキットでは苦戦することもあったが、ホームコースとなる富士6時間レースでは見事優勝を遂げた。
悲願のル・マン24時間レース制覇に向け、空力とパワートレーンを一新
昨年あと3分で悲願の優勝を逃したTOYOTA GAZOO Racing。同じ轍を踏むことのないように万全を期して2017年仕様のTS050 HYBRIDの開発に当たった。車体面ではレギュレーション変更による空力規制と、タイヤ使用本数の削減に対応した改良を実施。その結果、昨年のクルマと同じものはモノコックだけとなり、車体からパワートレーンにかけて全面的な改良が行なわれた。
空力においては主にクルマのフロント部分とサイドポンツーンの形状と構成の見直しを行い、空気抵抗(ドラッグ)の増加を最小限に抑えつつ、失われたダウンフォースを取り戻せるような開発を行った。
またエンジンやハイブリッドシステムなどのパワートレーンおいても、空力規制で失ったタイムを取り戻すために出力向上を行った。WECではレース中に使用できる燃料が決められるため、限られた燃料をどれだけエンジンの出力に変えられるか・・・つまり熱効率をどれだけ上げることができるかが開発のテーマとなる。開発陣はターボチャージャーの大型化などとともに、高圧縮比化による対ノッキング限界を上げ、同時に希薄燃焼(リーンバーン)の追求を行った。
ハイブリッドシステムについても、モーターの小型化や制御システムの効率化と合わせて、ハイパワー型リチウムイオン・バッテリーを改良。急速な充電〜放電に対応するためにシステム全体の電圧を上げ、抵抗を減らし、高温でも高い性能を保てることとなった。それにより、バッテリーの大幅な耐久性向上にも繋がった。
新しいTS050 HYBRIDで臨んた2017年シーズンは、開幕戦と第2戦を優勝。最大目標のル・マン24時間レースに向けて3台のTS050 HYBRIDを投入する。