負け嫌いの挑戦
第2話「準備は整った。あとは全力を尽くすのみ」
まもなく今年のル・マン24時間レースがやってくる。
昨年の悲劇の当事者であった中嶋一貴。
一方、その中で初めての表彰台に上がった小林可夢偉。
あのときの心境はいかなるものであったか?
そしてル・マンでTOYOTA GAZOO Racingが得た“悔しさ”以外のものとは?
まもなくやってくる今年のル・マンへの決意を聞いた。
開幕2連勝。
今シーズンのTOYOTA GAZOO Racingは、ル・マン24時間レースに向けて順調なスタートを切った。
表彰台の頂点で微笑むドライバーたちの中に1人の日本人ドライバーがいる。
昨年のル・マン、ゴール目前で止まってしまったTS050 HYBRIDをドライブしていた中嶋一貴だ。
昨年のル・マンのあの瞬間、中嶋は表彰台の頂点まであと一歩のところから、地獄のどん底にたたき落とされた。
残り3分。あまりにも残酷な筋書きだった。
悲劇の当事者であり、今年もル・マン24時間レースに挑もうとしている中嶋は何を思うのか。
トラブルが発生したときのことを問いかけると、意外なほどにあっけらかんとした答えが返ってきた。
「(気持ちの切り替えは)わりとすぐだったと思いますよ。自分はクルマの中にいて、あの瞬間に何が起こったか一通り経験しているので、逆に見ていた人より僕の方が切り替えは早かったんだと思います」
昨年のル・マンで中嶋とともにもう1台のクルマで戦った日本人ドライバー、小林可夢偉は語る。
あの瞬間、小林は自分の役割を終え、チームのガレージの中から中嶋の走りを見守っていた。
「衝撃でしたよね。あんなことがあるか、これがル・マンなんだなと、思った瞬間でした」
中嶋のクルマがゴール目前で止まったため、小林たちがドライブしていたTS050 HYBRID 6号車が繰り上がりで2位表彰台に上がった。
小林にとって初めてのル・マンの表彰台。
それはそれで誇るべき戦果ではあったが気持ちは冷めていた。
「全然嬉しくもないし、悔しさしかなかった。誰も望んでいなかった結果だったし、だから悔しいしかないですよね」
大群衆に囲まれて表彰を受けながら、小林は敗北感に包まれていた。
勝てなければ、1番でなければ、それは負けなのだ。
負けるのが嫌いだから、勝ちたいのだ。
2016年6月。
エンジニアたちは2017年のル・マンに向けた開発を本格的にスタートさせた。
あの悲劇を乗り越えるため、エンジニアたちはある言葉を胸に開発を始めた。
「すべてやり切ったと言えるのか」。
TOYOTA GAZOO Racingは、ル・マン24時間レースのほとんどを支配した。
しかし、クルマの全ての領域おいて「強いクルマ」ではなかった。だからあと3分というところでトラブルが起こった。
GR開発部部長の村田久武は言う。
「昨年までは各エンジニアのゴールが“モノを作って終わり”になっていた。“ル・マンを先頭でゴールするまでを見届ける”という気持ちが足りなかったのだ。」と。
だからこそTOYOTA GAZOO Racingは“すべてをやり切って”再びル・マンに挑む。
そんな思いで作られた今年のクルマ「2017年型TS050 HYBRID」は、車名こそ昨年と変わらないものの、ドライバーが乗り込むモノコック以外はすべて一新された。昨年トラブルを起こした箇所にも抜かりはない。
加えて参戦台数を1台増やし、今年は3台体制でル・マンに臨む。その3台目のドライバーの1人として新たな日本人ドライバー、国本雄資を迎えた。
開幕戦シルバーストーン、第2戦スパ・フランコルシャンを2連勝。チームはル・マンに向けて手応えを得た。
準備は整った。
もう1人、今年のル・マンを心待ちにしている男がいる。
社長の豊田章男だ。
実は、昨年のル・マンでTOYOTA GAZOO Racingが得たものは悔しさだけではなかった。
レース後、優勝したポルシェやアウディから、SNSなどを通じてTOYOTA GAZOO Racingへ向けた“あるメッセージ”が配信された。
これはポルシェから配信されたTwitterのメッセージである。
Competed together for 24 hours.
「24時間をともに戦った。」Head to head for 24 hours.
「接戦の24時間だった。」Gained our respect forever.
「われわれの永遠の敬意を込めて。」
SNSで配信されたのは、TOYOTA GAZOO Racingの健闘を讃える言葉だった。
またポルシェからのメッセージはSNSだけにとどまらなかった。
後日、豊田へ宛てた手紙が届けられたのだ。
手紙の差出人は、あのDr.ヴォルフガング・ポルシェ※だった。
これらの言葉を目にした豊田は「伝統あるヨーロッパのモータースポーツ業界に、初めてトヨタが認められたのではないか」と感じていた。
ル・マンはこのような素晴らしい出会いをトヨタに与えてくれた。
そのル・マンで再び、ポルシェと素晴らしい戦いをすることで感謝を伝えたい。
※・・・ポルシェAG 監査役会会長。ポルシェ創設者であるフェルディナンド・ポルシェ氏の孫で、現在のスポーツカーブランドとしてのポルシェの生みの親 フェリー・ポルシェ氏の息子。なお、Dr.ポルシェからの手紙内容やパリモーターショーでの豊田との出会いについては、下記GQウェブサイトをご覧ください。
https://gqjapan.jp/car/20170302/mr-toyoda-as-a-gq-japan-reporter-3
まもなく今年のル・マン24時間レースがやってくる。
昨年、悲劇の主役となった中嶋一貴は「今度こそTOYOTA GAZOO Racingが勝者になる」と決意している。
中嶋はTOYOTA GAZOO Racingを代表するように、微笑みながらも冷静に、力強く、ル・マンへの意気込みを語った。
「今のチームにとっても僕にとっても5回目のル・マンですが、その中でも今年は一番しっかりと準備ができて手応えがあります。でも行ってみたら、ポルシェがめちゃくちゃ速かったりするかもしれないし、こればかりは始まってみないと分かりません。」
「僕たちのクルマ(8号車)が勝つつもりで挑みますが、その可能性がなくなったらTOYOTA GAZOO Racingの誰かを勝たせるために僕らも全力で支援します。それでも達成感、満足感が得られるのが、ル・マンというレースですから。」
「ファンの皆さんには、今年のル・マンを期待して見ていただきたいと思います。ただ昨年のこともあるので、きっと最後までドキドキとさせるような展開になると思うんですけど・・・(笑)。だからこそ、僕らは最後まで全力で走り切ります。皆さんの声援がゴールまで走り切る力になるので、ル・マンへその力を届けていただけたら嬉しいです」
2017年6月18日。
日本時間22時、現地時間15時。
その瞬間に最高の笑顔になるため、彼らはこの1年、すべての時間を注ぎ込んできた。
このル・マンがすべての答えだ。