トヨタがル・マン24時間に残した軌跡
The History of TOYOTA at Le Mans
1992-1994
優勝にあと一歩。TS010がついに表彰台に上がる
FIAが1982年に施行したスポーツプロトタイプカーの技術規則、グループCによるレースは内外の多くの自動車メーカーが興味を示し、ル・マン24時間や日本をはじめ世界各地で盛り上がりを見せた。だが1991年にFIAが規定を変更し、エンジンを自然吸気3.5ℓに統一すると撤退が相次ぎ、最高峰のスポーツカー世界選手権(SWC)も参加台数が大幅に減少。 1992年をもって終焉を迎えてしまう。91年の参戦を見送ったトヨタは、1992年にV型10気筒エンジンを搭載したトヨタTS010をSWCにエントリー。開幕戦モンツァで優勝を果たし、いよいよル・マン24時間総合優勝への期待が膨らんだ。しかし3台参加したTS010は、関谷正徳もドライブした1台の2位が最上位。だが優勝へあと一歩まで迫った。
翌1993年にはTS010が出走するレースは他になく、ル・マン24時間に集中。同じ条件で参加のプジョーとの一騎打ちとなる。下馬評ではトヨタ優位の声が大勢を占めていたが、度重なる不運、トラブルが3台に襲い、最上位は4位に終わる。代わってプライベータ―の手によって参加した3.6リッターターボの旧規定Cカー、92C-Vが好走し、5位と9位に入った。
そして時代はCカーからGTへ。1994年もグループCカーのル・マン参加は認められたものの、重量と燃料タンク容量等で大幅に足枷をかけられる。92C-Vをこの規定に合わせたトヨタ94C-Vがプライベートチームから2台が参加して好走。サードがエントリーした1台は夜明けまでに首位を盤石なものとするが、ゴールまで残り約1時間となったところでシフトリンケージのトラブルに見舞われ、コース上にストップ。優勝を目前にしながらまたも2位に甘んじる結果となった。