1995-1999 TS020の日本人トリオが優勝に最接近も2位にとどまる
1995-1999
TS020の日本人トリオが優勝に最接近も2位にとどまる

トヨタがル・マン24時間に残した軌跡 The History of TOYOTA at Le Mans 1995-1999
TS020の日本人トリオが優勝に最接近も2位にとどまる

 ル・マン24時間の主役がCカーからGTカーへと移った1995年、LMGT1規定で製作されたスープラGT LMが1台参戦した。2.1リッターの3S-GT改ながらLMGT1仕様の強大なパワーに、車両のセッティングに苦慮。それでも決勝では一時7位まで浮上する健闘を見せ、14位で完走を果した。
スープラは翌1996年も参加するが、朝8時前にクラッシュしてリタイアに終わった。

 一年のインターバルを経て、1998年にトヨタはル・マンに復帰。それまで日本を拠点としていたトヨタのル・マン24時間挑戦体制が、ここで大きく変更される。長年にわたりトヨタのWRC活動の実働部隊であり、後にTMGとなるトヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)がトヨタGT-One(TS020)を製作、レースオペレーションも担当することになったのだ。カーボンモノコックのシャシーにCカー時代の3.6リッターV8気筒ツインターボエンジン搭載したTS020は、予選で最上位2位、決勝でも長く首位を占め、一時は1、2位を独占するが、ミッショントラブルとアクシデントで2台が脱落。片山右京、鈴木利男、土屋圭市という日本人トリオのTS020のみが生き残り、9位に入った。

 翌1999年には規定が変更になり、LMGT1はプロトタイプカーのLMGTPとなる。この規定に合わせたGT-Oneの発展型3台が参加する。2台はアクシデントに見舞われたが、前年と同じ日本人トリオがレース後半2位に上がると、最速ラップタイムを更新しながら激走。このまま行けば逆転優勝か、と思われたが残り1時間を切る頃にタイヤバースト。2位にとどまり、またもや優勝はお預けとなった。

  • 1995 TOYOTA Supra GT-LM(M.Apicella/M.Martini/J.Krosnoff)
  • 1996 TOYOTA Supra LM(M.Kageyama/M.Sekiya/H.Mitsusada)
  • 1998 TOYOTA TS020(K.Tsuchiya/U.Katayama/T.Suzuki)
  • 1998 TOYOTA TS020(M.Brundle/E.Helary/E.Collard)
  • 1998 TOYOTA TS020(G.Lees/T.Boutsen/R.kelleners)
  • 1999 TOYOTA TS020(M.Brundle/E.Collard/V.Sospiri)
  • 1999 TOYOTA TS020(T.Boutsen/R.kelleners/A.McNish)
  • 1999 TOYOTA TS020(K.Tsuchiya/U.Katayama/T.Suzuki)