モータースポーツジャーナリスト古賀敬介のWRCな日々

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10月のサルディニア、激戦の秋

WRCな日々 DAY11 2020.10.20

ラリー・イタリア サルディニア。僕にとっては、数あるWRCイベントの中でも、毎年とても楽しい気分で取材できるラリーのひとつだ。美しい海、美味しい料理、明るい人々、フォトジェニックなステージ。その魅力については、既に6月の第6回コラムで書いている。そう、本来ならばサルディニアは6月に開催予定だったのだ。しかし新型コロナの影響で延期になり、8年ぶりに10月の開催となった。この時期、リゾートシーズンはほぼ終わり、天気も安定しない。陽光眩しい6月とは違う、やや陰りを感じさせる季節ではあるが、それでも多くのラリーが中止を余儀なくされる中、開催が実現して本当に良かったと思う。僕も現地で取材をしたかったが、渡航後2週間、帰国後2週間の隔離期間をこなさなくてはならず、断念した。

現地に行けない分、じっくりとスプリットタイムをチェックし、出走順、ステージコンディション、タイヤ選択などあらゆる情報を照らし合わせながらラリーの展開を追った。このコラムでは、WRCの競技以外の楽しさも伝えたいと常々思っているし、それを楽しみにしてくれる方もいるようだが、今回は戦略面にフォーカスを絞って書くことにする。それだけ、とても興味深い展開のラリーだったからだ。

まず最初に、路面コンディションについて。通常6月のサルディニアは、冒頭にも書いたように比較的天気が良く、グラベル(未舗装路)ステージはドライコンディションとなることが多い。しかし、10月の今大会は予想通り天気が不安定で、競技が始まる前に行なわれたレッキ(ステージの事前下見走行)の段階では、ウェットやダンプ(湿った)コンディションの路面も多かった。そして、その湿り気を帯びた路面は、ステージの出走順が早い選手、すなわちドライバー選手権上位の選手にとっては歓迎すべきものだった。特に、選手権首位のエルフィン・エバンスと、同2位のセバスチャン・オジエは、湿った路面が保たれることを強く望んでいた。

ドライコンディションのグラベルステージは、道の表面にルーズ(=滑る)なグラベルが浮いている。特にサルディニアのルーズグラベルは土質が砂状のこともあって滑りやすく、出走順が上位の選手たちは、そのルーズグラベルを「掃除」しながら走らなくてはならない。1台走るごとに路面のグリップはどんどんと上がり、出走順が後方であればあるほど、良いタイムが出やすくなる。だから、選手権首位の選手がグラベルラリーで上位に入るのは至難の業なのだ。しかし、路面が湿っていればルーズグラベルは路面になじみ、出走順の不利は軽減される。さらにいえば、大雨が降って路面がドロドロになると、出走順が1番の選手の方が有利になる。それゆえ、エバンスとオジエはサルディニアで降雨を望んでいたのだ。

しかし、残念ながら競技初日の金曜日に恵みの雨はなかった。金曜日は全部で6本のステージが行なわれ、その合計距離は約95.25kmと、全行程の約40%を走る。コロナ禍による圧縮イベントスケジュールにより、直近の3戦はステージの総走行距離がWRC基準の300km前後に届かず、サルディニアも前年の310.52kmから、238.84kmと、約72kmも短くなった。つまり、金曜日の重要性が例年以上に高まり、金曜日の遅れを土曜日や日曜日に取り戻すことは難しい。さらに、同じグラベルラリーではあってもエストニアやトルコとは出走順のルールも違った。その2戦では、金曜日の午前中のみ選手権ランキング順だったが、午後はその時点での順位のリバースオーダーだった。つまり、不利な先頭スタートでも何とか半日頑張りWRカークラスの中位以上につければ、午後は早い出走順から解放されたのだ。しかし、今回のサルディニアは1日を通して出走順が変わらず、いくら頑張ってもエバンスとオジエは終日1、2番手スタートを担い続けることになる。正攻法で戦っても、彼らに勝ち目はほぼなかった。

そこでトヨタは、リスクを承知で軽量化作戦を決行した。軽量化といっても、クルマそのものを軽くすることはできない。可能なのは、スペアタイヤの本数を減らすことだけだ。前戦トルコほどではないにしても、サルディニアも一部路面は荒れており、特に同じステージを2回目に走行する際は石が掘り起こされパンクのリスクが高まる。また、下から硬い岩盤が出てくるとタイヤの摩耗が進む。安全策をとるなら、スペアタイヤは2本搭載したいところだ。しかし、スペアタイヤは1本25kg前後とかなり重い。2本積みの場合は、10kgの米袋ふたつ半を余計に積んで走るようなもので、ハンドリングとタイムへの影響は少なくない。特に、サルディニアのようなツイスティなルーズグラベル路面では、ブレーキングで止まりにくくなり、加速も鈍くなる。そのため、オジエとエバンスはミディアムコンパウンド計5本というセットで朝のサービスを出た。

対する、選手権のライバルであるヒュンダイ勢は、選手権3位のオィット・タナック、同4位のティエリー・ヌービルともにスペアタイヤ2本積みを選んだ。今回のサルディニアは、まず2本のステージを走行し、サービスやタイヤ交換なくそのステージを再走する。金曜日に関しては同じセット、同じタイヤで4本計約68kmのステージを走らなければならない。タイヤのパンクと、摩耗のリスクを考えると、タナックとヌービルの選択の方が確かに安全策である。1本積みで1回でもパンクをしたら、その後のステージでは大きくペースを落とすしかないからだ。唯一、ヒュンダイ勢ではスポット出場のダニ・ソルドが1本積みを選んだ。ソルドは今季2戦目の出場であり、ドライバー選手権争いには事実上加わっていない。そのため、たとえ戦略が失敗したとしても、マニュファクチャラーにとってのマイナス要素は少なく、レギュラーのふたりとは戦略を分けやすかったのだろう。

結果的に、トヨタのタイヤ戦略は完全に機能した。午前中の4本のSSで、オジエは2〜4番手のタイムを記録。エバンスはSS4でこそやや遅れたが、SS1 で4番手、SS2で5番手、そしてSS3では何とベストタイムを記録したのだ。午前中に関しては路面がやや湿ったところが多かったことも助けにはなったようだが、それでもタイヤ1本分の違いが効いた。特に、ツイスティでストップ&ゴー的な特性が強かったSS1/3では、軽さが大きなアドバンテージになった。同じくスペアタイヤ1本積みのソルドと同じようなタイムだったことも、それを裏付ける。もっとも、エバンスとオジエがパンクをさせないクリーンな走りをし、タイヤを上手くマネージメントできたからこそ、1本積み戦略が奏功したのは事実である。

金曜日午前中4本のステージが終了した時点で、オジエは首位と18.6秒差の総合3位、エバンスは24.7秒差の総合4位につけた。不利な出走順を考えれば、タイムも順位もかなり良かったといえる。そして、その時点でより後方からスタートした、選手権のライバルよりも上の順位につけていた。同じタイヤ戦略ながら、総合1位のソルドとタイム差がついた理由は、出走順の違いにつきる。今季スポット出場2戦目で、ポイントを獲得していないソルドは出走順10番手。もちろん、彼は素晴らしい速さをを持っているし、昨年もサルディニアを制しているように、実力は相当高い。それでも、8〜9台のWRカーが入念に掃除してクリーンになった路面を走れるアドバンテージは非常に大きい。そのソルドに対し、4本約68kmのステージで18.6秒遅れに留まったオジエは、その時点で優勝のチャンスが十分にあったといえる。

しかし、午後の2本のステージで、オジエもエバンスも大きく遅れた。オジエは、2本ともベストタイムを刻んだソルドに対し約17秒、エバンスは約27秒を、たった2本、計27kmのステージだけで失ってしまったのだ。午後のステージに関してはスペアタイヤの搭載本数に違いはなく、上位は全車1本だった。また、コンパウンドもヌービルがハードを1本混ぜた以外は同じミディアムメインだった。では、なぜ午前と午後でこれほど大きな違いが出たかといえば、ステージコンディションである。午後の2本のステージはほぼドライで、大量のルーズグラベルが浮いていた。つまり、午前中よりも出走順のハンデが大きく出る路面で、なおかつスペアタイヤの搭載本数に違いがなかったことで、オジエとエバンスはタイムを上げられなかったのだ。この2本のステージは、翌日土曜日の午後にも走っている。そして、その2本でオジエはベストタイムを刻んだ。出走順が2番手から7番手に下がっただけで、この違いである。いかに、ルーズグラベルが多い路面では早い出走順が不利であるかが、この結果からもわかるだろう。

かくして、オジエは首位ソルドと36秒差の総合4位で、エバンスは約52秒差の総合5位で金曜日を終え、その時点で優勝のチャンスをほぼ潰えた。もし、直近2戦のように、午後は出走順が変更される規則だったとしたら、オジエは優勝していた可能性もあり、エバンスは表彰台に立っていたかもしれない。実際、出走順7番手で臨んだ土曜日のステージで、オジエは全6ステージのうち4ステージでベストタイムを刻んだのだ。イベントごとに異なる今年の特別ルールを、オジエは恨めしく感じたに違いない。

もっとも、TOYOTA GAZOO Racing WRTとしても反省点はあるようだ。金曜日午後のステージでの遅れは予想以上であり、ややタイム差がつきすぎたと考えているという。あの2本の路面がルーズなのはある程度事前に分かっていたが、それにクルマのセッティングを合わせ切れなかったと、チーム関係者は悔しさを隠さない。最終的に、優勝したソルドと総合3位オジエのタイム差は5.1秒にまで縮まり、最終ステージで総合2位の座を奪われたヌービルとの差は僅か1秒だった。エンジニアが悔やむ気持ちも理解できるというものだ。逆の見方をすれば、それくらい今回のサルディニアの表彰台を巡る戦いはハイレベルであり、オジエを始めとするトップドライバーとエンジニアが、最後まで全力で戦い続ける様は、実に見応えがあった。僕は、最終のパワーステージをテレビ局でライブ解説したが、終わった後はどっと疲れが出て寝込んでしまった。そして、夢の中でもスプリットタイムを追いかけ、パソコンにタイムを打ち込んでいた。できることなら、来年は6月のサルディニアで美しい海と空を見ながら取材をしたいものである。

古賀敬介の近況

10月は、最終週を除き毎週末モータースポーツイベントがあるため、忙しい日々が続いています。昼間はスーパーGTやスーパーフォーミュラの原稿を書き、夜はライブでWRCを追うなど、1日19時間体制で仕事を進めています。しかし、スーパーGTとスーパーフォーミュラは兼任している選手が多く、カテゴリーごとに所属チームが異なる選手も多いので、アタマの中をパーテーションで仕切らないと、わけがわからなくなってしまいます。寝ても覚めてもモータースポーツ。長い長い耐久レースを戦っているような気分です。