モータースポーツジャーナリスト古賀敬介のWRCな日々

  • WRCな日々 DAY12 - WRC初開催のモンツァで発揮された勝負師セバスチャン・オジエの魔力

WRC初開催のモンツァで発揮された
勝負師セバスチャン・オジエの魔力

WRCな日々 DAY12 2020.12.18

「クレイジーだね。路面には踏みしめられた雪や解けた雪があり、歩くようなスピードでしか走れないところもあった。僕の後からスタートするクルマが有利になるのかどうかわからない。確かに走行ラインはでき始めているけど、同時に雪の量も増えている。誰にとってもトリッキーな状況だと思うよ」

競技3日目、勝田貴元に次ぐ2番手で出走し、全長11.09kmの「ジェローサ2」をフィニッシュしたカッレ・ロバンペラは、今走ってきたマウンテンステージを冷静に振り返った。彼は、その後に起きる劇的な展開を予見していたのかもしれない。ドライバーズタイトル争いの行方を決定づけた、エルフィン・エバンスとセバスチャン・オジエによる今大会最大のドラマは、その数分後に起こった。

2020年のWRC最終戦は、本来ラリー・ジャパンが担う予定だった。しかし、コロナ禍により日本を含む多くの国でのWRC開催が不可能となり、急きょイタリアの「ラリー・モンツァ」が最終戦として行われることになった。シーズンオフのお祭り的なラリーショーとして、モンツァ・ラリーショーは長きに渡り親しまれてきた。舞台となるのは、歴史ある北イタリアのモンツァ・サーキット。僕は過去、夏と春に訪れたことがあるが、ミラノ郊外の広大な国立公園内にある緑美しいクラシックコースでとても情緒がある。

モンツァは、いわゆる普通のサーキットであるロードコースと、バンクがついたオーバルコースのふたつが重なった特殊な形をしているが、現在では安全面の理由でオーバルコースはレースでは使われていない。路面がかなり荒れており、車高がギリギリまで下げられたレーシングカーでは走るのが難しいという理由もある。しかし、ターマック(舗装路)仕様であってもバンピーな路面をものともしないラリーカーならば、荒れたオーバルでも走ることができる。そのため、過去モンツァ・ラリーショーではオーバルコースもステージの一部として使われ、それがこのイベントのウリになってきた。

加えて、モンツァではターマックだけでなく一部グラベル(未舗装路)も、ターマック仕様のサスペンション&タイヤで走るのも大きな特徴である。イメージとしてはサーキットレースとジムカーナとダートトライアルを混ぜたようなイベントであり、それほどラリー色は強くなかった。スーパーSSの集合体のようなイベントだったともいえる。しかし、WRCとして開催される可能性が高まると、主催者は新たにサーキットの敷地外にもステージを設けた。それが、冒頭に記した山岳ステージである。そして、競技3日目は大部分がその山岳路で行なわれ、文字通りラリーの「山場」となった。

ミラノの北東約45kmに位置するベルガモは、中世の雰囲気を色濃く残す古都であるが、その北側に広がるアルプスの峠道に3本のステージが設定された。これまでモンツァ・ラリーショーでは使われたことがない、リアルなマウンテンステージであり、雰囲気はラリー・モンテカルロのフレンチアルプスのステージによく似ている。そして、選手達がレッキ、つまりコースの事前下見走行をした時点で既に一部路面には雪があり、そのためラリーの主催者とFIAは、本来予定になかったスノータイヤの使用を特別に許可した。その時点で、この山岳ステージが難所になるだろうという予感はあった。

ラリーは競技3日目を迎え、ドライバー選手権2位のオジエが総合3位につけ、それを選手権首位のエバンスが5.1秒差で追う展開だった。選手権3位のティエリー・ヌービルは、前日サーキット内のステージでクルマにダメージを負いデイリタイア。タイトル争いはエバンスとオジエ、そしてエバンスと28ポイント差の選手権4位オィット・タナックにほぼ絞られた。エバンスはオジエを14ポイントリードしており、チーム関係者によれば最終戦を迎えても至って冷静だったという。普通に自分の走りをし、オジエに離されさえしなければチャンピオンになれると、エバンスはどっしり落ち着いていたようだ。

一方のオジエは、タイトルを奪還するためには優勝するしかないと、腹をくくっていた。今年、エバンスは非常に安定しており、ここまで着実にポイントを積み重ねてきた。14ポイントというギャップは、エバンスの実力を考えると大差であり、エバンスが大きなミスをしない限り覆すことは難しい。そして、オジエもその事実を十分に理解していた。しかし、彼は決して諦めない男だ。これまで何度も天王山を経験し、結果的にタイトル7連覇を達成できなかった昨シーズンも、終盤まで勝負権を失わなかった。どんなに厳しい状況にあっても崩れず、諦めず、最後の最後まで全力で戦いライバルにプレッシャーをかけ続ける。ライバルはその圧を「魔力」あるいは「底力」と呼ぶ。故に、大きなリードを築き表面上は冷静さを保っているように見えても、エバンスはオジエが発する精神的な圧をジリジリと感じていたのかもしれない。

土曜日の山岳ステージは午前中から既に路面に雪があり、一部は「スラッシュ」と呼ばれる水分を多く含んだ半解けの雪が路面を覆う、非常に滑りやすいコンディションだった。モンテカルロでもよく見られる路面だが、そのスラッシュやアイスバーンに新雪が降り積もると、たとえ経験豊かなドライバーであっても、タイヤのグリップレベルを正しく判断することは難しい。もちろん、レッキでペースノートには路面の情報が書き込まれているが、刻々と天気が変わり雨から雪へと変化する状況においては、ペースノートの情報もほとんど当てにならない。SSの開始直前にステージを走り、最新の路面状況を選手に伝えるセーフティークルーの情報は、確かに助けにはなる。それでも、ステージ開始後に雨が雪に変わるような天候下では、路面の変化を正しく予測することは不可能だ。そして、そこまで順調にステージを重ね、首位に立ったオジエと7.5秒差の総合3位につけていたエバンスが「罠」にはまったのは、まさしくそのような天気が変わりつつある状況だった。

話は冒頭に戻る。ロバンペラがジェローサ2をフィニッシュした頃、ステージの中盤エリアでは雪が勢いを増し、路面はどんどん白くなっていった。前走車が刻んだ黒い走行ラインもすぐ灰色に薄れ、路面がどのようなコンディションであるのか目視では判断が難しい状況になっていった。そして、そこまで順調にステージを走行していたエバンスは、右コーナーの出口でタイヤのグリップを失った。注意すべき場所とペースノートには記してあったが、グリップは予想以上に低くアンダーステア気味に立ち上がった。前走車が刻んだラインから外側に外れ、ブレーキングを行うも速度を十分に落とすことができず、続く右コーナーのインに近づけなかった。そして、最終的にはスピンモードに陥りアウト側の崖を滑り落ちた。クルマに大きなダメージはなかったが、独力で復帰できるような斜面ではなく、エバンスはクルマを降りた。掴みかけていた初タイトルの権利が、するりと逃げていった。

エバンスの3分後にステージをスタートしたオジエは、その問題のコーナーの手前で、ステージすぐ脇に立つチームメイトの姿を見た。彼は身振りでスピードダウンを訴え、オジエはそれに従いエバンス車を飲み込んだ右コーナーをぎりぎりでクリア、無事フィニッシュまでクルマを運んだのだった。「危険なコーナーだった。あの時、スピードダウンの指示がなければ、僕もコースアウトしていたかもしれない。エルフィンとスコット(マーティン)には感謝しているし、彼らがああなってしまったのは本当に残念だよ」と、大波乱の1日を首位で走り終えたオジエは、運命の分かれ道となったシーンを振り返った。

自分と同様、オジエもコースアウトすればタイトルの可能性は復活したかもしれない。しかし、エバンスはそれを望まなかった。仲間が自分と同じ目に遭わないように、身を挺して危険を伝えた。オジエだけでない。後続のライバルチームの選手に対しても、同様に注意を喚起した。エバンスらにしてみれば当たり前の行動かもしれないが、世の中にはいかなる手段を使ってでも有利に立ちたいと思う人間もいる。エバンスとマーティンは、WRCドライバーとして、スポーツ選手として、そして何よりも人間として正しく、称賛されるべき行動をとったのだ。栄冠を逃した彼らの表情は痛々しくも、実に気高かった。

かくして、最大のライバルだったエバンスがタイトル争いから大きく退き、首位のオジエはただリードを保つだけの走りに撤すれば良くなった。しかし大雨の中迎えた最終日、サーキット内での3本のステージは、今回のラリーを象徴するような過酷な路面コンディションになり、特に大雨でぬかるんだグラベルセクションは悲惨な状況だった。それでもオジエは冷静沈着にステージをひとつひとつクリア。今シーズンの最後を飾る、そしてタイトル奪還のファイナルステップとなる、最終のパワーステージに臨んだ。

もはや、パワーステージで上位タイムを刻み、ポイントを獲得する必要はない。普通に走れば優勝で7度目のタイトルが手に入る。全てが順調に見えた。しかし、最後に思いも寄らぬ難関がオジエを待ち受けていた。サーキットのターマック区間に合流する直前、突如としてフル稼働していたワイパーが止まったのだ。フロントスクリーンには泥水が付着し、それがターマックのハイスピード区間でコーヒー牛乳のようにスクリーン全体に広がり視界はほとんど失われた。迫る左タイトコーナー、フルブレーキング。ターンインぎりぎりのタイミングでワイパーが復活した。最後の「試練」を紙一重で切り抜けたオジエは、1年ぶりに世界王者に返り咲いた。

実は、視界不良のトラブルはやはり同じくサーキット内で金曜日に起こっていた。その日2本目のSS3、グラベル区間の泥の水たまりを通過し、オーバルコースのバンク区間に入るタイミングでウインドスクリーンが真っ白に曇った。まるで濃霧に包まれたように前方が見えなくなり、オジエは僅かな視覚情報と、コ・ドライバーが読み上げるペースノートの情報を頼りにドライブ。スピードを落とすことなく、トリッキーな区間を少なくとも3分以上は走り続けた。通常なら、心が乱れ集中力を欠いてもおかしくないような状況だが、オジエは何とそのステージをエバンスよりも0.8秒速く走り切ったのだ。

チームによれば、ウインドスクリーンの曇りは技術的なトラブルによるものであり、選手側に非はなかったようだ。故に、オジエが激怒したとしても不思議ではなかったが、彼は「次のステージまでに直しておいてね」とだけチームに伝え、誰も責めはしなかったという。タイムだけでなく、チャンピオンの権利も失いかねないタフな状況ながら、まったく狼狽しないその精神力。オジエというドライバーの凄さを、この2回の視界不良トラブルで改めて実感した。彼が7回もチャンピオンに輝いたのは、単にドライビング技術が優れていただけでなく、強靭なメンタルと、チームのスタッフのやる気を引きだす人間力も備えているからだと、今回のラリー・モンツァで確信した。

単に記録で比較するならば、セバスチャン・ローブが打ち立てたWRC9連覇という偉業には及ばないし、今後それを越えることもないだろう。しかし、ローブのタイトルが全てシトロエンのクルマによるものであるのに対し、オジエは通算7回のドライバーズタイトル獲得を、3つの異なるマニュファクチャラーのクルマで成し遂げているのだ。その事実は彼の対応能力の幅広さとチャレンジを恐れぬ勇敢さを示すものであり、チームを牽引する能力の証明でもある。ヤリスWRCは今や完全にオジエの愛馬となり、慣れ親しんだクルマで挑むであろう2021年シーズンが一体どのようなものとなるのか、とても楽しみだ。

かくして、波乱に満ちた2020年のWRCは、オジエのタイトル奪還で幕を閉じた。そして、幕が降りる直前、ファイナルステージで最後のサプライズがあった。TGR WRCチャレンジプログラムで出場の勝田が、キャリア初のステージベストタイムを刻んだのだ。勝田は既に、金曜日と土曜日のラストステージでSS2番手タイムを記録していた。木曜日のオープニングステージではミスをし、デイリタイアとなり意気消沈した。しかし、そこから巻き返し、トリッキーなコンディションのステージを切り抜けながら、着実にスピードを上げていった。その上昇曲線はかなり急激で、最終SSとなるパワーステージでの優勝は、彼の今シーズンの、そしてラリードライバーとしての成長を象徴するものだったといえる。もちろん、SS1でのミスや、タイムの安定性など課題はまだ山ほどある。それは、勝田本人が誰よりも理解しているはずだ。それでも、この1年での成長は、トップに匹敵するタイムを刻んだ第4戦ラリー・エストニアも含め、非常に大きかった。勝田にとっては、2021年こそ最大の勝負の年となるだろう。

古賀敬介の近況

今シーズンのWRCが終わりました。結局、僕は第3戦メキシコ以降1度も取材に行けず我慢、我慢の日々でしたが、久々にラリーイベント「ACCRセントラルラリー2020」を取材して気分が盛り上がりました。珠玉のようなヒストリックカーが、来年のWRCラリージャパンと同じエリアのステージを走行するというこのイベント、一部のステージにはお客さんの姿もあり、とてもいい雰囲気でした。来年こそ新型コロナが終息し、日本を含むWRCイベントができるだけ多く開催されることを願っています。そして僕も、状況を見ながらWRC に「復帰」したいと考えています。