モータースポーツジャーナリスト古賀敬介のWRCな日々

  • WRCな日々 DAY20 - 受け継がれた「フライング・フィン」伝説 初優勝のロバンペラは世界王者になれるのか?

受け継がれた「フライング・フィン」伝説
初優勝のロバンペラは世界王者になれるのか?

WRCな日々 DAY20 2021.7.30

20歳と290日。WRC史上最年少優勝記録が約13年ぶりに更新された。TOYOTA GAZOO Racing WRTのヤリ-マティ・ラトバラ代表が長年維持していた、22歳313日という大記録を一気に約2年も塗り替えたのは、カッレ・ロバンペラ。しかし、その才能を考えれば、早過ぎるという印象はない。もっと早く、10代で勝っていたとしても不思議ではなかった。それくらい不世出のドライバーであると、僕は考えている。

WRC第7戦ラリー・エストニアで、ロバンペラは2位のクレイグ・ブリーン(ヒュンダイ)に約1分という大差をつけてWRC初優勝を飾った。WRCに参戦して34戦目、トップカテゴリーのWRカーに乗って14戦目というデータを見た時、頭に浮かぶのは偉大なるワールドチャンピオン達。9回という最多タイトル獲得記録を持つセバスチャン・ローブはWRカー10戦目で、それに次ぐ7回のタイトル獲得記録を持ち、その数を今年さらに増やしそうな勢いのセバスチャン・オジエは、WRカー19戦目で優勝を手にした。過去チャンピオンとなったドライバー達は、徐々に力をつけて速くなっていくのではなく、トップカテゴリーに出ていきなり速く走ってしまう者が多い。そしてロバンペラは、まさにそういったドライバーのひとりだ。

衝撃的だったのは、WRカーのデビューイヤーだった昨年、2戦目のラリー・スウェーデンでいきなり3位表彰台に立ったことだ。しかも、オジエと激しい表彰台争いを繰り広げた末にである。何度か小さなミスを冒したのはキャリアを考えれば当然であるが、それがなければ総合2位を得ていた可能性もあった。特に印象的だったのは、雪が解けてシャーベット状になり、あちらこちらに水溜まりができていた難コンディションの最終ステージで、圧巻のベストタイムを叩き出したことだ。その時確信した。この青年はすぐにWRCで優勝するだろうし、いずれワールドチャンピオンになるに違いないと。

エストニアでの優勝により、予想のひとつは当たった。しかしそれは、僕の読みが鋭かったわけではなく、WRCに携わっている者ならば誰もが予想していたことだ。それくらい、ロバンペラに対するWRC関係者の評価は以前から非常に高かった。2020年にトヨタのドライバーに抜擢される以前、2017年にサポートカテゴリーであるWRC 2にスポット出場し、2戦目でいきなり優勝した時から「将来のWRCチャンピオン候補」と見られていた。実際、彼は2019年にWRC 2プロで年間1位となり、サポートカテゴリーではあるが世界タイトルを獲得している。ローブにしろ、オジエにしろ、何度もシリーズチャンピオンを獲得したグレートドライバーは、サポートカテゴリーでも圧倒的な速さを示し、タイトルを手にすると早々に卒業していった。そして、ロバンペラが階段を駆け上がるスピードは、彼らチャンピオン達に全く引けをとらない。その点でも「チャンピオンの資格あり」と思えるのだ。

もっとも、彼はそれ以前、6歳頃から既に非凡な才能を見せていた。フィンランドの氷上でKP61スターレットをドリフトさせる、ちっちゃなロバンペラ少年。その姿は愛らしくも、走りは大人顔負けな激しさだった。その頃、彼はもうマシンコントロールの基礎をマスターしていたのだ。そんなロバンペラ少年を穏やかな笑顔で見守っていたのは、お父さんのハリさんだった。彼もまたWRCドライバーであり、引退する直前は三菱のエースドライバーとして活躍していた。さらに遡ると、プジョーのドライバーだった2001年には、ラリー・スウェーデンで優勝している。ハリさんにとっては最初で最後の優勝だったが、もっと若い頃から恵まれた体制で戦うことができていたら、さらに多くの勝利を手にしていたに違いないと、僕は信じている。

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    右後ろ姿がハリ・ロバンペラ氏

「ハリさん」と、さんづけで僕が呼ぶのは、昔から彼に親しみを感じているからだ。初めて彼を取材したのはプジョー時代だったが、その時からハリさんはいつもニコニコしていて、とても紳士的で、どんな時でも真摯に質問に答えてくれた。本当にナイスガイで、いつだって笑顔で接してくれたのを覚えている。WRCドライバーはフランクで、良い人が多いけれど、その中でもハリさんは特に優しくて感じの良い人だった。もしかしたら、その気持ちの優しさが、コンペティションにおいてはプラスに作用しなかったのかもしれないけれど。

WRCの現場では、いつも少し遠くから息子の姿を見ていた。昨年の開幕戦ラリー・モンテカルロで「いろいろとアドバイスしているんですか?」と聞くと、「私が教えることなんてないよ。カッレは自分がどうすべきか分かっているから」と嬉しそうに答えた。そして、カッレに「お父さんから何か教わった?」と聞くと「技術面で父から学んだことはないね」と極めてクール。しかし「でも、そばにいてくれるだけで精神的にはとても助かるよ」と、父親に対する信頼の気持ちが強く伝わってきた。

エストニアの最終ステージを走り抜き、WRCウイナーとなってポディウムに戻ってきた息子を迎えたハリさんが、涙を流す映像を見て、僕も思わず目頭が熱くなってしまった。WRC初の、親子二代に渡るウイナーが誕生した、それはWRCの歴史に印される記念すべき瞬間。息子が自分に並び、軽々と越えていこうとする姿を目にして、ハリさんは本当に嬉しかったに違いない。

もうひとり、ロバンペラの優勝をまるで自分のことのように喜んでいたフィンランド人がいた。ラトバラ代表だ。自身が持っていた最年少優勝記録を破られたにも関わらず、それを残念に思うのではなく、ライブ映像では本当に嬉しそうな姿が映し出された。まさに、ラトバラ代表の人柄を象徴する映像だったが、目を閉じると脳裏に浮かぶのは、そのラトバラ代表が2008年のラリー・スウェーデンでWRC初優勝を飾ったシーンだ。クルマを降りポディウムに立った若き日の彼は、はにかんだような笑顔を浮かべていた。舞い散る金色の紙吹雪の中、シャンパンを振る姿はキラキラと輝いて眩しく「ああ、新しい時代が始まるんだな」とシャッターを押しながらワクワクしたことを覚えている。僕は、ラトバラ代表がもっともっと多く勝ち、ワールドチャンピオンになるに違いないと思っていた。でも、彼はついぞタイトルを獲れないまま現役を離れた。

そのこともあって、ラトバラ代表は自分が果たせなかった夢を、同郷のロバンペラに託しているのかもしれない。考えてみれば、フィンランド人がワールドチャンピオンになったのは2002年のマーカス・グロンホルムが最後。以降、ローブ、オジエとフランス人の時代が長く続き、その系譜を絶ち切ったのはエストニア人のオィット・タナックだった。実は、ラリー王国フィンランドから久しく世界王者は誕生していないのだ。また、今回ロバンペラが優勝するまで、長らくWRCでフィンランド人は優勝しておらず、最後に勝ったのは2018年の最終戦ラリー・オーストラリア。ラトバラ代表がヤリスWRCであげたキャリア最後の勝利以降、誇り高き「フライング・フィン」の時計は止まったままだった。それだけに、自分が率いるチームの若獅子が伝説を継承し、ラリー王国復活の物語がスタートしたことにラトバラ代表は大きな喜びを感じたのだろう。もっとも、本当は「自分もヤリスWRCで走りたい!」と思っているに違いないだろうが。

ちなみに、WRCにおける最年少優勝記録は、1位ロバンペラ、2位ラトバラ代表、3位ヘンリ・トイボネン(故人)、4位マルク・アレンと、トップ4がフィンランド人である。ラトバラ代表は「最年少優勝記録がフィンランド人からフィンランド人へと受け継がれて嬉しい」と語っていたが、ロバンペラには先人達が果たせなかった、世界王座獲得を是非とも実現して欲しいものだ。ローブが初めてタイトルを獲得したのは30歳、オジエは29歳だった。そして最年少タイトル獲得記録は、コリン・マクレー(故人)が1995年に記録した27歳109日。このままロバンペラが順調に成長し、勝ち星を増やしていけば、マクレーの記録を更新することも不可能ではないだろう。ただし、少しだけ心配に思う要素もある。それは、タイヤのマネージメントだ。

オジエがトップカテゴリーに上がるまで、WRCでもっともタイヤの使い方が巧みだったのはローブだった。そしてオジエは、そのローブ以上にタイヤを上手にマネージメントできるドライバーであり、純粋な速さだけでなく、タイヤの使い方の上手さもライバルに対する大きなアドバンテージである。例えば、1本のステージを同じ新品タイヤでスタートし、同じようなタイムを記録したとしても、オジエはライバルよりもタイヤの減りかたが少なく、なおかつ摩耗のバランスもいい。そのため、その後さらにステージを重ねていった時、オジエのタイヤはライバルよりも山が多く残っていて、最後までタイムが落ちないのだ。また、摩耗が厳しい路面のステージで多くのドライバーが耐久性を考えてハードを選ぶ中、オジエはグリップを優先してソフトを選び、ライバルよりも良いタイムを刻んだ上で最後までタイヤを持たせるといったようなシーンも、これまで何度も見てきた。

それに対して、現役時代のラトバラ代表は、1発の速さではオジエに引けを取らなかったが、タイヤを摩耗させてしまうことが多く、速さを最後まで保ち続けることに苦労していた。彼の、見るものを興奮させる、しかしタイヤには厳しいアグレッシブなドリフト走行がその原因である。そして、ラトバラ代表と走りのスタイルは少し違うが、ロバンペラもタイヤに厳しい走りをする。彼のステージ後のコメントや、映し出されるタイヤを見ると、タイヤマネージメントは正直それほど上手くない。逆に、よくこれだけ減ったタイヤであのタイムを出したものだと、驚くことも少なくない。フィンランドやスウェーデンといった、緩い高速コーナーが続くグラベル(未舗装路)や、コンディションの良いスノーラリーならば、タイヤマネージメントの差はそれほど大きく出ない。だから、彼はスウェーデン、フィンランド、エストニアといったハイスピードな北ヨーロッパのラリーでは実力を存分に発揮できるのだ。しかし、ツイスティなコーナーが多く、路面が荒れているようなラリーではタイヤがかなり厳しそうに見える。彼が世界チャンピオンになるためには、今後タイヤのマネージメント力を改善していく必要があるだろう。

それでも、ロバンペラは課題を必ず克服できると僕は考えている。なぜなら、彼のすぐ近くにはタイヤマネージメントの天才であるオジエがいて、そのテクニックやノウハウを包み隠さずチームメイトに伝えようとしているからだ。ワールドチャンピオンが同じチームにいるというのは、そういうことなのだ。ロバンペラがオジエから多くを吸収し、さらに成長していく姿を、楽しみに見守りたい。

古賀敬介の近況

梅雨が明け暑さが一気に厳しくなった7月下旬、新型コロナ予防のためにワクチンの接種を受けました。昔から注射は苦手なのですが、うつらない、人にうつさないためドキドキしながら市の接種会場に足を運びました。接種会場では多くの人が働いておられ、改めて皆さんに感謝をして接種を受けました。3週間後に2回目の接種を受けた後、少し経ったらWRC現地取材を再開したいと考えていますが、スーパーフォーミュラとSUPER GTの取材も続けたいという気持ちもあり、毎日悩んでいます。

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