34年ぶりに日本人WRCウイナーが誕生
勝田貴元のサファリ優勝をふりかえる
WRCな日々 DAY72 2026.04.06
ついに「その瞬間」が訪れた。2026年3月15日、サファリ・ラリー・ケニア最終日。日本の勝田貴元がWRC初優勝を達成。1992年の篠塚建次郎さん以来、およそ34年ぶりに日本人ドライバーがWRCを制したのだ。
最終のパワーステージを走り切り、跳躍するマサイの戦士たちに迎えられてストップコントロールでGR YARIS Rally1を停めた勝田は、苦楽を共にしてきたコ・ドライバーのアーロン・ジョンストンと共にクルマのルーフ上に立ち、しばし瞼を閉じたまま勝利の喜びを噛みしめた。僕はクルマの真正面に陣取ったカメラマンたちと押し合いながら夢中でシャッターを切り、小声で叫んだ。「おめでとう、タカ!」と。そして「僕たちの夢も叶えてくれてありがとう」とも。
それまで勤めていた出版社を辞め、2001年にフリーランスとしてWRCの取材を開始した時、ふたつの夢があった。ひとつは日本でWRCが開催され、それを取材すること。そしてもうひとつは、日本人ドライバーがWRCで総合優勝する瞬間に立ち会うことだった。その後、WRC日本ラウンドは2004年に初開催され、自分にとっての最初の夢は比較的早い段階で叶えられた。しかし、WRCの取材を重ねれば重ねるほど、後者のハードルがいかに高いかを思い知ることになり、夢は夢のまま終わるのだろうか……と半ば諦め気味だった。なぜなら日本と世界を繋ぐラリーの道は脆弱であり、走る環境も日本と海外、とくにヨーロッパでは大きく異なっていたからだ。
もちろん、WRC開催ではなかったにせよサファリ・ラリーで優勝した藤本吉郎さん、WRCでポディウムまであと一歩と迫った岩瀬晏弘さんや新井敏弘選手のように、海外ラリーでも活躍した素晴らしい日本人ドライバーはいた。それでも年間を通して、いかなるタイプのラリーでも表彰台や優勝を狙えるような立ち位置ではなかった。そこに現れたのが勝田である。フォーミュラレースで磨いた持ち前のスピード感覚に加え、TGR WRCチャレンジプログラムの手厚いサポートも得た勝田は、経験を積み重ねながら着実に速さを増していった。その成長の過程を取材者として見てきた僕は「彼ならばいつか!」と期待を高めながらも、何度も大きな壁にぶち当たり、その度に苦悩する勝田の姿を目にすると、世界の壁が想像以上に高いことを実感するしかなかった。
それでも僕は、勝田の成功を信じることができていた。レッキやペースノート作成での妥協なき仕事ぶり、ドライビングスキル向上のための努力、エンジニアとのコミュニケーション能力、そしてチーム内外のトップドライバーを味方につける人間力の高さ。彼がWRCのトップドライバーになっていく過程を見守り続ければこそ、いつか必ず表彰台の頂点に立ってくれるに違いないと思えたし、その時は近いと確信していた。実際、これまで勝田は何度も表彰台に上り、2025年のラリー・スウェーデンを含むいくつかのラリーでは、優勝争いにも加わっていた。とくにラリー・フィンランドやラリー・スウェーデンといった超高速ラリーでは、純粋にスピードで勝負をできるまでに大きく成長していた。速さは既に十分。ポディウム最上段に立つために必要な最後のふたつのピースは、少しばかりの運とメンタリティ。そして、そのふたつの要素がカチリとはまったのが、今年のサファリ・ラリーだった。
ラリー後、勝田は「サファリでのクルマのセットアップとドライビングに関しては、決して満足できるレベルではありませんでした」と僕に打ち明けた。たしかに、出走順の優劣や路面コンディションなどを考慮しても、サファリでの勝田は、純粋なスピードでは首位を争っていたチームメイトにやや及んでいなかったかもしれない。加えてラリー開始早々のインターコムの不調やダブルパンクチャーなど、大きなタイムロスに繋がるアンラッキーな出来事もあった。しかし、そのような状況でも気持ちを強く保ち、自分自身の戦いを続けられたことが今回の勝利に繋がったといえる。これまで勝田は、序盤にトラブルやアクシデントに遭遇して大きくタイムを失うと、そこから気持ちを完全に切り替えるのにやや時間を要していたように思う。その点、チームメイトであるセバスチャン・オジエは切り替えが異常に早く、大きなタイムロスを挽回する驚異的なメンタリティと術に長けていた。
しかし、今年のサファリでの勝田は違った。ダブルパンクチャーを喫し、スペアタイヤが残っていない厳しい状況でも焦らず自分のペースを貫き、「必ずチャンスは訪れるに違いない」とポジティブさを失わなかった。周知の通り、今年のサファリはWRCとして開催されたイベントとしては、少なくともここ四半世紀で最も厳しいコンディションだった。ラリー前に大雨が続いたことで非常にマディな路面が多く、それが乾いてガチガチに硬化した極悪ラフロードも少なくなかった。また、泥で覆われた表層の下には大きな穴や岩が隠れ、どれほど入念にレッキを行ったとしても、パンクに繋がる全ての要素を排除することは不可能ともいえる状況だった。
そのような難コンディションの道では、リスクのマネジメントが他のラリー以上に重要になる。極端な話、トップドライバーならばスピードを上げようと思えばいくらでも上げることができるだろう。ただし、それと同時にパンクや車両破損の危険性は格段に高まり、今回も多くのドライバーがトラブルに泣いた。パンクも含め、完全に無傷だったドライバーは、僕が知る限りいなかったと思う。サファリが2021年にWRCのカレンダーに復帰して以降、TGR-WRTはクルマの抜群の信頼性の高さを武器に勝利を重ね、去年までに負けなしのサファリ5連覇を成し遂げてきた。そして、今年も序盤から5台のGR YARIS Rally1が上位争いを展開。その中でもとくに、開幕戦ラリー・モンテカルロを制したオリバー・ソルベルグのスピードは、目を見張るものがあった。
昨年のラリー・エストニアで初めてGR YARIS Rally1をドライブしたにも関わらず、いきなり優勝してしまったソルベルグは、今年TGR-WRTでレギュラードライバーの座を射止めた。カッレ・ロバンペラが抜けた穴を埋める存在として期待はされていたが、初戦のラリー・モンテカルロから早くもとてつもないパフォーマンスを発揮。雪と氷に覆われた非常に難しい路面で初日に大きなリードを築くと、そのまま最終日まで駆け抜け、WRCトップカテゴリー2勝目を手にした。元世界王者である父親のペターさんですら成し遂げることができなかった、ラリー・モンテカルロ優勝を実現したのである。ラリー・モンテカルロでの彼は、マイスターであるオジエさえも躊躇するようなトリッキーな路面を果敢に攻め、ミスはありながらも全体を上手くまとめ上げた。昨年のエストニアでもそうだったが、ソルベルグはグリップを得にくい路面を速く走ることが誰よりも得意である。トラクションを得やすい、やや柔らかめのサスペンションセッティングは彼のクルマの特徴であり、そのためにどうしても大きくなってしまうクルマの動きをコントロールする技術に長けている。
ラリー・モンテカルロで優勝したことにより、第2戦のラリー・スウェーデンでは出走順がトップになったが、凍結路面の上にうっすらと柔らかい雪が積もるコンディションでは、さすがのソルベルグも本来のスピードを発揮することができなかった。結果は、ドライビングミスもあり総合4位。残念ながらホームラリーで錦を飾ることはできなかった。TGR-WRTのテクニカルディレクター、トム・ファウラーは「もしオリバーがモンテカルロで勝っていなかったとしたら、スウェーデンでは確実に優勝争いに絡んでいただろう。彼の速さは本物だ」と、ソルベルグのパフォーマンスを高く評価する。一方で「ただ、近年のエルフィンのスウェーデンでの強さはちょっと異次元だ。彼が現在、スウェーデン最強のドライバーであることは間違いない」とも述べ、ラリー・スウェーデンで今年も勝田を抑えて2年連続優勝を飾ったエバンスを称賛した。
グリップレベルが低く、なおかつ不安定な路面で速さを示すソルベルグの強さは、ウルトラマディなコンディションとなったサファリ・ラリーでも存分に発揮された。僕は、まさに泥の海と化したオープニングステージで全身に泥をかぶりながら走りを撮影していたのだが、多くのドライバーがまったくグリップを得られずのたうち回る中で、ソルベルグはまるでモータボートのように泥の中をスルスルと加速していった。後でタイムを見ると、全長約24kmのステージで、何と2番手タイムのエバンスに30秒、3番手タイムのオジエに対しては39秒という大差をつけていた。その時僕は「これはモンテカルロの再現か? 」と思ったが、今年のサファリはそう甘くはなかった。
ソルベルグはコースオフやパンクでタイムを失い、首位こそ保ち続けたが、やはりパンクにより遅れをとりながらも怒濤の追い上げで2位まで順位を挽回してきたオジエに、1秒差まで迫られることになった。オジエもまた、グリップを得にくい路面でタイヤの性能を引き出すことが非常に上手いドライバーである。攻めどころが掴みにくい難しい路面で、ペースを掴みかねていたソルベルグを追うオジエの走りは、かなりアグレッシブだった。また、エバンスも彼らに匹敵する走りでトップ争いに加わっていたが、土曜日午前中のステージでダブルパンクチャーを喫し、その後サスペンションの破損によりデイリタイア。誰よりも確実性の高い走りをすることで知られるエバンスのデイリタイアは、かなりショッキングな出来事だった。
そしてさらに、土曜日午前中のステージを1-2で走り終えたソルベルグとオジエが、何とリエゾン(移動区間)でストップ。まさかのデイリタイアとなってしまった。両者ともオルタネータ(発電機)のトラブルに見舞われ、ソルベルグに関してはトランスミッションにも問題が生じていた。電気部品であるオルタネータは水や泥が入ると故障しやすいため、チームとしてもかなり入念に対策をしていたという。それでも今年のステージコンディションは想像以上に酷く、トラブルを抑え込むことができなかったようだ。泥や水が原因の問題は他チームのクルマにも多く発生しており、総じて例年以上に大きな負荷がクルマにかかっていたことは間違いない。
そのような状況で、コンディションに対し適切なペースを保ち、クルマにあまり大きなストレスをかけなかった勝田がついに首位浮上。2位に順位を上げたヒョンデのアドリアン・フォルモーに、その時点で1分以上のリードを築くことになった。そしてその差は、土曜日の終わりには約1分26秒に拡大。コンディション次第で簡単に差が縮まってしまうサファリ・ラリーであっても、それだけのリードがあれば守り切れるに違いないと信じながらも、僕の心臓は翌日のパワーステージまでドキドキしっぱなしだった。実際、夜中に何度も目が覚めるなど、眠りはかなり浅かった。これまで、優勝確実と思われたドライバーが最後の最後で姿を消すシーンを何度も見てきた。最後まで何が起こるか分からないのがWRCの怖さ。「タカがこれまで積み重ねてきた地道な努力が何とか最高の結果に繋がりますように」と、取材者としての公平さを完全に忘れて祈っていた。それだけに、パワーステージのストップコントロールで彼がルーフに立った時は、感情が昂ぶってしまった。そしてその後、思わずハグしてしまったことを、深く反省している。そのシーンが国際映像にバッチリと映ってしまい、ファンの皆さんやサポートしてきた人たちを、きっと不快な気持ちにさせてしまったに違いない。本当にすみませんでした。
ソルベルグとオジエのクルマにトラブルが発生しなかったら、勝田の優勝はなかったのでは? と考える人もいるかもしれない。しかし、サファリはサファリ。今年のようなコースでトラブルと無縁でラリーを走り切ることはまず不可能だ。リスクレベルはその年々で異なり、今年は間違いなくリアルサバイバルの年だった。そのようなタフな状況で、勝田はコンディションに対し最適なスピードを保ち続けた。それが最大の勝因である。
ラリー・スウェーデンでエバンスと2年連続で優勝を争ったことからも分かるように、今の勝田は勝つために必要なスピードを備えている。その上で、スピードの蛇口をいかに上手くコントロールするかが、課題だった。序盤に抑えすぎれば挽回は難しくなる。しかし、全てのステージで大きなリスクを負って走ればミスをする可能性が高まり、上位争いさえ難しくなる。一度も勝てていなかった時は「得意なラリーでは絶対に勝たなければならない」という気持ちが強くなり過ぎ、それがミスに繋がってしまったこともあったと勝田は言う。しかしWRC初優勝という大きな目標を達成した今、勝田はこれまでとは異なるアプローチでラリーを戦うことができるはずだ。例えば常に表彰台を狙える位置につけ、フィーリングやペースが良い時はある程度のリスクを負って勝負に出る。しかし、そうでない時は2位、3位でラリーを終えることを素直に受け入れる。そういった、気持ちに余裕を持った戦いかたを続ければ、勝利の可能性は今後さらに高まるに違いない。今シーズンはこの後、ホームイベントであるラリージャパンや、ラリー・フィンランドなど、これまで表彰台に立ってきた相性の良いラリーが控えている。WRCウイナーとなった勝田の、まずはラリージャパンまでのシーズンの組み立てかた、そして、その後のさらなる跳躍に注目したい。勝田の初勝利に立ち会えた今、僕の中で新たなる夢が萌芽した。それは……、今はまだ心の中にとどめておこうか。
古賀敬介の近況
勝田選手が得意としているサファリには、もちろん取材に行くつもりでしたが、世界情勢の急激な変化により予定していた中東経由のフライトが寸前でキャンセルに。代替フライトを予約することがなかなかできず、現地取材は難しいかもしれないと覚悟していました。しかし、何とかギリギリで行くことができるようになり、勝田選手のWRC初優勝の瞬間を見届けることができました。渡航に際していろいろサポートをして頂いた皆さんに心から感謝します。ありがとうございました!