// 2021 season

モータースポーツジャーナリスト古賀敬介のWRCな日々

  • WRCな日々 DAY8 - もし一生に一度だけWRCを見に行くのなら?-それはフィンランド以外あり得ない

もし一生に一度だけWRCを見に行くのなら?
-それはフィンランド以外あり得ない

WRCな日々 DAY8 2020.8.7

もし誰かに「WRCを1回だけ見に行くとしたら、どのラリーがお勧め?」と聞かれたら、迷うことなく即答する。「ラリー・フィンランド」と。考えるまでもない。フィンランド一択だ。もちろん、他にも素晴らしいラリーは山ほどある。ラリー・モンテカルロの壮麗なスタートは唯一無二だし、岩山の間を豪快に駆け抜けるラリー・アルゼンチンも見応えがある。それぞれのラリーにそれぞれの強い個性があり、だからWRCは魅力的なのだ。しかし、どのラリーが最も激しく気持ちを揺さぶるかといえば、やはりフィンランドだ。それは、学生時代に初めてWRCを観戦した1992年の夏から、今に至るまで変わっていない。

20年以上WRCを見続けると、さすがに感覚が麻痺してくる。ラリーカーは年々速くなってきているが、そのスピード感に目が慣れてしまい、迫力の走りを見てもなかなか心拍数が上がらなくなってきている。それは、決して良いことではなく職業病ともいえるが、そんな僕にも1年に2回、気持ちがリセットされるイベントがある。冬季のラリー・スウェーデンと、夏季のラリー・フィンランドだ。スウェーデンは雪の上を、フィンランドは砂利道の上を走るという路面の違いはあるが、両ラリーに共通するのは圧巻のハイスピードコーナリング。「なぜ未舗装の道を、市販車然としたクルマがこんなに速く走れるのか?」と、見る度に頭の中がクエスチョンマークで一杯になり、寒くても暑くても全身にゾワッと鳥肌が立つ。そして呟くのだ。「やはり、ハイスピードなラリーが最高だよね」と。

ラリー・フィンランドの主催者は、他にない悩みを抱えている。それは、ステージの平均速度をいかに落すかだ。ラリーで使われているステージは昔から大きくは変わらず、路面の整備が進んだとはいえ砂利道であることは変わらない。しかし、ラリーカーの性能がどんどん向上し、ステージの平均速度は軽く120km/hを越える。ここ数年はやや低めで推移しているが、それには「からくり」がある。平均速度を落すために、あえてクネクネとした路面の悪い道を走らせたり、直線の途中にシケインを設けるなどして、強制的にスピードを落しているのだ。だから、そういった人為的な操作をしていないステージは今なおとんでもなくハイスピードで、2019年大会は平均速度が約130km/hのステージが4本もあった。ちなみに、同年の年間最速ステージトップ10には、フィンランドのステージが7本、スウェーデンのステージが2本入っている。

サーキットレースで平均速度130km/hといったら、それほど速くはない。しかし、森の中の直線区間があまりない砂利道での平均130km/hは異常なスピードだ。しかも道は左右だけでなく、上下にも大きくうねっている。「クレスト」と呼ばれる丘は、速度が上がれば自然のジャンプ台となり、クルマは空中に大きくはね上げられる。ラリー・フィンランドで最も有名な高速ステージ「オウニンポウヤ」の名物ジャンプは、最長飛距離が50m以上に達する。想像してほしい。新幹線2両分の距離を、市販車とあまり変わらぬ見た目のクルマがひょいっと飛ぶのだ。ちなみに、僕たちメディアは、着地地点のすぐ脇で撮影することを許されている。時速180kmキロくらいで、50m近く飛んだクルマが自分のすぐ横に着地するのだから思わず身震いする。ファインダーをのぞいていると着地の瞬間を見ることはできないが、いつ着地したのかは良くわかる。ドスンという音と共に地面がブルブルッと大きく揺れるからだ。こんな経験、なかなかできるものではない。

そのオウニンポウヤのステージで、幸運にもラリーカーの助手席を経験したことがある。2010年、元WRCチャンピオンのペター・ソルベルグが、プライベートテストに招待してくれたのだ。テストといってもクルマは当時最新最速のWRカー、シトロエンC4WRCで、翌週ラリー・フィンランドで使う本番車だった。ソルベルグは「これはテストの一部だから全開で走る。覚悟してくれ」と僕に伝え、笑顔なく難関オウニンポウヤにコースイン。走る前は幅広く感じられた道が、まるで1本の糸のようにしか見えなくなり、両脇の木々が信じられないようなスピードで流れ去る。そして、高速コーナーではイン側に置いてある牧草の束ギリギリをかすめ、サイドミラーをわずかに当てながらクリア。1cm単位でコーナリングラインをコントロールしているように思えた。後でその牧草の束を見たら、ほぼ同じ場所にサイドミラーによって刻まれた傷がいく筋もあった。素晴らしいテクニックであるが、横に乗っている間は正直恐ろしくてしょうがなかった。それ以前にもニュージーランドやスペインで何度かWRカーの助手席を経験していたし、サーキットでスーパーGTのGT500車両の横に乗ったことがある。それでも1度も恐怖を感じたことはなかったが、オウニンポウヤの林道は別次元で本当に怖かった。コーナリングラインが少しでも外側に膨らんだら大クラッシュ不可避という状況で、ソルベルグはクルマの姿勢を絶妙にコントロール。コーナーの入口で前輪がアウト側に逃げる感覚があり「これは曲がらない、絶対にコースアウトする」と身構えた直後、後輪が僅かに外側に滑って前後のバランスがつりあい、理想的なコーナリング姿勢に。「これが最新のクルマと最高のドライビングテクニックなのか」と目から鱗が落ちた。その直後、ビッグジャンプの着地で首が大きく揺すられ、軽いムチウチになったのも今では懐かしい。

それから7年後、僕はフィンランドの道で再びWRカーの助手席を経験するビッグチャンスを得た。クルマはヤリスWRC、ドライバーは前日のラリー・フィンランドでWRC初優勝を達成した直後のエサペッカ・ラッピという、それ以上は望めないくらい恵まれたシチュエーションだった。以前にソルベルグの助手席を経験していたから、走行ステージは違えどある程度の予想はできていたが、ヤリスWRCの助手席は僕の想像を遥かに超える体験だった。エンジンのパフォーマンスもさることながら、最も驚いたのはクルマの安定性の高さだ。速度が上がれば上がるほどクルマが地面に押しつけられる感覚が高まり、異常なスピードで林道を走っているにも関わらず抜群の安心感があった。クルマはステアリングを切った分だけ過不足なく曲がり、実際はともかく、ラッピは修正舵も少なくいたって簡単に運転しているように見えた。ソルベルグの助手席を経験した際は、クルマをギリギリのラインでコントロールしているような張りつめた緊張感があったが、ラッピ駆るヤリスWRCの助手席では、終始心穏やかでいることができ怖くはなかった。クルマは昔よりも確実に速くなっているはずだが、同時に安定性も増している。タイヤとサスペンションの性能が大きく向上したことは確かだが、それ以上にエアロダイナミクスの進化を強く実感した。ヤリスWRCは究極の空力ラリーカーと誉れ高いが、助手席でもしっかりとその強烈なダウンフォースを感じることができた。あの、真上から地面に押しつけられる力があるからこそ、タイヤはしっかりと砂利道を捕え、ドライバーは自信を持って高速ステージを攻めきれるのだろう。ヤリスWRCがスウェーデンやフィンランドのようなハイスピードラリーで速く、強い理由を貴重な助手席体験によって理解することができた。

今年のラリー・フィンランドは、新型コロナウイルスの影響で中止となってしまった。セバスチャン・オジエ、エルフィン・エバンス、そしてカッレ・ロバンペラが、フィンランドの森をヤリスWRCでかっ跳ぶ姿を見ることができないのは残念でならない。いったい彼らは、どんなドライビングを見せてくれたのだろうか? 代替としてラリー・エストニアが9月に開催されることになり、それは楽しみであるが、やはりラリー・フィンランドのない夏は味気ない。少しでもはやく世界が平常になり、世界最高のラリーイベントが来年フィンランドに戻ってくることを願うばかりだ。

古賀敬介の近況

WRCは9月のラリー・エストニアでシーズンが再開しますが、国内のモータースポーツもようやくシーズンが始まりました。7月はスーパーGT開幕戦富士を取材し、8月もスーパーGT第2戦富士、スーパーフォーミュラ開幕戦もてぎとビッグレースの取材が続きます。9~10月はほぼ毎週末レースやラリーがあるのですが、海外取材に出ると帰国後2週間の隔離期間が必要なため、どうしたものかと思案中。難しい決断を迫られています。