Greatest Rally Cars in History 〜歴史に残るラリーカーたち〜 | The WRC Chronicle vol.1

100年を超える自動車ラリー競技の長い歴史に
名を刻んだ数々の名車たち。
その中から各時代を代表するラリーカーを
ピックアップしてご紹介します。

LANCIA

ランチア・デルタ HF 4WD/デルタ HF インテグラーレLANCIA DELTA HF 4WD / DELTA HF INTEGRALE

  • CATEGORY グループA
  • YEARS ワークス参戦期間:1987年〜1992年

ランチア・デルタ HF インテグラーレ(ディディエ・オリオール)/1992年 WRC開幕戦 ラリー・モンテカルロ

  • PHOTOランチア・デルタ HF インテグラーレ(ディディエ・オリオール)/1992年 WRC開幕戦 ラリー・モンテカルロ
2ℓターボ+4WDのパッケージを確立した
名門ランチアの最終兵器

1987年から「グループA」がWRCの総合優勝を争う最上位の車両カテゴリーとなりました。ラリーカーに仕立てた際もそのベースとした量産車の基本的な成り立ちは踏襲しなければならないルールのカテゴリーで、ベースにする量産車は5000台(1993年より2500台に変更)の生産台数がある必要がありました。

そうした条件のもと、グループA時代の初期には様々な排気量のエンジンや駆動方式のクルマがWRCに出場していました。その中で、ターボ過給の2ℓガソリンエンジンに4WDシステムの組み合わせが最強という図式を確立したのがランチア・デルタ HF 4WDであり、その進化版であるデルタ HF インテグラーレでした。

ランチア・デルタ HF 4WD/デルタ HF インテグラーレはWRCで通算46勝を挙げ、ミキ・ビアジオンとユハ・カンクネンが2回ずつチャンピオンに。同車によりランチアは1987年から1992年まで6年連続でマニュファクチャラー選手権を制し、グループA時代の初期を席巻。数々の名ラリーカーを送り出してきたランチアにとってデルタは、目下最後のWRCチャンピオンマシンとなりました。

TOYOTA

トヨタ・セリカ GT-FOUR(ST185)TOYOTA CELICA GT-FOUR (ST185)

  • CATEGORY グループA
  • YEARS ワークス参戦期間:1992年〜1995年

ST185型トヨタ・セリカ GT-FOUR(ユハ・カンクネン)/1994年 WRC第2戦 ラリー・オブ・ポルトガル

  • PHOTOST185型トヨタ・セリカ GT-FOUR(ユハ・カンクネン)/1994年 WRC第2戦 ラリー・オブ・ポルトガル
専用ベース車の販売で実現した
トヨタで目下最も成功を収めたラリーカー

トヨタ初の2ℓターボ+4WDのラリーカーであったST165型セリカ GT-FOURにより、トヨタは1990年にカルロス・サインツによって初のWRCタイトルを獲得しました。そして、後継機であるST185型セリカ GT-FOURを1992年のWRC開幕戦ラリー・モンテカルロから走らせました。

トヨタは、ラリーでの使用に適した水冷式インタークーラーと金属製ターボを装備するST185型の限定モデル「セリカ GT-FOUR RC」を5000台限定で販売しました(海外では「セリカ GT-FOUR カルロス・サインツ リミテッドエディション」の名で販売)。こうした少量生産の限定モデルを出すのは当時のトヨタとしては異例なことでしたが、同モデルをベース車両としたことによりST185型セリカ GT-FOURのグループAラリーカーは高い戦闘力を手に入れました。

ST185型セリカ GT-FOURにより、1992年(サインツ)、1993年(ユハ・カンクネン)、1994年(ディディエ・オリオール)と3年連続でトヨタのドライバーがWRCチャンピオンに輝きました。また、トヨタは1993年〜1994年と2年連続でマニュファクチャラー選手権を制覇。ST185型セリカ GT-FOURはWRCで通算16勝を挙げ、トヨタの数々のラリーカーの中でこれまでのところ最も成功を収めたモデルとなっています。

SUBARU

スバル・インプレッサSUBARU IMPREZA

  • CATEGORY グループA
  • YEARS ワークス参戦期間:1993年〜1996年

スバル・インプレッサ WRX(コリン・マクレー)/1995年 WRC第5戦 ラリー・ニュージーランド

  • PHOTOスバル・インプレッサ WRX(コリン・マクレー)/1995年 WRC第5戦 ラリー・ニュージーランド
ボクサーエンジンの咆哮を轟かせ
世界中にスバルファンを生み出す

スバルは1980年代にはレオーネ 4WDでサファリ・ラリーに毎年挑んでいましたが、1990年から2ℓターボ+4WD車のレガシィ(初代)グループAラリーカーによってWRCにレギュラー参戦。その活動が3年目に入った1993年の夏に新型車であるインプレッサをデビューさせました。

この初代インプレッサは、初代レガシィで実績を積んだエンジンや4WDシステム等をレガシィよりコンパクトなボディに搭載した、という成り立ちのクルマでした。独特なサウンドを轟かすスバルならではの水平対向4気筒エンジンによって、インプレッサはひときわ低重心なラリーカーでした。クイックなハンドリングと俊敏な動きが特徴的で、当時絶大な人気を誇ったコリン・マクレーのアグレッシブなドライビングと相まって、世界中にスバルファンを生み出し、ワークスマシンのボディを彩ったブルーはスバルの市販車にも採用されて人気を博しました。

スバルは1995年にWRCドライバー選手権をマクレーにより初めて制覇。初代インプレッサのグループAラリーカーとそれに続くワールドラリーカーにより、スバルは3年連続でマニュファクチャラー選手権を制しました。

MITSUBISHI

三菱 ランサーエボリューションMITSUBISHI LANCER EVOLUTION

  • CATEGORY グループA
  • YEARS ワークス参戦期間:1993年〜2001年

三菱 ランサーエボリューションⅤ(トミ・マキネン)/1998年 WRC第11戦 ラリー・サンレモ

  • PHOTO三菱 ランサーエボリューションⅤ(トミ・マキネン)/1998年 WRC第11戦 ラリー・サンレモ
独創の4WDシステムを原動力に
マキネンを4年連続で王座に就かせる

長年にわたってWRCへの挑戦を断続的に行ってきた三菱自動車は、1988年にデビューさせた2ℓターボ+4WD車のギャラン VR-4 グループAラリーカーによって1992年までにWRCで計6勝をマーク。その後継機として1993年からWRCに投入されたのが、ギャラン VR-4よりコンパクトなボディを持つランサーエボリューションでした。

当時の4WDラリーカーの大半が油圧で作動するディファレンシャルを採用していた中、三菱は応答速度の早い電磁式を独自に開発。これに、やはり独自に作り上げた電子制御による駆動力配分システムと強大なトルクを発生するロングストロークエンジンを組み合わせて武器としました。そして、1995年からトミ・マキネン(現TOYOTA GAZOO Racing WRT代表)がドライバーとして三菱チームに参加。1996年にマキネンは三菱にとっても彼にとっても初めてであったWRCドライバーズタイトルを獲得すると、1999年まで4年連続でWRCチャンピオンに輝くという当時前人未到の大記録をランサーエボリューションに乗って打ち立てました。

ラリーカーのベースである市販モデルのランサーエボリューションは、量産車としては異例と言える1年程度の短いサイクルでマイナーチェンジを繰り返しながら進化。2度のフルモデルチェンジも挟みながら、最終的には10代目の「ランサーエボリューションⅩ」にまで発展しました。

PEUGEOT / CITROEN

プジョー 206 WRC/シトロエン・クサラ WRCPEUGEOT 206 WRC / CITROEN XSARA WRC

CATEGORY
ワールドラリーカー
YEARS
ワークス参戦期間:1999年〜2003年(206 WRC)/2001年〜2006年(クサラ WRC)

プジョー 206 WRC(マーカス・グロンホルム)/2000年 WRC第13戦 ラリー・オーストラリア

  • PHOTOプジョー 206 WRC(マーカス・グロンホルム)/2000年 WRC第13戦 ラリー・オーストラリア


シトロエン・クサラ WRC(セバスチャン・ローブ)/2004年 WRC第14戦 ツール・ド・コルス

  • PHOTOシトロエン・クサラ WRC(セバスチャン・ローブ)/2004年 WRC第14戦 ツール・ド・コルス
新時代のWRCをフランス色に染めた
2台の仏製ワールドラリーカー

1997年よりWRCには「ワールドラリーカー」という新しい車両カテゴリーが導入されました。その車両規則は、小排気量の前輪駆動車を2ℓターボ+4WDのモンスターマシンに変身させられるというものでした。そしてフランスのプジョーは、「206」というコンパクトカーに高出力の2ℓターボエンジンと高度な4WDシステムを搭載した「206 WRC」を開発。1999年よりWRCに送り込みました。

コンパクトなボディは全開走行時の挙動の不安定さを呼びがちですが、プジョーはそのハンディを高度な電子制御技術によって補いました。そして、206 WRCを駆ったマーカス・グロンホルムは2000年と2002年にWRC制覇を成し遂げます。また、プジョーは2000年から2002年まで3年連続でマニュファクチャラーズタイトルを獲得。2012年までフランス車がWRCを牛耳る時代が続くことになりましたが、その端緒を飾ったマシンが206 WRCでした。

プジョーが206 WRCで我が世の春を謳歌していたところへWRCに乗り込んできたのが、同じPSAグループの自動車メーカーであるシトロエンでした。彼らが投入してきた「クサラ WRC」は、ボディのサイズが206 WRCよりひと回り大きく、とても手堅い作り方で開発されたワールドラリーカーでした。

シトロエンはこのクサラ WRCにより2003年からWRCにフル参戦します。そのエースドライバーは当時28歳であったセバスチャン・ローブでした。ローブは、2003年はスバルのペター・ソルベルグに1ポイント差で敗れて王座を逃しましたが、2004年には初のWRCタイトルを獲得。最終的にローブは2012年まで9年連続でWRCチャンピオンに輝くという空前絶後の大記録を樹立しますが、その始めの3年(2004年〜2006年)においてタイトルを彼にもたらした愛機がクサラ WRCでした。