The WRC Chronicle vol.2 - The regulations change

フェアな競争の実現のために
不可欠な車両規則。
WRC創設当初のグループ4から、
グループB、グループAと進み、
現在のワールドラリーカーへと至る
トップカテゴリーの車両規則の変遷を
たどります。

EARLY YEARS

黎明期

 

19世紀の終盤に内燃機関を搭載した自動車が誕生すると、この新しい乗り物を使ってA地点からB地点までいかに速く移動できるかを競い合う勝負がすぐに行われるようになりました。それが自動車ラリー競技の原点です。

当初、各参加者が乗るクルマの仕様はバラバラでした。しかし、それではフェアな競争はなかなか実現しません。そこでほどなくして、参加車両の速さを一定のレベルにそろえる目的で、車両規則というものが定められるようになりました。

フォード V8/1957年 サファリ・ラリー

  • PHOTO フォード V8/1957年

GROUP 4

グループ4

1966〜1982年

はじめは各ラリー大会によって違いがあった車両規則ですが、1950年代後半になると国際的に共通化が図られていきました。そして1966年には、グループ1からグループ6までの6つのカテゴリーに分かれた新たな国際競技車両規則がFIA(国際自動車連盟)によって制定され、そのうちグループ1からグループ4までがラリーカーの車両規則に用いられました。

「グループ4」は、1973年にWRC(FIA世界ラリー選手権)が創設された当時のラリーカーのトップカテゴリーでした。それは、過去12カ月のうちに最低500台(のちに400台に変更)が製造されたクルマをベースとする「特殊グランドツーリングカー」という種類のカテゴリーでした。このグループ4の車両規則は1982年まで使用され、WRCの初代チャンピオンカーであるアルピーヌ・ルノー A110 1800やランチア・ストラトス HF、フォード・エスコート RS1800、フィアット・アバルト 131 ラリーなどが代表的な車両として活躍しました。

フィアット・アバルト 131 ラリー/1978年 アクロポリス・ラリー

  • PHOTO フィアット・アバルト 131 ラリー/1978年

GROUP B

グループB

1983〜1986年

このグループ4に代わるラリーカーのトップカテゴリーとして1982年に制定され、翌83年から本格的に運用されたのが「グループB」です。グループB車両規則では、ベース車両が必要な生産台数は200台に減らされ、更にそのラリーカーバージョンを20台製造すればFIAの公認を取得できる、とされました。
その結果、標準的な前輪駆動のコンパクトカーをベースにしながら、エンジンをミッドシップに、駆動方式を4WDにそれぞれ変更し、エンジンそのものも過給器付きの超高性能なものに変えたプジョー 205ターボ16やランチア・デルタ S4などのモンスターラリーカーが続々と登場することになりました。

ランチア・デルタ S4/1986年 ラリー・モンテカルロ

  • PHOTO ランチア・デルタ S4/1986年

GROUP A

グループA

1987〜1996年

グループB時代には、1トンをゆうに切る車体に最高出力が500馬力を超えるほどのエンジンを積んだクルマが乱舞することになり、結果的に悲劇的な事故が立て続けに発生しました。グループBラリーカーは1986年をもってWRCでは使用禁止となり、1987年から「グループA」がWRCのトップカテゴリーへと繰り上がりました。

「グループA」は、そもそもはグループBに次ぐポジションにあったカテゴリーです。過去12カ月のうちに最低5000台(のちに2500台に変更)が製造されたクルマがベースであることが条件で、グループBでは可能だったボディ形状やサスペンション形式、エンジン内部の変更がグループAでは不可。つまり、ベース車両のそもそもの性能の高さがとても重要なカテゴリーでした。

トヨタ・セリカ GT-FOUR(ST165)/1990年 1000湖ラリー

  • PHOTO トヨタ・セリカ GT-FOUR(ST165)/1990年

WORLD RALLY CAR

ワールドラリーカー

1997年〜現在

市販車両の性能がラリーカーとしての性能を大きく左右するグループAは、自動車競技としてはとても良いカテゴリーでした。しかし、WRCで勝つための必須条件となった2ℓターボエンジンと4WDシステムの組み合わせを持つクルマの市場は小さく、そのようなクルマを量産して市販できる自動車メーカーは世界的にも少数でした。つまり、多くの自動車メーカーは、それに適したクルマを持たないためにWRCに参戦したくともできない、というジレンマを抱え続けることになったのでした。

そうした状況の打開策として1997年に登場したのが「ワールドラリーカー」でした。グループAの派生カテゴリーという位置づけで現在も運用されているこの車両規則では、かつてのグループBほど大幅なものではありませんがボディ形状やサスペンション形式を変更することができ、ベース車両が前輪駆動であるところを4WDに変えてしまうことも可能です。ただし、車重やエンジン性能などはグループAのレベルにとどまるよう配慮されており、ワールドラリーカーを手がける各自動車メーカーの専門チームは様々な領域において高度で緻密な開発を行い、性能を高め続けています。

トヨタ・セリカ GT-FOUR(ST165)/1990年 1000湖ラリー

  • PHOTO シトロエン C4 WRC/2007年

ワールドラリーカー時代の当初、エンジンはグループA時代から続く2ℓターボが標準でした。それが、2011年に車両規則が大幅に変更された際に、エンジンは1.6ℓターボへとダウンサイジング化が図られました。そして2017年にはワールドラリーカーとしては2度目となる大きな改訂があり、そこで改まった車両規則が2018年現在も運用されています。