〝最後のヤリスWRCを、
最強のヤリスWRCとする″

〝最後のヤリスWRCを、
最強のヤリスWRCとする″

2017年にデビューしたヤリスWRCは、ラストイヤーとなった2021年までの5シーズンに26回のWRC優勝を獲得。二度のマニュファクチャラーズタイトル、三度のドライバーズタイトル獲得を支え、1997年から始まったWRカー(ワールドラリーカー)の歴史の最終章に名を残した。TOYOTA GAZOO Racingワールドラリーチームにおけるワークスカーとしての役目は、レギュレーションの変更に伴い2021年シーズンが最後となったが、最終年は13戦中9戦で優勝を飾るなど「最後のヤリスWRCを、最強のヤリスWRCとする」というチームの目標を実現し、第一線を退いた。そのヤリスWRCの進化を、車体とエンジンの両面から振り返る。

車体の進化

2017年にデビューした、ヤリスWRCの設計作業がスタートしたのは2015年の9月。それ以前にもTMG(現、TGR-Eドイツ)ではWRカーの開発が別途進められていたが、元WRC世界王者であるトミ・マキネンが全面的にプロジェクトを引き継ぐことになり、エンジン以外の開発についてはフィンランドに彼が構えたファクトリーで行なうことになった。フィンランドには世界中から優れたエンジニアが集まったが、クルマ全体の開発を指揮するテクニカルディレクターのトム・フォウラーもそのひとりだった。

2015年 テスト車両

テクニカルディレクター トム・フォウラー

マキネンがヤリスWRCを開発するにあたってもっとも重視したのは「ドライバーが意のままに操れるクルマ」にすることであり、それを実現するためにフォウラーを始めとするエンジニアたちは、クルマの基本デザインを注意深く検討した。重心をなるべく低く、重量物はできる限り車体の中心に集めることにより、運動性能を高める。それは、後述するエンジンについても例外ではなく、全ての要素が高いバランスでまとまり、ドライバーが何も違和感を覚えることなく、自信を持って走ることができるようなクルマとすることが、エンジニアたちの共通認識としてあった。その上で、ライバルに対し大きなアドバンテージを築くことができる「強み」を持たせることも重視。それが、WRカーのそれまでの常識を超越したアグレッシブな造形の空力パーツだった。

2015年 テスト車両

サーキットを走るレーシングカー、特にフォーミュラカーでは空力が非常に重要な役割を担う。しかし、路面に凹凸があり、ジャンプもするラリーカーの場合は安定した空力性能を確保することが難しいこともあり、サーキットレーサーほどは重視されていなかった。しかし、ヤリスWRCはリヤウイングという大型の付加空力パーツだけでなく、ドアパネルや前後のフェンダーなどボディ全体を空力パーツとして捉え、細部に至るまで空力性能を高めるためのデザインが施された。その結果、ダウンフォース、つまりクルマを空気の力で地面に押しつける力が特に効果を発揮する高速イベントのラリー・スウェーデンやラリー・フィンランドでは、空力による高い安定性に支えられて抜群の速さを発揮。特に、ラリー・フィンランドでは出場した5回の大会で全て優勝し、一度も負けることがなかった。

2021年~2017年 リヤウイング

それでも、実戦を重ねるうちにさらなる改善点が見つかり、チームは毎年のように空力デザインをブラッシュアップしていった。特に力を入れたのはフロント部分であり、バンパー左右のいわゆるカナードを大型化したり、フロントフェンダーの上部および後方部分に複雑な形状の開口部を設けたり、パネルを追加するなどして改善に努めた。その主な目的はフロントのダウンフォース獲得である。リヤに関しては大型のウイング装着によりかなり大きなダウンフォースを獲得することができたが、フロントはそうすることが難しく、空力の前後バランスはやや後ろ気味だった。そのため後輪のグリップは非常に高くなり、それが高速ステージでの安定性向上に大きく寄与した。一方で、前輪を押さえ付ける力が相対的に少なくなりやすい傾向があったのも事実であり、ステアリングを切った時のレスポンスがやや鈍くなることや、クルマが曲がりにくい、アンダーステア状態となることもあった。それに対処するため、カナードを上下2段として大型化したり、タイヤの回転によって生じる空気の乱流を逃がすための開口部をフェンダー後部に設けるなどした。その結果、ヤリスWRCのハンドリングバランスは大幅に好転したが、2021年の車両についてはさらなるフロントのダウンフォース獲得を目指し、フロントフェンダーのデザインを再び大きく変更した。

2021年 Rd. 1 ラリー・モンテカルロ

もっとも特徴的なのは、フェンダーのサイドに設けられたノコギリの歯状の黒いプレートである。これは、クルマがドリフト状態となり横向きになった時にもダウンフォースを効率的に得るためのパーツあり、それと同時に抵抗に繋がる空気の流れについては上手く逃がすことも計算してデザインされている。2017年にヤリスWRCが採用した空力デザインは、その後ライバルチームも取り入れキャッチアップを図ったが、ヤリスWRCの開発チームは絶えず「次の一手」を打つことにより、空力的なアドバンテージを保ち続けた。なお、フロントフェンダー上部および後部の開口部は、エンジンルーム内やフェンダー内の熱気や乱れた空気を逃すためのものであり、加熱しやすいダンパーの冷却効果も担っている。2022年から導入される、次期WRCトップカテゴリーカーのRally 1では、こうしたフロントセクションの複雑な空力デザインは禁止されるため、2021年型のヤリスWRCは、究極のエアロダイナミクスカーとしてWRCの歴史に名を残すことになるだろう。

2021年 Rd. 12 ラリー・モンツァ

2021年型のヤリスWRCは、全てのドライバーが
自信を持って操ることができるクルマへと進化した

ヤリスWRCは、TOYOTA GAZOO Racingが初めて開発したWRカーだったこともあり、2017年の初代はかなり耐久性や耐衝撃性の高い基本設計がなされていた。とても丈夫なクルマであり、なおかつボディ剛性も非常に高かったが、そのためにやや重く仕上がっていたのも事実だった。その後、どれくらいのマージンを持たせればいいのかを、チームは実戦を重ねる中で理解し、クルマを軽くしていく作業に注力した。大きなパーツから小さなパーツまで、必要な強度を確保した上で軽量化を推し進めていった結果、初期との比較では約50kgもクルマのベース重量を軽くすることに成功した。また、1本20kg以上あるスペアタイヤを2本搭載した時のハンドリング変化についても改善を進め、搭載本数が変わってもクルマの動きが安定するような施策も盛り込まれた。

駆動系については、前後輪の駆動力配分を電子制御で司る、アクティブセンターデフのコントロール性も大幅に進化した。初年度はアクティブセンターデフ以外のチューニングに注力し、まずはベーシックなハンドリング性能向上に努めた。その上で、アクティブセンターデフを有効に活用することによって、各ドライバーのドライビングテクニックに最適化した駆動コントロールを行なえるようになっていった。また、ステリングの裏側にあるパドルを操作してのギヤシフトについても、より早く正確に行なうことができるように改良し、2020年にはシフトスピードが向上した。その他、サスペンションのダンパーについてもアップデートを重ねていき、ファイナルバージョンとなった2021年型のヤリスWRCは、開発黎明期からの目標であった、全てのドライバーが自信を持って操ることができるクルマへと進化したのである。

エンジンの進化

2015 試作エンジン

タイトル獲得の文字通り原動力となった
1.6Lの直列4気筒直噴ターボ・エンジン

ヤリスWRCは、2017年のデビュー時から排気量1.6Lの直列4気筒直噴ターボ・エンジンを搭載してきた。そのパフォーマンスの高さはライバルに対する大きなアドバンテージであり、タイトル獲得の文字通り原動力となった。エンジの開発は車体に先んじてスタートし、TMG(現TGR-Eドイツ)のエンジニアが実験的に始めたプロジェクトによって生み出され、2012年に第1号機に火が入った。当時はまだ新レギュレーションが導入される前の段階であり、最高出力は現在よりも60馬力程度低かったが、開発の過程でエンジニアたちは貴重な学びを得た。

2017年 参戦発表時のトミ・マキネン氏(現トヨタ自動車モータースポーツアドバイザー)

2017年、TMG(現TGR-Eドイツ)でのヤリスWRC2017年仕様エンジン

2014年の末にWRC参戦プロジェクトが正式に承認されると、開発は一気に加速した。ただし、2017年からWRカーのレギュレーションが大きく変わり、ターボのリストリクターが33mmφから36mmφに拡大されるなど、エンジンに関しても規則が大きく変わり、大幅にパワーアップすることになった。そこで、開発の指揮をとる青木徳生以下、エンジン開発チームは、自分たちが理想とするラリーエンジンを作りあげ、2015年の末にはベンチ上でテストを開始した。

ところが、せっかく作りあげたそのエンジンに対し、当時チーム代表だったトミ・マキネンは「ノー」を突きつけた。エンジンのボリュームが少し大きく、運動性能向上のために全長を縮めよりコンパクトにするべきだと主張したのである。エンジンはほぼ完成形に近い状態だったが「エンジンはクルマの一部である」という、マキネンの主張を受け入れ、青木らは大幅に設計変更することを決断した。エンジンの幅を縮めるためには各気筒の間隔を縮める必要があるが、そうすると冷却面でかなり厳しくなる。非常に困難なチャレンジだったが、エンジン開発チームは短い時間で新しいエンジンを作りあげ、エンジン本体の冷却性能を犠牲にすることなく、全長を15mm縮めることに成功した。それが、2017年から5シーズンを戦ったエンジンのひな形である。

冷却テストのためTGR-Eドイツ(旧TMG)での風洞テスト

2021年 フィンランドに新設されたTOYOTA GAZOO Racing WRTのファクトリー

ラリー・メキシコの課題解決による
冷却性能の大幅な進化

2017年のヤリスWRCデビュー戦からその性能はいかんなく発揮され、第2戦ラリー・スウェーデンでは現チーム代表であるヤリ-マティ・ラトバラがヤリスWRC最初の勝利を獲得した。しかし、続く第3戦ラリー・メキシコではエンジンがオーバーヒートし、本来のパフォーマンスを発揮することができなかった。標高と気温が高いメキシコはエンジンに大きな負荷がかかるイベントであるが、オーバーヒートの原因はエンジン本体ではなく、主に冷却システムにあった。エンジン性能の向上を最優先して設計した冷却システムが、シーズン中もっともエンジンに厳しいメキシコでは役不足だったのだ。そこで、エンジンおよび車体の開発チームはすぐに改善作業にとり掛かり、翌年のラリー・メキシコに備えた。そして、万全を期して1年後のメキシコに臨んだのだが、気温は前年よりもさらに高くなり、改善がまだ十分ではなかったことが判明した。シーズンの後半には、やはり高気温が予想されるラリー・トルコが控えており、それまでには何とか問題を解決しなくてはならない。そこで、冷却システムのデザインを改めて見直し、実車走行だけではなく風洞実験も行うなどして、冷却性能の大幅な向上に努めた。

2017年 Rd.3 ラリー・メキシコ

その結果、唯一の懸案事項であった冷却問題は解決に至り、ラリー・トルコでヤリスWRCは1-2フィニッシュを達成。さらなる改善を経て臨んだ翌2019年のラリー・メキシコでも優勝を争うなど、オーバーヒート問題は過去のものとなった。それでも、チームは引き続き冷却系に対する改良を進め、最終的にはいかなるコンディションにおいても、エンジンは安定して性能を発揮できるようになった。

2018年 Rd.10 ラリー・トルコ

WRカー最終年、エンジンの大幅な設計変更
次なるGRヤリスRally 1にも受け継がれる

性能面については、ドライバーの要求に応えるための開発が続けられた。初期のエンジンは、どちらかといえば絶対的なパワーを重視したものだったが、ラリーではパワー以上にトルクやスロットルレスポンスが求められる。路面のグリップやコーナーのきつさが刻々と変わり、それに応じた微妙なアクセルワークが求められるからだ。トルクがあってレスポンシブルなエンジンのほうがクルマの姿勢をコントロールしやすく、少し回転が落ちてしまった時もリカバリーしやすい。そういったドライバーからの要望を、ピークパワーをできるだけ犠牲にすることなく実現させるために、エンジン開発チームは地道な改良を続けた。そして、トルクとレスポンスが満足できるレベルに至ると、次は高速域で有効なピークパワーを高めるなど、年々全体的な性能を向上させていき「WRC最強のエンジン」という評判を保ち続けた。

青木徳生WRCエンジン・プロジェクト・マネージャー

そして迎えたWRカー最終年の2021年、青木率いるエンジン開発チームは、大幅な設計変更を実施した。ブロック、クランクシャフト、ヘッド、ピストン、サンプ、センサーなど、それは初めての全面的リニューアルといえる内容だった。その理由について青木は「2017年と比べるとエンジンの性能は大幅に上がり、例えばトルクは20%以上も上がっています。また、2021年をもって開発凍結となるこのエンジンを、ハイブリッド化される2022年のRally 1カーでもベースエンジンとして使用することになり、1シーズンに使えるエンジンの数も3基から2基に減じられます。将来に向けたパフォーマンスと耐久性のさらなる向上のために、エンジンを新たに設計することにしました」と述べる。そう、このヤリスWRC最終型の「強心臓」は、次なるGRヤリスRally 1にも受け継がれるのだ。ちなみに、ブロック、サンプ、ヘッド、カムシャフト等のパーツについては、日本のトヨタの工場で製造されている。海外にも優れた製品を供給するサプライヤーは多いが、短い納期で質の高いパーツを供給可能であることから、トヨタで内製するのがベストであるという判断に至った。

全ての要素が高いレベルで揃ったからこそ実現した、
WRカーラストイヤーの三冠獲得

2021年の第4戦ラリー・ポルトガルで投入された新エンジンは、ほぼ設計通りの性能と耐久性を発揮し、その後さらなる改善を経てシーズンを戦い抜いた。最終年のヤリスWRCは、全12戦のうち9戦で優勝。ドライバーズ、コ・ドライバーズ、そしてマニュファクチャラーズの3タイトルを全て獲得した。選手たちの技術、熟成極まった車体、さらなる進化を遂げたエンジンという、全ての要素が高いレベルで揃ったからこそ実現した、WRカーラストイヤーの三冠獲得である。