木下隆之連載コラム クルマ・スキ・トモニ 162LAP

2015.12.08 コラム

54年の年月を越えても魂変わらず・・・

トヨタのオリジンでサーキットアタック?

「こんなクルマでモータースポーツしてたんかい!」
 巨大なバスタブにタイヤとハンドルを括り付けたかのような鉄の固まりに収まっていると、思わずそう叫ばざるを得なかった。サスペンションの動きは鈍重だし、そりゃもちろん90馬力のエンジンがパワフルであるわけもない。場所は初冬のスポーツランド菅生。あの10%勾配などに登らされるのなら、FROの影山正彦選手に並走してもらうしかない。

 宮城トヨタ主催のサーキットイベントのオープニングで、トヨペット・クラウンRSを走らせた。

  • 雨の菅生を走る。なかなか気分が良かった。
    雨の菅生を走る。なかなか気分が良かった。

 トヨペット・クラウンRSというクルマは、実は、日本のモータリゼーションにおいて記念すべきクルマである。

 開発のスタートは1955年。すでに豊田喜一郎はこの世を去っていたが、氏の魂の具現でもある。米国の高級車に追いつき追いこせとばかりに開発に挑んだ高級車であり、トヨタが初めて輸出をしたクルマでもある。(そう、クラウンは当初,国内専用車ではなかったのだ・・)

  • あたりまえだけど、ちゃんと進んで止まる。
    あたりまえだけど、ちゃんと進んで止まる。
  • メインテナンスは完璧だった。
    メインテナンスは完璧だった。

 さすがに、当時の日本の技術は海外に対して劣っていた。特に、技術的に優れていたアメリカ車には、性能でも耐久性でも勝てるわけもなく、散々な評価だったと文献には記されている。だが、そんなクラウンの最初の一歩があったからいまの世界のトヨタがある。

 ダルビッシュでもマー君でもなく、もちろんイチローでも野茂でもない。1964年に海を渡った村上雅則選手のような存在なのだ。そう、そのころから日本人の眼中に、アメリカンドリームが芽生えはじめていたのだろう。いまのトヨタがあるのは、このクラウンの開発に挑んだエンジニアの姿勢が、のちの魂となったのだと思う。

自社製に拘る姿勢も変わらず・・

 海外メーカーとは提携せず、自前に拘っていたというのだから、その自国魂は半端じゃない。デザインは社内のものだったし、乗り降りのしやすさを優先して観音開きを採用した。シャシーはトラック用ではなく、低床乗用車用シャシーだったし、フロントサスは独立懸架のダブルウイッシュボーン。コイルスプリングを組み込んでいた。リアは半楕円リーフスプリングだった。

 のちにマイナーチェンジを施された「トヨペット・クラウン・デラックス」では、真空管式カーラジオやヒーターなどを装備するなど、なかなか豪華仕様なのである。

  • 今こそ、採用したらというほどの観音開き。あきらかに乗りやすく高級感漂うのに・・・。
    今こそ、採用したらというほどの観音開き。あきらかに乗りやすく高級感漂うのに・・・。
  • インパネにも高級感が漂う。必要なものを取付けただけでなく、すでにデザイン性が感じられる。
    インパネにも高級感が漂う。必要なものを取付けただけでなく、すでにデザイン性が感じられる。
  • ラジオは真空管式。デンソー製?
    ラジオは真空管式。デンソー製?
  • ヒーターも装備。
    ヒーターも装備。

 もっとも、村上雅則選手が苦労したように、高級乗用車としての性能を追求するあまり、問題も少なくなかったという。独立懸架は乗り心地の優れたサスペンションシステムだが、当時では固定式が主流だった。まだまだ未舗装路が少なくない当時の道は、容赦なくサスペンションを痛めつけた。

  • 立派なスペアタイヤには、立派なカバーが被されている。
    立派なスペアタイヤには、立派なカバーが被されている。

 今から54年前の1961年式。全長は441cm、全幅169cm、全高153cmという堂々たる体躯だ。とはいうものの、今と比較するならば、プリウスよりもコンパクトなボディなのである。

 高級感はプリウスを凌駕している。観音開きのドアは、たしかに乗り降りしやすい。分厚いソファーのようなシートは、深く体を包み込む。プリウスより空間はミニマムなのに、グリーンエリアは広大だから閉塞感がない。なによりも、デザインにはこねくり回したような形跡がなく、シンプルゆえに落ち着くのだ。

  • プリウスより小さいのに風格が備わっている。現行クラウンよりもはるかにエラそう度が高い。
    プリウスより小さいのに風格が備わっている。現行クラウンよりもはるかにエラそう度が高い。
  • 燕をイメージしたのか、オーナメントも芸術的である。不粋な現在では「突起物」として装着不可。往時が偲ばれる。
    燕をイメージしたのか、オーナメントも芸術的である。不粋な現在では「突起物」として装着不可。往時が偲ばれる。
  • TOYOTAではなくTOYOPET。トヨタのペットですな。一般公募の名称。
    TOYOTAではなくTOYOPET。トヨタのペットですな。一般公募の名称。

 たしかに走り味に旧さは否めない。プリウスのEVモードにだって惨敗してしまうだろう。3速ミッションは、自慢げにシンクロ付きなどと発表されているけれど、丁寧に導いてやらねばキンキンとギアに弾かれそうな気配なのである。
 試乗車はおどろくほど完調にレストアされていたけれど、それゆえに当時のクルマのレペルがはっきりと伝わってきたのである。

モータースポーツとともに開発がある

 そう思って感心するのは、このクラウンRSは1957年にオーストラリアラリーに参戦、総合47位、外国賞3位に輝いているのだ。当時のレベルがどこにあったのか想像できないけれど,少なくとも自動車先進国のアメ車が幅を利かせていたに違いない。そんななか、耐久性が低いのを承知で、過酷なラリーに挑んだその姿勢が凄い。いや、耐久性に不安を抱えていたからこそ、過酷なラリーを鍛錬の場に選んだのである。

  • 分厚いボンネットの中には、意外と小さなエンジンがおさまる。排気量1900ccの直列4気筒。
    分厚いボンネットの中には、意外と小さなエンジンがおさまる。排気量1900ccの直列4気筒。
  • 巨大なエアクリーナーが吸い込んだ空気がキャブレターに導かれる。実にシンプルな原理。ラリーでは埃を吸い込んで大変だっただろうね。
    巨大なエアクリーナーが吸い込んだ空気がキャブレターに導かれる。実にシンプルな原理。ラリーでは埃を吸い込んで大変だっただろうね。
  • 素人でもバラして組み立てられそうなほどシンプルなエンジンだ。
    素人でもバラして組み立てられそうなほどシンプルなエンジンだ。
  • 2000km以内にエンジンオイル交換、1000km以内にブレーキフルード交換。5年間保証の時代がくるなど、夢にも思わなかったに違いない。
    2000km以内にエンジンオイル交換、1000km以内にブレーキフルード交換。5年間保証の時代がくるなど、夢にも思わなかったに違いない。

 トヨペット・クラウンRSは、のちのトヨタの礎を気づいたといえる。その姿勢は,今僕たちが世界一過酷とされるニュルブルクリンク24時間に挑むその意義とどこか似ている。
 豊田喜一郎の志は、豊田章男の志となって生きているのだ。

  • 左右に肘掛けがあるなんて、観音開きだからこその技。
    左右に肘掛けがあるなんて、観音開きだからこその技。
  • 大きく開く、内張も、今よりも豪華だったんだねぇ。
    大きく開く、内張も、今よりも豪華だったんだねぇ。
  • 前席もソファータイプ。前後3名ずつの6名乗り!
    前席もソファータイプ。前後3名ずつの6名乗り!
  • こんなヒンジあたりの造り込みも重厚感がある。このアルミ削り出しは、レストアしたからかな?
    こんなヒンジあたりの造り込みも重厚感がある。このアルミ削り出しは、レストアしたからかな?
  • こんなレギュレーターの造形にも痺れてしまうのだ。
    こんなレギュレーターの造形にも痺れてしまうのだ。
  • こうして後席でくつろげる方は、選ばれた人だけだったのだろう。
    こうして後席でくつろげる方は、選ばれた人だけだったのだろう。
  • 横に伸びるメーターは当時の主流なんだよね。最高速度は140km/hに達したという。
    横に伸びるメーターは当時の主流なんだよね。最高速度は140km/hに達したという。
  • コラムシフトは3速。ステッキタイプのサイドブレーキ。コキコキするのが楽しい。
    コラムシフトは3速。ステッキタイプのサイドブレーキ。コキコキするのが楽しい。

キノシタの近況

キノシタの近況写真

2015年のTGRFが開催されたね。というより、今となっては、終ってしまったねという感傷的な気持ちでいる。TGRFの終演は2015年の終わりを意味する。とはいうものの、お客様とこんなに近くで触れ合うことができるのはとても嬉しい。特に、日本で走る機会の少ない僕にとっては、貴重な機会なのだ。ありがとう。これからもよろしく。

木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー

木下 隆之 / レーシングドライバー

1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」

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