木下隆之連載コラム
クルマ・スキ・トモニ119LAP

2014.04.22 コラム

レジェンドへのリスペクト

量産自動車メーカーのない国でのル・マン24

 コロシアムを数棟に渡ってつなぎ合わせたような複合施設である。棟をすべてひっくるめれば、東京ドーム数個分に及ぶ規模になるだろう。そんな巨大施設の「スイス・ジュネーブ・モーターショー」に今年、歴代の「ル・マン24時間」レースマシンの特別展示スペースが設けられていた。
 アーチ型の入場口をくぐると、そこはサルテサーキットである。
 広大な吹き抜けスペースを勢力図にしたがって平面的に割り振る本会場が雑然としているのに対してここはけして広くはない。だが、抜けるような開放感とキラびやかな照明に照らされたメーカーブースとは違い、落ち着いた照明トーンで整えられ、心地良い閉塞感がある。それゆえに、じっくりと立ち止まって展示物に見入ることができるのだ。

 スイスの自動車産業は控えめだ。量産自動車メーカーはなく、個性的な造形で名を馳せたコーチビルダーや、セミワークス的なレーシングチームがあるだけだ。
 偏執狂には耳馴染みのある「リンスピード」は、メーカーチューニング系。ルブランは過激なスポーツカーメーカーで。スバッロは自動車デザイン学校を経営するなどでわかるとおり、特徴的なデザイン力が有名である。といったように、ささやかながらの自動車工業は存在しているのだが、自動車産業で自立しているかといったら否だ。だというのに、ジュネーブ・モーターショーは注目の的であり、フランス言語圏といった事情があるにせよ、ル・マン24時間の歴史を大切にしているのである。

マシンとドライバーは同格に…。

 歴代のル・マン優勝マシンが整然と展示されていた。印象に強烈に刻まれているマシンばかりである。
 紫が鮮やかなシルクカット・ジャガー。王者ロスマンズ・ポルシェ。日本車唯一の総合優勝マシンであるチャージ・マツダ787。ほとんどトラクターかと見紛うばかりの旧マシンから最新のアウディeトロンまで、歴史の厚みを突きつけられるのだ。

  • シルクカット・ジャカーも一世を風靡した。ポルシェほどの安定感はないけれど、華やかだった。それにしても、いつの時代もタバコスポンサーに支えられているんだね。
    シルクカット・ジャカーも一世を風靡した。ポルシェほどの安定感はないけれど、華やかだった。それにしても、いつの時代もタバコスポンサーに支えられているんだね。
  • 僕の中ではやはり、ル・マンと言えばポルシェ。それもこのロスマンズカラーに塗られたポルシェ962Cが最強である。僕のレースキャリアと、グループCカー全盛が重なるのだ。
    僕の中ではやはり、ル・マンと言えばポルシェ。それもこのロスマンズカラーに塗られたポルシェ962Cが最強である。僕のレースキャリアと、グループCカー全盛が重なるのだ。
  • 我らが日本のチャージ・マツダ787B。ローターリーエンジンを搭載。高周波サウンドがひと際異彩を放った。
    我らが日本のチャージ・マツダ787B。ローターリーエンジンを搭載。高周波サウンドがひと際異彩を放った。
  • ルノー・アルピーヌV6。シンプルな色使いがこの時代の主流のよう。だからこそ、記憶に深く刻まれるのだ。オープントップのようでいて、実は透明のアクリルで覆われている。
    ルノー・アルピーヌV6。シンプルな色使いがこの時代の主流のよう。だからこそ、記憶に深く刻まれるのだ。オープントップのようでいて、実は透明のアクリルで覆われている。
  • 1921年のマシン。幌馬車のようなマシンで本当に24時間を走り切ったのだろうか?信じられません!(笑)。
    1921年のマシン。幌馬車のようなマシンで本当に24時間を走り切ったのだろうか?信じられません!(笑)。
  •  1926年の優勝マシン。手作り感満点です。最高速度は? 120km/hくらい?(笑)。
    1926年の優勝マシン。手作り感満点です。最高速度は? 120km/hくらい?(笑)。

 だがその前で僕は、長い時間立ち止まらざるを得なかった。ブースに足を踏み入れるとすぐに、常勝アウディの優勝マシンが展示されていた。だが足を止めた理由はそれではなかった。マシンの背後にはアウディのエースに登り詰め、史上最多優勝ドライバーとなった「トム・クリステンセン」の巨大な写真が微笑んでいたのだ。小さく綴られた説明文は、マシンとしての優秀性に関する記述はなく、レジェンドとなったトムへの賛辞が重なる。ドライバーへのリスペクトの強さが印象的だったのだ。

  • ル・マン24時間展示ブースに足を踏み入れてまず目に飛び込んできたのがアウディ優勝マシン。そりゃそうだろうね…と思っていたら、それはトムのための展示スペースだった。
    ル・マン24時間展示ブースに足を踏み入れてまず目に飛び込んできたのがアウディ優勝マシン。そりゃそうだろうね…と思っていたら、それはトムのための展示スペースだった。
  • 昔は競い合ったんだけどね…。彼はレジェンドに昇華してしまったのだ。誇らしいです。
    昔は競い合ったんだけどね…。彼はレジェンドに昇華してしまったのだ。誇らしいです。

史上最多勝9勝は前人未到です

 ドイツF3で王者を獲得した翌年彼は、日本に活動の場を求めた。全日本ツーリングカー選手権ではスカイラインGT-Rを駆り活躍をした。そこで僕はライバルとして戦ったし、気さくな人柄からか親しく過ごした経緯がある。だからという思いも捨てきれないかもしれないのだが、彼がこうしてレジェンドとして大切にされていることが嬉しかったのだ。
 2013年のル・マン24時間優勝で彼は、最多勝記録を9に伸ばした。それはそれで輝かしき金字塔だが、彼が得たものはトロフィーの数ではなく、多くの賛辞である。

日本と欧州の違いを感じたのだ

 特に欧米は、ドライバーへのリスペクトを大切にする。使い捨て感覚の残る日本とはやや異なる。人格的にすぐれ、優秀な成績を残したドライバーを尊敬する傾向がより強いことがそれからもわかるのだ。
 いまスーパーGTで活躍する荒聖治は、日本人として2人目のル・マン24時間総合ドライバーとなった。2001年にル・マン24時間への挑戦を開始、2002年から2004年までアウディとともに戦い、参戦4年目にして栄光の優勝ドライバーとなった。それからの欧州でのリスペクトは想像にかたくない。
 おそらく、彼が欧州に旅に出れば、アウディAGが好みのクルマを用意してくれるだろうし、宿に困ることはないのだろう。彼は第二の故郷のような安息感を得るに違いない。

 彼はいまでもこう言う。
「ル・マン24で勝って一番大きく変化したのは、名前を告げるだけで相手がすべてを理解してくれることです。それまでは、過去の経歴を説明し、まずは人となりを理解してもらうことに必死でしたが、あれ以来その必要はなくなりました」
 ドライバーとして優れていることをル・マン優勝という事実が証明する。人格的にも優れていることすらもそれは語るのである。

 福山英朗がアジア人唯一のNASCAR頂点のスプリントカップカードライバーとして活躍していた頃、厳しいことで知られるアメリカの入国審査すらフリーパスになったという。欧米ではそれほどモータースポーツが身近であり、ステイタスがある証拠なのだが、その根底にはドライバーへの賛辞があるからだ。
 レースの主役はマシンなのかドライバーなのか?そのどちらでもなく、そのどちらも主役である。だというものの、命を掛けたドライバーが主役であってほしい。欧米のように…。

キノシタの近況

キノシタの近況写真1

 伊勢神宮に安全祈願。当日はあいにくの雨。そぼ降る参道を、石を踏みしめてお参りしてきました。雨だなんてなんだか縁起が悪いなあ…と思っていたら、清める意味で、雨は縁起がいいとのこと。実はこの日は影山兄ぃとふたり。別の日に、他のGAZOOドライバーが参拝したのだが,その日も雨だったという。今年もいい年になりそうだ。

木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー

木下 隆之 / レーシングドライバー

1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」

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