チーフメカならぬ主治医
体が資本だとはわかっていても…
わかっているようでわかっていないのが自分の体である。
風呂あがりに体重計にのったり、姿見の前に立ってみたりしても、体の中身はなかなかわからないものだ。自分の体なのに、自分の体がわからない。体内って、本当に不思議だと思う。
最近のヘルスメーターは高度になったから、かなりディープな部分まで管理することは可能だ。体脂肪率や筋肉量といったメタボに関係するデータを表示してくれるし、あるいは骨密度まで計測してくれる。さらに体内推定年令といった表示機能まで備わっている。だけど、本当のところはけっこう曖昧だし、腸や胃袋っていう内蔵までいたると、ほとんど感覚頼みなのである。
だがその感覚が鈍感だから始末が悪い。しかも人間、実に都合良く出来ている。わかっているつもりでも、わからない素振りをしたくなるのである。
多少胃がもたれていたって、昨晩の暴飲暴食がたたった一過性のものだと都合良く受け流そうとするし、仕事が手につかないのもストレスという都合のいい言葉に甘えたりする。実際には重い疾患の前兆だったりするかもしれないのに、人間って自分勝手な解釈でことを処理しようとする習性があるからやっかいなのだ。
そんなとき、主治医の存在はありがたい。
都会のメインテナンスガレージが…
東京世田谷区。二子玉川の箕山スポーツクリニックには月に一度は必ず通うように心掛けている。体調が優れなければすぐにクリニックに飛び込むし、レースの前後では必ずといっていい。
箕山スポーツクリニックは、その名からも想像できるとおりスポーツ整形のスペシャリストである。レントゲン設備からスポーツジムやマッサージまで併設しているから、診察に基づいたトレーニングメニューをプログラムしてもらい、ジムで汗を流すという一連の流れが可能なのだ。
マシンテストで傷んだ体をすぐに癒してもらうし、レース前のコンディションも整えてもらっている。というわけだから、ニュルブルクリンク24時間前には頻繁に通い、レースに耐えられる体を造ってもらうことになるわけだ。
箕山先生との付き合いはもう、20年以上になるかもしれない。
レース専門の整形外科医?
箕山先生はまだ若い。国立大学医学部を卒業後、スポーツ整形外科のスペシャリストを目指し、関東労災病院への勤務を始めた。関東労災は国内で初めてスポーツ整形外科を設けた病院だ。そこで経験を積んだあと、フジ虎ノ門病院のスポーツ医学センター長に就任、平成16年に開業。いまでは日本体育大学のスポーツ医学研究室非常勤講師やシルク・ドゥ・ソレイユのコンサルティングドクターをつとめる。なかなか華やかな経歴なのだ。
ちなみに、フジ虎ノ門病院と聞いてピンと来た人はかなりのレース通である。場所は御殿場。つまり、富士スピードウェイで事故があれば担ぎ込まれるそこである。実際に、箕山先生はレース開催中のサーキット医務室で待機してくれていた時期もあるから、お世話になったレーシングドライバーはたくさんいるに違いないのだ。
しかもレーシングドライバーである僕にとって頼もしいのは、富士スピードウェイでたくさんのレーシングドライバーの体を診察し、治療してきたその経験だけでなく、自らもレース参戦していたほどのレース通。一時はフォーミュラーマシンで戦っていたというのだから、これほど頼もしいことはない。
レーシングドライバーに必要な体を知識としてではなく、自らの経験として理解してくれているのだ。
箕山先生がフジ虎ノ門病院勤務を目指したのは、レーシングドライバーやプロゴルファーの体に触れていたいというのが動機だというのだから、これほど力強い存在はいない。都内に開業したいまでも、プロスポーツ選手の多くが通ってくる。サッカー選手、ラグビープレーヤー、もちろん僕のようなレース屋さんもここで体を整えてもらっているのである。
ただひとつ、気になることがある。
箕山先生、竹ノ内豊ばりのイケメンであることだけ。
医者で、レーサーで、イケメンで、優しい…。世田谷マダムが多いのはそのせいか?
ニュルブルクリンク24時間のための渡航前日のいま、最後の仕上げに箕山クリニックに行くことにする。
木下 隆之 ⁄ レーシングドライバー
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1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」