小さなモンスター、「トヨタ7」の伝説

STORY: Shotaro Kobayashi / Photography: Car Graphic

5リットルV8エンジンを搭載し、1968年日本グランプリでクラス優勝を達成

スポーツカーレースで活躍した「トヨタ7」は、トヨタのファイティングスピリットを象徴する1台だ。ヴィッツより少し大きいだけの小さなこのクルマは、30年前のレースシーンに衝撃をもたらすと考えられていた。

1968年5月3日、トヨタ7は第5回日本グランプリでレースデビューを飾った。富士スピードウェイで開催されたこの一戦には4台のトヨタ7がエントリーし、そのうちの1台がクラス優勝を果たした。

トヨタは前年の日本グランプリを欠場していた。レギュレーションの決定があまりにも遅れ、新しいレーシングカーを開発するためには時間が足りなかっ たからだ。「ゼロからクルマを作り上げる」というトヨタの方針のため、ライバルたちよりも状況は困難だった。現在のF1プロジェクトと同様、トヨタは単に 勝つためだけに参戦しているわけでなく、その過程を重視していた。

トヨタ7は、その名の通り、モータースポーツの統括団体であるFIAが定めたスポーツカーレーシングのグループ7規定に基づいて作られたオープン2 シーターのレーシングカーだ。このマシンはトヨタ2000GTを担当した河野二郎が立案し、開発と製作はヤマハに任せられた。デザインは当時のグループ7 マシンの典型で、アルミニウム製のボディにグラスファイバー製のパネル。1968年2月に鈴鹿でテストされたプロトタイプは2000GT用の2リッター DOHC・直6エンジンが搭載されていたが、3月の富士に登場するまでに、オールアルミ製の3リッターDOHC・V8エンジンに変更された。

トヨタ7(1970年/ノンターボ)のスペック

全長 3750mm
全幅 2040mm
全高 840mm
ホイールベース 2350mm
重量 620kg(ドライバー含む)
シャーシ チューブラー・アルミニウム・スペースフレーム
サスペンション ウィッシュボーン/コイル(フロント)、4リンク/コイル(リア)
ブレーキ トヨタVディスク
タイヤ ファイヤーストーン・インディ
エンジン トヨタV8/4968cc/バンク角90度/4バルブ
馬力 7600回転/600bph
トランスミッション AISIN5速

カンナム・カーを相手に奮闘する「トヨタ7」

デビュー戦となった第5回日本グランプリには25台がエントリー。グループ4、6、7のマシンが混在しており、オーガナイザーはエンジン排気量によって4つのクラスを設定した。そして、プラクティスからかなりの期待を集めたトヨタ7の最高位は大坪善男の8位(クラス優勝)で、鮒子田寛が9位。あと2台はメカニカルトラブルでリタイアした。

その後、6月30日に開催された全日本鈴鹿自動車レース大会では、プライベーターのポルシェやローラT70を圧倒して、トヨタ7が4位までを独占。 10月20日に富士スピードウェイで開催されたNETスピードカップでは、2台のローラT70に続きトヨタ7が3、4位に入り、ニッサンR380勢を打ち 負かした。

その年、国内最後のビッグレースは11月23日のワールドチャレンジカップ富士200マイルだった。アメリカからマクラーレンM6BやローラT70 など10台のカンナムマシンが招待され、マーク・ドナヒューやアル・アンサー、ピーター・レブソン、ジョー・ボニエらのスタードライバーが来日した。カン ナム軍団は当然のように表彰台を独占したが、ここでもトヨタ7は4、5、6位を占めるという好成績を納めた。

幻となったツインターボ・マシン

1970年、日本のモータースポーツを統括するJAFは、今後の日本グランプリはシングルシーターのマシンで行なうことを決定した。これによってトヨタは、すでに進んでいたトヨタ7の開発を中止する。

現在、その知られざる“無冠の王者”は、愛知県長久手町にあるトヨタ博物館に飾られている。1970年型のトヨタ7がいったいどれほどの強さを発揮したか、今となっては私たちの想像の中で楽しむしかない。

*この「トヨタ7」は2003年に、イギリスの有名なヒストリックレーシングカーイベント、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードに出走し、観客を魅了した。

関連リンク - トヨタ博物館

愛知県長久町にあるトヨタ博物館には1970年型のトヨタ7をはじめ、世界中から集められた約160台の歴史的なクラシックカーが展示されている。
トヨタ博物館公式サイト

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