2014年 モータースポーツ活動発表会ムービー

豊田章男社長プレゼンテーション動画(8分22秒)

加藤光久副社長プレゼンテーション動画(6分34秒)

2014年 トヨタ モータースポーツ活動発表会
豊田章男社長プレゼンテーション

みなさんこんにちは。豊田でございます。
本日はご多忙の中、お越しいただき、ありがとうございます。

トヨタのモータースポーツの歴史は、
1957年、オーストラリア一周ラリーにクラウンで出場し、完走を果たした事に始まります。
戦後まだ対日感情が芳しくない時期に、国際親善と貿易振興のため、
外務省等のご要請に基づく参戦だったと伺っております。

その6年後の1963年、第一回日本グランプリが、鈴鹿サーキットで開催されました。
日本のモータースポーツ幕開けと言えるこのレースには、クラウン、コロナ、パブリカが参戦し、
それぞれクラス優勝を飾っております。
今思えば、当時7歳の私にとって、生まれて初めてのモータースポーツとの関わりとなったレースでもあります。

第1回目のレースに、当時の自動車各社の取り組み方は様々だったと伺っておりますが、
トヨタの参戦は、それを望むお客様の声にお応えするためのものでありました。
地元のトヨタ販売店を通じて届くその声に、当時のトヨタ自動車販売が参戦を決断し、
トヨタ自動車工業へ車両の製作を要請しました。

トヨタ自工は、早い時期からテスト走行とチューニングを繰り返して車両を作り上げ、
その車両をプライベートユーザーにお貸しする、という形で、参戦が実現したものでありました。

これら、トヨタのモータースポーツ草創期の事例は、
約60年の歴史の中では、ごく小さな出来事に過ぎないかもしれません。
しかし、トヨタのモータースポーツを貫く『考え方』を象徴する事例だと思っております。

自動車競走に参加することで、
お客様、ファン、地域、場合によっては、世界中の皆様に『元気』や『笑顔』をお届けできる。
そして、人を鍛え、クルマを鍛えることで、
お客様や、レース参戦者の皆様に向けても、『もっといいクルマをつくり、ご提供していく』。
その姿勢が、トヨタのモータースポーツのルーツであり、これからも『ぶれない軸』なのだと思っております。

その後の活動は、皆様が御存じの通りでございます。
市販スポーツ車での競技活動、プロトタイプでの参戦、WRC参戦、米国でのレース活動、F1への挑戦等・・・
様々な変遷を経て現在に至っております。

メーカーの枠を超えて、クルマファンづくりを行ってきたGAZOO Racing、
トップカテゴリーのモータースポーツに参戦してきたLEXUS RacingやTOYOTA Racing。
それぞれが別の生い立ちを持つ、これら3つの活動は、皆様から見ると少し分かりにくいものであったかもしれません。

私はGAZOO Racingのオーナー兼ドライバーであり、
LEXUSのチーフブランディング オフィサー兼 マスタードライバーです。
そしてトヨタ自動車の社長でもあります。

今回、それぞれの活動の立ち位置を明確にし直し、
企画等を、私自身が会長を務めるTMSM社、トヨタモーター セールス&マーケティングの傘下に集約致します。

トヨタモータースポーツのReBORN、
その出発点に立つための絶好のチャンスが、「まさに今である」と考え、
今回、その体制強化に踏み切ったわけでございます。

昨年、私は「ドライバーモリゾウ」として、社内のメカニックや、テストドライバー達と共に、
ニュルブルクリンク24時間耐久レースに出場して参りました。
200を超えるコーナー、300メートルの高低差など、
ニュルは、世界で最も過酷なサーキットとして知られています。

そこでは、クルマにも数多くのトラブルが連続して起こります。
限られた時間・・限られた設備・・
その極限状態の中で、メカニック達は「知恵」と「強い信念」でトラブルを乗り越え、
大きく成長していきます。
ドライバーも、「クルマ」との、そして「過酷な道」との対話を繰り返し、成長していきます。

私自身も、今回の挑戦を通じて、
体の中にある「もっといいクルマをつくるためのセンサー」が、すごく研ぎ澄まされたような実感がありました。
こうした活動でしか得られない、クルマが、そして人が鍛えられる経験は、
必ずや「もっといいクルマづくり」に活きてまいります。
そして、お客様の笑顔に通じていく、と信じております。

もっといいクルマをつくることに「ゴール」や「答え」はありません。
世界には・・そして日本にも、様々な道があります。
しかし、その殆どを、私どもは、まだ実際に走ることができておりません。
もっともっと色々な道と対話していけば、
もっと色々な方々にあったクルマを作ることができ、その方に笑顔になって頂けると思っております。

当社の創業者である豊田喜一郎が、亡くなる直前の1952年3月に遺し、
絶筆となった『オートレースと国産自動車工業』という文章に、このような一節があります。

『これから、乗用車製造を物にせねばならない日本の自動車製造事業にとって、
耐久性や性能試験のため、オートレースにおいて、その自動車の性能のありったけを発揮してみて、
その優劣を争う所に改良進歩が行われ、モーターファンの興味を沸かすのである・・・
単なる興味本位のレースではなく、日本の乗用車製造事業の発達に、必要欠くべからざるものである』

というものでございます。
私どもは、これからも『もっといいクルマづくり』と『クルマファンづくり』を、
トヨタモータースポーツの『ぶれない軸』として、道が続いていく限り、挑戦を続けて参ります。

皆様には、変わらぬご支援・ご協力を頂きますよう、よろしくお願い申しあげます。
ありがとうございました。