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Rd.18 Grand Prix of Japan report
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不運に見舞われたレースでラルフが1ポイントを確保
鈴鹿サーキットで開催されている2005年FIA F1世界選手権第18戦日本GPの決勝を迎えたこの日、前日はポールポジション獲得に喜んだラルフ・シューマッハーだったが、レースでは8位1ポイントに甘んじることになった。
2005年10月9日(日)

ラルフのポールポジションは3回ストップというアグレッシブな戦略の後押しの結果でもあったが、これによりラルフはトヨタの母国グランプリで表彰台に上がるためにタフな課題に直面することになった。

「難しい仕事になることはわかっていた」と話すラルフ。「この戦略の前提は、クルマが軽いレースの最初から全開で飛ばせるかどうかだった。残念ながらマクラーレンのモントーヤの事故のせいで1周目からセーフティカーが入ってしまった。そのせいで燃料が重かった他のクルマもみんな私と同じペースで走ることができた。事故の処理にかなり長い時間かかってしまい、お陰で私の戦略は完全に台無しになってしまった。結果的に1回目のピットストップを終えたときには、本来よりもかなり後ろの順位でコースに戻ることになった。その後は、とにかく可能な限り順位を取り戻すだけのレースになった。1ポイント獲得できたものの、本当なら遙かに多くのポイントを手にできたはずだ」

チームメートのヤルノ・トゥルーリもラルフ同様に運に見放されたレースだった。予選でスピンを喫した彼は、20台中19番手となりピットスタートを選択したが、その後、シケインでヤルノを追い越そうとした佐藤琢磨から弾き出されてしまった。

ヤルノの説明はこうだ。「佐藤が自分の後ろにいるのは見えていた。これが彼の母国グランプリであり、いい印象を残したいと彼が思っていることは私も理解していた。だが、彼のシケインでのあの追い越しはどうみても無理だった。彼は私のクルマの側面にかなり強く衝突し、そして私のレースはわずか9周で終わりになった。スチュワードはこの一件について審議するようだが、とにかく私にとって今回は忘れるべきレースになってしまった。中国ではもっとポジティブな形でシーズンを終えられることを願っているよ」

おそらくは今シーズン最もエキサイティングでドラマチックなレースを制したのは、ずっとトップを走っていたジャンカルロ・フィジケラを最終ラップで追い越したチーム・マクラーレン・メルセデスのキミ・ライコネンだった。エンジン交換のため予選順位が10グリッド降格となるペナルティを受けていたライコネンは、結果的に17番グリッドからスタートしての勝利だった。新チャンピオンになったフェルナンド・アロンソは16番グリッドからのスタートながら見事に3位入賞を果たしている。4位はBMWウィリアムズF1チームのマーク・ウェバー、5位はラッキーストライクBARホンダのジェンソン・バトン、6位はレッドブルのデヴィッド・クルサード、7位はスクーデリア・フェラーリ・マールボロのミハエル・シューマッハーとなり、8位がラルフのTF105Bだった。

シャシー部門テクニカルディレクターのマイク・ガスコインは次のように語っている。「金曜日からわれわれはずっといいペースで走れていたので、アグレッシブな3回ストップ戦略を選択した。だが、今回目にしたような長いセーフティカー・ピリオドがあると、こういった戦略は完全に台無しになってしまう。その意味でラルフには運がなかった。ヤルノは、彼自身にはまったく過失がないにもかかわらず、レースを終えることになってしまった。結果として今回の日本GPは、少なくともわれわれにポールポジションをもたらし、TF105Bが期待を抱かせるデビューを果たしたレースとして振り返るべき一戦となった。ただし、もっともっと多くの成果をあげられるはずだったと思う」

残り1戦となったこの段階で、マイルド・セヴン・ルノーがコンストラクターズ選手権で176ポイントなり、174ポイントのマクラーレン・メルセデスを抑えてトップに立った。3位のフェラーリは100ポイントとなり、また、パナソニック・トヨタ・レーシングは82ポイントで4位を確保したことになる。