レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

181LAP

181LAP

大記録に挑んだ、ネジの切れた名ドライバー達

2016.10.17

「27時間を平均210km/hオーバーって…」

 いまから半世紀前の今日、トヨタ2000GTが72時間世界最高速トライアルに挑戦し、3つの世界新記録と13の国際新記録を樹立した。(この原稿を書いているのは10月4日)
 当時の記録を調べてみると、驚異的な数字が並ぶから恐ろしい。
 まずは72時間という気の遠くなるような時間の長さに驚く。
 ニュルブルクリンク24時間レースに挑戦しはじめてから25年になる。それはそれは、永遠にも思えるほどの長い戦いの時間である。でも、72時間はもっと過酷なはずだ。
「あの黒い森を24時間も走り続けるなんて凄いねえ」
「ええまあ、それはそれは過酷ですよ」
 なんて偉そうに自慢げな口を叩いているけれど、72時間って確か…、その3倍だ。1日が24時間だから、3日間を休むことなく走り続けたなんてにわかには信じられないのだ。

谷田部のスピードトライアルに挑戦した5人のドライバー

谷田部のスピードトライアルに挑戦した5人のドライバー

スピードトライアルの様子

スピードトライアルの様子

 13の国際記録はこれ。

6時間=210.42km/h
12時間=208.79km/h
24時間=206.23km/h
48時間=203.80km/h
72時間=206.02km/h
1000マイル=209.65km/h
2000マイル=207.48km/h
5000マイル=204.36km/h
10000マイル=206.18km/h
2000km=209.45km/h
5000km=206.29km/h
10000km=203.97km/h
15000km=206.04km/h

 この記録が驚異的なのは、当時の環境を思えば腰を抜かしかける。
 まずはトライアルのステージが茨城県谷田部町にある自動車高速試験場だったことだ。現在は日本自動車研究所、自動車業界関係者はJARI(ジャリ)と呼んで親しんでいる。雑誌がたびたび、ゼロヨンやら最高速テストやらをする場所だ。関東近郊で最高速テストが可能なのはここしかない。
 しかも、1周5.5kmの高速周回路は、距離にして約1.1kmの裏と表の直線を半径400mのバンクをつないでいる。バンクの最大傾斜角度は45.2度。クルマが横転しそうになるほど傾いたままでの走行になるのだ。
 2000GTの記録から想像するに、走行中は210km/h前後で走行しているのだろう。ガソリン給油だけではなく途中はタイヤ交換やらオイルチェックなどもしただろうから、たとえノートラブルで走行したとしても220km/h平均がコンスタントラップだと思う。あのバンクを220km/hで走行するのはかなり痺れるはずなのだ。

 しかも当時のマシンである。いくらトヨタ2000GTが高性能マシンだったとしても、いまから50年前のレベルである。
 市販車のスペックを紹介するならば…。
 直列6気筒DOHC1988cc、最高出力150ps/6600rpm、最大トルク18.0kg-m/5000rpm。
 5速マニュアルミッション、前後ダブルウイッシュボーンサスペンション、車重は1120kgと公表されている。今ではファミリーカーでもそれを上回る数字だ。ちなみに2リッターのハリアーの最高出力が151ps/6100rpm、最大トルクは19.7kg-m/3800rpmだ。動力性能自慢でもないアーバンSUVのほうがハイパワーなのである。

トヨタ2000GT
トヨタ2000GT

 最高速トライアルマシンは、安全装備等以外は市販車に準じた仕様だったという。ならば、タイヤは高速に耐えるのが精一杯だっただろうし、サスペンションもぴたっと安定していたか怪しい。ボディ剛性しかり空力特性しかり、当時としては最先端だったとはいえ推して知るべしである。
 いろいろ調べてると、こんなコメントを発見。

「最高速トライアル仕様にするため、大容量のガソリンタンクを組み込もうとしたが漏れた」
 だって!(汗)
まあ、サスペンションにガタが出ただとか、ナットが緩んだなどは日常茶飯事だったと思う。

 しかも、である。当日は台風が接近していて、雨絡みだったというから驚きである。
 たいがい最高速テストは、雨では中止が相場だ。水膜の抵抗で記録は期待できないし、そもそもハイドロプレーニングに見舞われれば走行もおぼつかない。そんな中での記録達成には頭が下がるのである。

 そう、そうして大記録を調べていると、72時間を200km/hオーバーで走りつづけたマシンも凄いけれど、それを操ったドライバーも凄いのである。マシンのボルトが緩む前に、ドライバーの頭のネジが緩んでいたのだろう。(笑)

 先日、東京・台場で2000GTの最高速トライアル仕様と共演した。僕はLEXUS LFAニュルブルクリンク24時間レースクラス優勝マシンのステアリングを握った。その脇を、50年前のマシンが、恐ろしい速度で駆け抜けていった。
 駆け抜けていったのは、元トヨタワークスドライバーの鮒子田寛さんだ。70歳である。いま現役のような熱い走りだった。やっぱり、ネジが緩んでいる。

 最後に、当時ステアリングを握っていた津々見友彦さんの生の声を聞いたのでその話を添えよう。
 電話越しの第一声がこれ。
「いや、辛くて辛くて大変だったよ」
 いきなりの弱音である。
「いやね、スタートするまでは、楽チンだろうと高を括っていたわけよ。お猿のカゴ屋みたいに、ただ座ってグルグル回っていればいいだけかと思ってね。だけどね、ピットからエンジン回転の指示がくるわけよ、50回転刻みで調整しろってね。しかもご丁寧に、50回転が読みやすいような大きなタコメーターがついているわけなのね。微調整し続けるから、右足がつりそうになっちゃうわけ。これが大変なのよ」

大きなタコメーターがついているインパネ

大きなタコメーターがついているインパネ

 さぞかし厳しかった記憶なのだろう。話がヒートアップしていく。
「ところが、行きと帰りでは風向きが違うからアクセルの踏み方が違うし、バンクでは走行抵抗が変わるから、それに合わせなければならないんだよ」
「で、何時間乗るのですか?」
「2時間30分。僕は夜担当なの。2時間30分走らせて、2時間30分だけ休んでまた2時間30分乗る。そして夜が開けたらホテルで仮眠するのね。でまた起こされてナイトセクションを走るのね。これを3日間。眠くて眠くて朦朧としながらの運転だったのよ」
「睡魔との戦いですね」
「ただただひたすら左回りだし」
「でも緊張感もありますよね」
「最高速度はたしか230km/hくらいだったと思う。それを220km/hで走らせるわけだから、ギリギリだよね」
「雨でスリップしませんでしたか?」
「アスファルトはいいんだけど、車線を示す白線がある。そこでホイールスピンしたね」
「220km/hでホイールスピン?」
「それはたいしたことないんだよ。バンクの中では、一番高いところを走るのね。抵抗が少ないから。その時にね、アウト側のガードレールにフェンダーが擦りそうになる。だからずっと、前を向かずに右側を向きながら走るのね。だけど、それだとバンクが終って直線に差し掛かったことに気づかない。だから、直線になる手前のガードレールにマーキングしてもらったの。それを目印にハンドルをまっすぐに戻していたんだよ」
「220km/hのバンクでのコーナリング中に、前を見ないのですか?」
「だってガードレール見てないと、クラッシュしちゃうから…」
 まったくクレージーである。やはりネジが1本か2本、抜けているね。
 マシンも凄ければドライバーも凄いのだ。

バンクでのコーナリング中は前を見ずガードレールを見て走ったという

バンクでのコーナリング中は前を見ずガードレールを見て走ったという

キノシタの近況

キノシタの近況

最近何かと、昭和のクルマづいているのだ。台場でレクサスLFAを走らせ、トヨタ2000GTに感動したと思ったら、こんどはスバルの往年の名車を走らせる機会に恵まれたのだ。
やっぱり昔のクルマは個性があって面白いね。技術的に未成熟であり模索していた時代だ。だからこそ熱い息吹と混沌に溢れている。高度成長期の、高度成長車たちだ。

木下 隆之/レーシングドライバー

木下隆之

 1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。 一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」
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