レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

189LAP

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「30度バンク復活は危険か安全か」

2017.2.15

 先号で、富士スピードウエイの歴史に数々の伝説を生んだ「30度バンク復活」の話題を綴った。すると、多くの読者から、様々な意見が寄せられた。
 特に目立ったのは、好意的に復活を希望するとの声。よりエキサイティングなレースを期待したいとの思いがそこに込められていた。
 ただその一方で、基本的には賛同してくださるものの、安全性に関して心配する声も少なくなかった。最高速域からほとんど減速することなく30度という壁のように切り立ったバンクに突入することのリスクを指摘する方々が多かったのである。

「バンク先進国から学ぶこと」

 取材の中で僕は、東洋人唯一のNASCARカップカードライバーである福山英朗さんにコメントを求めた。NASCARはほとんどがオーバルコースで開催されている。実際にバンクに挑み続けてきた氏から、貴重な意見を聞くことができるだろうと期待したからである。
 すると、驚くべき事実を知ることとなった。NASCARの魅力の一つは、たしかにあのド派手なクラッシュにある。それを容認している節がある。NASCARがエキサイティングに観客を魅了するには、ともすれば死ぬかもしれないという危険を伴う必要があると、関係者が認識しているのだと。そしてその関係者の中には、実際にコクピットでステアリングを握るドライバーも含まれているのだと。そう、彼らは覚悟して戦っているのだ。
 だが、無責任に死と隣り合わせのコンクリートジャングルに放り込んでいるのではなく、細部にわたって徹底した安全対策が担保されているというのである。「死んだのではないかというほどの派手なクラッシュにはなるけれど死なない」というわけである。

木下コラム189LAPイメージ写真
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「徹底した安全思想」

 そう思ってみると、350km/hで繰り広げられるバトルは時として多重クラッシュを生み、マシンが宙返りをし、クシャクシャのスクラップと化すような事故が頻繁に起こっているのに、死亡事故は稀だ。
 時には十数台のマシンが重なり合い、誰もがドライバーの安否を不安に思うようなクラッシュが発生したというのに、原型を留めぬほどにひしゃげたマシンからドライバーが這い出して、観客に向かって手を振る。そして観衆からは無事を祝う割れんばかりの拍手が起こる。観客は安堵する。そんなシーンも少なくない。勇猛果敢に超音速に挑んだビックダディがスターとなるのである。

木下コラム189LAPイメージ写真
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 NASCARにはどんな安全対策が取られているのだろうか。福山英朗さんから聞いた、目からウロコの事実を紹介しようと思う。

「首を守り、腕を守る」

 ドライバーの頭部を守るサイドヘッドレスト付きのバケットシートを早くから採用したのはNASCARだったと思う。ヘルメットを包み込むようにサイドに張り出したそれは、クラッシュの際に頚椎の捩れを保護する。破片からも救ってくれるだろう。
 室内に飛び込んでくる破片からドライバーを守るサイドウインドーネットも、NASCARが早くから採用していたアイテムだ。
 同時にそれは、コマのようにクルクルと高速回転するマシンから、ドライバーの腕が車外に伸びることを防ぐ。
 ドアがなく窓から乗り降りせざるを得ないNASCARマシンにはウインドーがない。そのための苦肉の策だったのだろうが、今ではロードレースでも不可欠な装備になりつつある。ニュルブルクリンク24時間でも装備が規定されているほどである。

木下コラム189LAPイメージ写真
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「あばら骨がドライバーを守る」

 そもそも、コクピットに張り巡らされているロールケージは、非常に太いパイプが驚くほど多い。しかも、直線的ではなく、肋骨のように湾曲している。
 ドライバーが最も危険なのは、サイドインパクトである。生存空間の狭いサイドに重量級のマシンが当たった場合、ドライバーを守るのがサイドバーである。それが外側に湾曲している。つまり、安易に折れることがない。肋骨が内臓を守るように、包み込むようにデザインされているのだ。平面的でかつ数本のパイプが低い位置にあるだけのヨーロッパ的なロールケージが頼りなく見える。

「最新市販車級のコンセプトがそこに…」

 実はNASCARのマシンは、ボディ全体をクラッシャブルゾーンとしている。強固なロールケージでコクピットの変形を守りながら、エンジンルームやトランクルームといった前後の「箱」は、意外に弱く設計されているというのだ。
 シャシーの前後にはサスペンションが組み付けられているわけだから高い剛性が必要だ。操縦性を高めるためには、ボディ剛性を高めたいところである。だが、それを我慢してでも安全のために、あえて前後をクラッシャブルストラクチャーとしている。最新の市販車では常識的な設計思想が、旧態依然としたレーシングマシンにも採用されているのである。

「燃えそうで燃えないのはこんな理由があった」

 NASCARマシンには、へッドライトもテールライトもない。すべてはステッカーでオリジナルのイメージを保っているだけだ。重心点から遠く離れた前後端にけして軽くないガラス材がないから、無駄なイナーシャがかからず操縦性に効果を生む。
 だがライト類を省略しているのは別の狙いがある。ライトがないことはすなわち電力の不必要と同意だ。ならば電気配線の必要もない。燃えやすいガソリンがあるフロントと、多量のガソリンを積んでいるリアから、着火しやすい電気が遮断されているのである。
 かつては、リアの燃料ポンプを作動させるのも、電気ポンプではなく機械的なワイヤーケーブルだったという。金属のワイヤーがキコキコ動きながら、燃料をフロントのエンジンへ送り込んでいたというのだ。安全への配慮はそこにまで及んでいるのだ。
 そういえば、NASCARマシンが火に包まれることは稀だ。随分と減ったとはいえ、ヨーロッパ型規定のマシンが火だるまになることは少なくない。激しい事故の頻度を思えば、火災事故が少ないのは異例と思える。
 それでいて、ピットでの燃料補給は、屈強なガソリンクルーが抱えるドラム缶のようなタンクからドボドボと注ぐ。ここでは頻繁に火災が起こる。エンターテイメントと安全の考え方がそこには現れている。

木下コラム189LAPイメージ写真
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「脱出用ルーフハッチは、様々な効果が期待されている」

 ルーフにドライバー救出用のハッチが規定されていた時期もあった。マシンが大破し、窓からの脱出が困難になった時、天井からドライバーを引き出すことが可能なように細工されていたのである。
 ドライバーはウレタンフォームごとバケットシートに括り付けられている。そのソフトウレタンの下に引き上げ用ネットが準備されていた。そこをフックに簡易なクレーンでドライバーを引き上げるシーンは感動ものだった。
 それは同時に、エアフラップの役割をも果たす。マシンが高速でスピンした場合、リアフロアに吹き込んだエアーがマシンを浮き上がらせる力が働く。その力を天井のハッチが逃がすのである。スピンはするけれど、木の葉のように舞うことがないような配慮なのだ。

木下コラム189LAPイメージ写真
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「マシンは古い!?とんでもない…」

 そう、NASCARはけしてヘッドギアで守られたような優しいバトルを期待しているわけではない。むしろド派手なクラッシュこそNASCARの魅力であると認識している。だが、ドライバーの命を奪うのは本意ではない。クラッシュはしてもいい。でも命は守る。それがNASCARなのである。
 実は安全対策は、マシンの安全規定だけではなく、コースにも徹底して施されている。超高速で激走するマシンの数センチ横に壁がある。わずかな姿勢の乱れが大惨事に直結する。だがそのインパクトウオールにも安全な細工が…。
 その話は次回に譲ろう。

木下コラム189LAPイメージ写真
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キノシタの近況

キノシタの近況

 恒例行事の大阪オートメッセに出演してきました。東京オートサロンは、不覚にもインフルエンザにかかってしまい出演断念していたから、意気揚々と会場に足を運んだのだ。
 今回はステージトークショーだけでなく、YouTube配信の「GAZOO Racing STATION」企画がなされていて、MCを担当。マイクを前にひたすら喋りまくったのである。いかがでしたか!?好評につき、レギュラー化か!?

木下 隆之/レーシングドライバー

木下隆之

 1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」
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