レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

190LAP

190LAP

「驚くほど安全なコンクリートジャングル」

2017.2.28

「コース施設にも安全性の配慮がある」

 先々号の188ラップで「富士スピードウエイ、30度バンク復活を望む」の記事を紹介した。その反響がすごかった。復活を望む声が多かったのだ。
 だがその一方で、安全性を心配する意見も聞かれた。バンクに叩きつけられる瞬間のマシンへの負担や、万が一のドライバーの安全性が担保できるのか否かに関して、読者の皆様にも三者三様の意見がある。
 それを受けて先号の189ラップで、ドライバーの安全性に関する考察をまとめた。オーバルサーキット先進国であり、安全性に関して驚くほどの配慮が行き届いているNASCARを題材に、東洋人唯一のNASCARカップカードライバーである福山英朗さんに話を伺ったのだ。
 派手なクラッシュがあれほど頻繁に発生するのに、命を落とすことがほとんどない。火に包まれることも稀だ。それは、目から鱗の安全対策が徹底していたからであることを知った。その内容は、先号を読み直して欲しい。
 今回はその続きだ。先号が主にドライバーを直接守るためのコクピット周りの施策を紹介したのだが、目立たぬアイデアがあまりに多くあったために紙数が尽きた。よって今回は第二弾として、コースよりに視点を向けて紹介しようと思う。

「コンクリートではなかったコンクリートウォール」

 コンクリートジャングルのオーバルコースを350km/hオーバーで駆け抜けるのは、心臓に毛が生えてなければ不可能だろう。オーバルは左回り、マシンは左ハンドルだ。とはいうものの、ドライバーが手を伸ばせば触れてしまいそうな近さにコンクリートフェンスがある。そんな恐怖のリングで、時には3台が横並びのままバトルを続けるのだから、正気の沙汰ではない。NASCARドライバーが真の勇者として称えられるのはそこにある。
 だが、そのコンクリートジャングルにも、ドライバーを守るための施策が施されていることを、取材を通じて知ることになったのである。
 オーバルコースを取り囲むコンクリートウォールは実は、コンクリートではなかった。固く成形されたむき出しの壁ではなく、実は衝撃を吸収するような構造と素材で出来上がっていたのである。それを「SAFERバリア」と呼ぶようだ。
 「SAFERバリア」は、SAFETYバリア(安全なバリア)の略ではない。「スチール・アンド・フォーム・エナジー・リダクション」の頭文字である。つまり、鉄で成形したバリアによって、衝撃エネルギーを吸収しようという意味である。

 具体的にはこうだ。
 コンクリートの壁がある。そのコース側に、ウレタンや薄い金属で成形された50センチほどの角材を等間隔で配置し、バリアを構成しているのである。衝撃を受けると角材が変形するように細工されている。たわんだり潰れたりすることで衝撃を吸収する。いわばクラッシャブルゾーンだ。
 そう、いきなりコンクリートではなかった。
 姿勢を乱したマシンが壁にぶちあたる。マシンは激しくひしゃげる。だが、カチカチの壁ではなく、衝撃をリダクションしている。割り引いてくれていたのである。それでもマシンが大破するのだから、そもそもインパクトGは激しいのだろうけれどね。

木下コラム190LAPイメージ写真
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「あえて滑らせるという考え方」

 しかも、である。コース側をスチール製のような板で覆っている。それゆえ、コンクリートよりもミューが低い、滑るような素材を張り巡らせている。接触したマシンは、ウォールの湾曲にそって、あるいは直線を滑るように細工されているという。
 ノーコントロールになったマシンの速度を可能なかぎり速やかに落としたい。それが物理的に理にかなっていると思う。運動エネルギーは速度の二乗に比例する。衝撃は速度が2倍になれば4倍に膨らむ。逆に速度が2分の1になれば4分の1に低下する。だからまず速度を落とすが鉄則である。
 だが、オーバルではむやみに速度を落とすための施策は行われていなかった。ウォールのミューを高めた場合には、接触点を支点にマシンに急激に旋回モーメントが発生する。それを避けるために、あえて滑走させるというのだ。一旦は滑らせてから速やかに速度を抑えるという手順なのである。
 ただコンクリートで覆われたオーバルコースだと思っていたけれど、実は密かに安全への配慮がなされていた。構造はシンプルだけど有効だという。
 これまでなんども、大惨事が起こってきた。時には100Gを超える衝撃が発生するとも言われている。だが、それでもドライバーが無事に生還するのは、「SAFERバリア」が効果を発揮しているからなのだろう。

 以前、ツインリンクもてぎのオーバルを取材したことがある。確かにそこには、「SAFERバリア」が施設されていた。

木下コラム190LAPイメージ写真

「ロードコースのタイヤバリアにも秘策が…」

 余談かもしれないが、ツインリンクもてぎのロードコースにも、興味深い配慮がなされていることを知った。
 ロードコースにもフェンスが張り巡らされている。それはオーバルとは異なり、タイヤバリアである。10本ほどのタイヤが重ねてあり、それを上から下まで束ねてひと塊りにする。それを3列か4列に並べて厚みを持たせる。ほぼコース全周を取り囲んでいる。
 そしてそのタイヤ、経費節減で古タイヤをかき集めて積み上げているのかと思ったら違った。わざわざ新品のタイヤを揃えているというのだ。
 ツインリンクもてぎの設計に関与した担当者はこう言っていた。
「廃棄してしまうような中古タイヤならば、コスト的には有利です。ですが、サイズが異なる様々なタイヤを並べたのでは、場所によって衝撃吸収力にバラツキができます。ここは安全だけどここは危険ですよねと。それでは安全は担保できません。と言っても、中古タイヤをいちいち選別して、サイズや強度を揃えるのも手間がかかります。ならば新品タイヤを納入してもらった方がかえって都合がいいのです」
 あのタイヤ、全て新品なのだ。
「じゃ、持って帰ったら履ける!?」
「残念ながら、ボルトで貫通させています。ただただタイヤを積めばいいというのではなく、束ねる必要があります。パンクしてますよ(笑)」
 新品タイヤをわざわざパンクさせて積み上げていたのだ。

「閑話休題」

 いくら「SAFERバリア」で守られているからといっても、350km/hで疾走するマシンから数センチの距離にコンクリートフォールなのは危険ではないのだろうか。ロードコースのように、走行路から大きく離した方が、安全なように思える。?ちょっと姿勢を乱しただけでコンクリートの餌食になる。マシンの数十センチ横が壁なのだからそれも道理だ。
 ただ、近いことのメリットもあるという。確かに接触はしやすいかもしれないけれど、よほどのことがない限り、マシンが壁に対して直角、真正面から壁にぶち当たることはない。そこに安全性の考え方が隠されている。
 姿勢を乱しても、壁にこすりながらクラッシュする。「SAFERバリア」は滑りやすい素材で囲まれているから、特に衝撃Gは横に逃げやすい。マシンと壁が近いために、もっとも強い衝撃が発生することが稀なのである。
 そういえばそうだ。NASCARで多重クラッシュすることは珍しくはないが、スピンモーメントに陥ったマシンが壁にぶち当たっても、コース上をもんどり打ちながらも進んでいく。徐々に速度を落としていく。やがて停止するのだが、それまでの時間が長い。
 いっぽう、ヨーロッパ型のロードコースの場合、確かにコースとタイヤバリアとの距離は長い。その分速度が低下している。とはいうものの、直角にタイヤに突っ込むことが多い。200km/hからいきなり0km/hというシーンを目にする。その衝撃の方が強いことは明白だ。

 福山英朗さん曰く、ヨーロッパ型レースは、マシンが大破することを嫌う。だがアメリカ型レースは、マシンはさっさと当ててドライバーは確実に守る。そんな精神が根付いているという。

 ふたたび余談だが、高速走行中にドラフティング(スリップストリーム)を使うと空気抵抗の減ったマシンが先行するマシンに吸い寄せられる。その際、後続のドライバースロットルを緩める気になれない。せっかく稼いだ自らのスピードが低下するからだ。スロットル全開をキープしていたいと思う。
 だが、前にはライバルのマシンが道を塞いでいる。かといって、横にも隊列ができているからラインを入れ替えて抜きにかかることもできない。もしそのままアクセルを踏み続けていれば、フロントノーズはライバルのテールにヒットする。そんな緊張感ある超高速の隊列が三列できることもある。
 その時ドライバーはどうするか!?
 迷わずスロットル全開のまま、前のマシンを押すのである。早く行け行けとばかりに、だ。350km/hで進みながら…。
 これが直線だったらまだいいのだが(良くはないけれど…)、コーナリング中だったら危険極まりない。バンパーを擦られた先行するマシンには、スピンモーメントが発生するからだ。
 そのための対策が凄まじい。あらかじめバンパーに、滑りやすいオイルを付着させておくというのだ。擦られてもヌルッとするようにね。クレイジーとしか言いようがない。それがNASCARの世界なのである。
 事ほど左様に、NASCARは極めて危険なエンターテイメントではあるものの、命を粗末にする荒くれ者の集団ではなく、それを放っておくわけでもない。命を守るためのアイデアに溢れているのである。

木下コラム190LAPイメージ写真
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木下コラム190LAPイメージ写真
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キノシタの近況

キノシタの近況

TOYOTA GAZOO Racingからバレンタインデーに届いたのは、チョコレートではなく、43分の1の「LEXUS RC 2016年ニュル仕様」だった。自身初めての24時間リタイヤを喫した、いい意味でも悪い意味でも記憶に深く刻まれる、思い出のマシンだったのである。早速事務所に飾ります。そして眺めます。そして、アイフェルの地に、思いをはせます。

木下 隆之/レーシングドライバー

木下隆之

 1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」
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