「ピカピカの新ドライバー」
春の便りが届き、世の中は新学期を迎えようとしている。桜が芽吹くこの頃、児童は新しい学び舎に心を躍らせ、新社会人は社会への扉を前に夢を膨らませていることだろう。レーシングドライバーにとっても気持ちは同様で、開幕戦を待ち遠しくしているに違いない。
僕だって同様で、レース生活を始めて30年を超えるけれど、未だに開幕戦になるとワクワクする。
ただし、正直に言えば、新しいシーズンの幕開けを最も実感するのは別の日。実は「参戦発表会」のその日が、悲喜こもごも、印象に深く刻まれる日なのである。もっと正確に言えば、開会の数秒間が絶頂だったと思える。その理由は…。
「バリッとネクタイ締めて…」
その日を迎えるまでのチームとの交渉の日々は決して楽なものではないが、それを乗り越えてチームと固く手を握りあい契約成立。条件面や体制といった諸々の雑務を整えた結果として訪れる参戦発表会は、いわば僕らにとっての入学式であり入社式だ。
新しいチームウェアに袖を通すと背筋が伸びる。あるいは新調したスーツとネクタイで晴れのステージに立つ。MCに自分の名を読み上げられ、壇上に歩み寄り、震える手でマイクを握る。心地よい瞬間なのである。
自分を選んでくれたメーカーやチームや、快く協賛をしてくれたスポンサーへの感謝の気持ちがつのる。新シーズンでの活躍を心に誓う。その先には、新たなステップが待ち構えているはずだ。自助努力次第で、明るい将来が待っているのである。これほど晴れがましい瞬間はないと思う。
「晴れやかな瞬間である」
僕も数々の参戦発表会に参加するという幸運を経験している。
日産の巨大なプロジェクトに招聘され、ニュルブルクリンク24時間レースやスパ・フランコルシャン24時間レース参戦の発表会は感動するほど華やかだったし、自らチームを組織して挑んだスーパーGT500も都内の高級ホテルで厳かなパーティを開催した。
もちろんTOYOTA GAZOO Racingのドライバーとして壇上に立ったこれまでの十数回の経験も、一つ一つが忘れがたい。ドキドキするような晴れ舞台を、ささやかには味わっている。
今年の契約がかなったドライバーが控え室に集められる。日頃情報共有しているドライバーだけではなく、日頃会話もないドライバーもいる。だが、お互いがどこか共通の同志のような意識が交錯する。心のどこかでお互いをねぎらい、祝福している。そして胸の中で握手をするのだ。
MCのエスコートに従って、赤い絨毯が敷かれたステージに歩を進める。足元には、自分の立ち位置が記されている。
「木下隆之」
嬉しさがこみ上げてくる。今年もここに立てることに喜び、関係者に深く感謝するのである。
「事態の重さを突きつけられて…」
全日本ツーリングカー選手権に挑戦する春、企画された参戦発表会の様子は、いまでも記憶に深く刻まれている。
メインスポンサーが東証一部上場の共同石油だったし、時はバブルの面影が残っていた。NISMOの1号車、いわばワークスカーでもあったし、マシンは日産が世界制覇のために開発したスカイラインGT-Rだという期待の条件も重なった。
会場は都内の高級ホテルであり、その中でももっとも巨大なコンベンションホールが準備されていた。1000人規模の招待客がおり、テレビ局を含む報道陣が多数集まっていたのである。
式次第まずは、社長の参戦発表から始まり、数名の役員達の祝辞と続いた。そののちに、ようやくドライバーが紹介された。
そこからが刺激的で、ステージでMCと掛け合う、といったほのぼのとした雰囲気ではまったくなかったのだ。白いテーブルクロスが敷かれた長椅子に座らされ、壇上の数々のテレビカメラの集中を浴びた。レースの参戦発表会というより新事業の記者会見といった趣。そんなだから極度に緊張してしまい、うつむきながら震える声でぼそぼそと何かをしゃべった。何をしゃべったのだけはまったく覚えていない。
「○○テレビの△△ですが、今のお気持ちを一言でお願いします」
「××新聞の※※ですが、責任の重さをどのように表現されますか?」
そんな質問も飛び交ったように思う。
まず自分の所属と名前を名乗ってから質問するという常識もなかったし、それは相手が質問の責任を持つことでもあり、だったら僕も責任ある答えをする必要があった。
だけど、回答は「レースができて嬉しいっす」のような幼稚なもので恥をかいた。つまりは、華やかなお披露目の場ではなく、さながら謝罪記者会見の有様だったのである。翌日にはテレビや新聞に、僕のこわばった顔が載った。
その瞬間になって、ようやく事態の重さを理解したという間抜けな話だ。
そのレースプロジェクトには企業としての狙いがあり、多くの関係者の利害が乗せられているのであり、多額の金額が動いていることを、初めて実感することになる。この重大さに、此の期におよんで気づいたという無知。
スカイラインGT-Rでレースができるなんて幸せ~、なんてスキップしながら会場に向かった自分の甘さを、その時初めて恥じた。
「非情なレースの世界である」
プロの世界になれば、モータースポーツは個人の楽しみでもなくサークル活動でもない。平和に楽しみましょうではすまされないのだ。まして、個人の生活だなんてことはここでは語られない。
モータースポーツはとかく、直接的に利益を生まない企業活動だと虐げられている節もある。宣伝効果だとか技術向上という正しい目的があるのに、ことが華やかだから誤解されがちだ。
自動車メーカーでいえば、ボルトとナットを一つ一つしめてようやくこしらえた車を営業して家庭に届けてそこで得た利益を食いつぶすと揶揄されることもある。販売の後方支援でもあるし、次に伝える技術を残すという大命題を抱えている。だというのに、一台を売ってようやく稼いだ数万円を、キャンギャルはべらせてチャラチャラと使ってやがると見られることも少なくないのだ。
モータースポーツは、企業の営利活動の一部なのである。僕らはそのためのガゼットとして貢献しなければならない。それを自覚する瞬間が参戦発表会である。
一般的な参戦発表会の、その壇上のドライバーの緊張した表情を見れば想像できるように、新たな環境に体が硬くなるのはそんな事情がある。
「その笑顔の裏側には…」
さらに言えば、ドライバーとしての複雑な裏事情がそうさせている節も捨てきれない。
チームで自分はいい仕事ができるのだろうか?
チームの期待に応えられるような走りができるだろうか?
スタッフとのコミュニケーションは?
チームメイトと心一つに戦えるのだろうか?
いいやつなのか?
足元をすくってきやしないか?
新入生ならば友達何人できるかな?に胸高鳴らせ平和に過ごせばいいのかもしれないけれど、プロの世界は学び舎ではない。チームは過度の期待を要求してくるわけだし、コミュニケーションは自分次第だ。「仲良くBBQでもして楽しみましょうね」とはならない。
チームメイトはいわば、もっとも身近にして最大のライバルである。足元の掬い合戦でもあるのだ。隣に立っているドライバーこそ、すぐに倒すべき敵なのである。
どっちがチーム内の主導権を握るのか?
こいつ、愛想良さそうだから、逆に怖いなぁ~。
役員受けいいからなぁ~。
裏で悪口言うからなぁ~。
こいつ評判悪いし…。
そんな思いが表情に現れてしまう。握手を促されても、震える手のひらを通じて、すでに戦いは始まっているのだ。
「平和なチームもあるけど…」
参戦数年目などといった継続参戦ならば、多少は気も楽だ。ドライバーとのコミュニケーションもとれているだろうし、チーム内のポジショニングもおよそ確定している。今から日々、チーム内先陣争いをせずにもすむ。粛々と勝利に邁進すればいいだけの話だ。
そのチームの参戦発表会は、はたから見ている僕らさえ穏やかな気持ちにさせてくれるような、和やかな雰囲気に包まれる。見ていてすぐにわかる。
「たった一年で、顔つきがどう変化するのか…」
ともあれ、晴れやかな日であることには違いはない。新たな門出に幸多かれと祈る。
僕らは参戦発表会場での、壇上でのドライバーの顔がどんな風に成長していくのかを見守る楽しみがある。
キノシタの近況
毎年恒例の「LEXUS AMAZING EXPERIENCE SNOW」は今年もど派手な内容と演出で開催しました。
LEXUS RC FとLEXUS GS Fでドリフト三昧。LESUS LXでクロスカントリー。カートでバトル。そして幻想的なナイトラン…etc… 他メーカーが絶対にやってない驚きを提供するつもりです。プリンシパルを拝命しており自画自賛です。さて来年は何をやろうかな。すでに企画は始まっていますよ。
木下 隆之/レーシングドライバー
1983年レース活動開始。全日本ツーリングカー選手権(スカイラインGT-Rほか)、全日本F3選手権、スーパーGT(GT500スープラほか)で優勝多数。スーパー耐久では最多勝記録更新中。海外レースにも参戦経験が豊富で、スパフランコルシャン、シャモニー、1992年から参戦を開始したニュルブルクリンク24時間レースでは、日本人として最多出場、最高位(総合5位)を記録。一方で、数々の雑誌に寄稿。連載コラムなど多数。ヒューマニズム溢れる独特の文体が好評だ。代表作に、短編小説「ジェイズな奴ら」、ビジネス書「豊田章男の人間力」。テレビや講演会出演も積極的に活動中。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。日本ボート・オブ・ザ・イヤー選考委員。「第一回ジュノンボーイグランプリ(ウソ)」
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