
205LAP2017.10.11
4輪脱輪禁止に思うこと…
レースを円滑に進行させるために、サーキットでは様々な規制がある。そのひとつ「4輪脱輪禁止」によって、ドライバーの感情と自由な発想が封印されると木下隆之は心配するという。はたして野放しでいいのか…
「もっと自由に走らせてあげたい」
「あれやっちゃダメ、これやっちゃダメが多すぎませんか。ドライバーが窮屈そうに走っていますよね」
先日、スポーツランドSUGOでのサーキットテストを終えて、パドックで寛いでいる時、平日にもかかわらずテストを観戦に来ていた熱心なファンのひとりが僕に歩み寄り、そう言った。現状のレース界の疑問に思う点を告げにきたのだ。
聞けば、スーパーGTやスーパーフォーミュラはもちろんのこと、入門用カテゴリーを観戦することも少なくないという。ニュルブルクリンク24時間には2度も現地観戦したというから、筋金入りのレース観戦マニアである。そういえば、ドイツでサインをした記憶があった。
「窮屈そうとは!?」
「レースのことです。たとえば、4輪脱輪がだめって、興ざめですよね」
彼はニスモのロゴが刺繍されたバッグを手にしていた。
「ボクは、4輪脱輪してもタイムを出せば、それはその人の精一杯のタイムなのですから、認めてもいいと思います」
現代のほとんどのレースは、予選中に4輪すべてがコース外にはみ出した場合、トップタイム抹消という裁定が下される。コースとは、コーナーの出入り口の縁石を含めた舗装されたエリアのことだ。それ以外をコース外という。一般的には赤白のセブラに塗装されている縁石を跨ぐのは合法だが、それを越えて走行してはならないというのが今のルールなのだ。
走行のすべては、ポストマーシャルや監視塔のモニターで厳しく監視されている。判断に迷うグレーな走行は、録画映像で確認される。わずか1センチでも脱輪していればアウトだ。

2014年オーストラリア「V8スーパーカー」で。市街地サーキットだと、縁石またぎは常識だ。

ジャックダニエル日産アルティマ。巨体を振り回す。この迫力が観客を興奮させる。

1993年のBTCCドニントンパーク。もっとも熱いとされていた英国では、コース外といえども、走れる所を走るのは当たり前のことだった。

インカットが当たり前になり、イン側に障害物を設置し始めたのはこの頃。
「星野走りに憧れて…」
「僕は、グループA時代の星野一義さんの走りに感動して、レースファンになったんです。縁石を跨いで、片輪をあげて走るあの姿に魅せられました。闘志むき出しでしたよね」
全日本ツーリングカー選手権(グループA)時代の、星野一義操るカルソニックGT-Rの片輪走行は、今でも語り継がれている。今でも頻繁に映像が流れるのは、スポーツランドSUGOのシケインをほぼショートカット気味の攻めるあのシーンである。厳密に言えば4輪脱輪はしておらず、今のルールに当てはめても合法的なのだが、当時は4輪脱輪禁止の規則などなく、とにかくコース幅を使い倒してでも速く走りたいという欲望がそうさせていたと思う。
実は僕もこのシーズンは星野さんと同じグルーブA仕様のGT-Rで戦っており、あの走りを再現しようと試みたものだが、あんなにうまく片輪が上がらなかった。荷重を外輪にかけつつ、絶妙なタイミングで駆け抜けないと、あんな姿勢にはならないのである。あれは無闇に攻めているのではなく、プロ技があってこその芸当なのだ。
あのシーンに感動してレースの世界に魅せられた多くのファンがいるには違いない。

1992年のツーリングカー選手権を席巻した日産スカイラインGT-R。中でも星野一義操るカルソニックGT-Rの片輪走行は有名だった。

4輪駆動だったから、片輪を浮かせてもトラクションを失わなかった。

全日本ツーリングカー選手権を戦っていた木下隆之。星野一義さんの片輪走行とリアルに戦っていた。写真は1992年優勝レース。

コンマ1秒でもタイムを削りたい。そんな感情が現れる。

攻めすぎず、躊躇せず。誰にでもできる芸当ではない。
「前号のコラムでも、木下さんが語られましたよね。ドライバーの感情が現れづらいのがレースの抱えている欠点だって。4輪脱輪禁止で、さらに感情が見えづらくなっているように思います。速ければいいじゃないですか、コースのどこを走ろうと……」
気持ちはわかる。トップカテゴリーのマシンは動きの少ないフォーミュラ系になり、同時にマシン性能が飛躍的に上がったことによって、タイヤを浮かせたような走りはしづらくなった。だから、感情が封印される。闘志が現れない。規則でがんじがらめで、レースの魅力が削がれていることにも納得する。
「まさかそこを走るの…!?」
かつて僕がナイジェル・マンセルに憧れたのは、多くのマンセルファンがそうであるように、獰猛なまでに感情が露わになるあの走りにあった。
にわかに思い出されるのは、ある年のF1スパ・フランコルシャンでの激走である。
大いに記憶が曖昧なのはお許しいただきたいが、確か1991年だったか。マンセルは鬼神の走りで、A・セナだったか、A・プロストだったかN・ピケだかを追っていた。
だが、完璧なライン取りで封じられており、抜くことができない。スパ・フランコルシャンの有効なパッシングポイントの一つである、第一コーナー「ラ・ソース」でもインに飛び込むことができず、さらに名所オー・ルージュをほぼ全開で駆け抜け、長いケメルストレートでスリップストリームを駆使しても並びかけることができなかった。ラインをインに変えて敵の動揺を誘い、アウト側から並びかけようとしても駆逐することができない。何度仕掛けてもライバルが隙を見せることがなく、そのままレースを終えてしまうのかと誰もが思った。
だがマンセルは諦めてなかった。なんとタイトコーナーであるラ・ソース立ち上がりで、外側の縁石を跨ぎ、アウト側の退避エリアを走行し始めたのだ。少しでも走行ラインを大きな曲線で回ることで、脱出速度を高めようと企んだ。だが、縁石で乱れたマシンは有効なトラクションを失うばかりか、ライバルとの車身が広がってしまう。
それでも、マンセルは諦めない。さらにはケメルストレートエンドのレ・コンプでは並びかけてもいないのに、アウトからまくろうとした。そこは右に入り込んだ直後に左のターンインしさらに右旋回になるという、S字コーナーだった。だがマンセルにはそこは、タイトなシケインに見えたのだろう。大胆不敵には、そのS字セクションを突っ切ろうとしたのである。4輪脱輪もはなはだしい。もちろんダートに足を取られて抜くことができなかった。
実は僕は1992年からスパ・フランコルシャン24時間に参戦しており、現地でラ・ソースとレ・コンプを見て愕然とした。とても退避エリアを使おうなど思えないほど縁石は高くワイドにはらんでいた。レ・コンプのS字コーナーとて、とてもじゃないけれどショートカットする気になどなれないほど広大なのだ。鈴鹿サーキットのS字コーナーを、面倒だから直線的にカットしちゃえ、ってドライバーにはお目にかかったことがないのと同様である。だが、マンセルはそんな広大なレ・コンプをインカットしようとしたのである。
規則違反を承知でピットロードバックしたり、観客に手を振った拍子にキルスイッチをカットオフして優勝を逃したりと、「暴れん坊」との異名をとるマンセルらしい熱い走りである。4輪脱輪禁止など囁かれていない時代だから、ドライバーの感情が表出した。何事も枠にはめると個性が薄れるのだ。

「赤いゼッケン5」を見ると、N・マンセルの闘志を思い出す。
「治外法権のニュルブルクリンクだから…」
僕はニュルブルクリンクで衝撃的出来事を経験した。ひとは僕のことを「ニュルマイスター」だとか「ニュルを最も知る男」と褒めてくれる。自慢を込めて言えば、確かにニュルブルクリンク24時間には日本人で最多出場しているし最高位も持っているからそう賛辞を送ってくれるのだろう。その言葉を受けていい気になっていた。
だが、僕はまだまだ甘いと思っている。ニュルブルクリンクを熟知なんてしていないのである。
というのも、ある年僕は、総合優勝の権利のあるSP8クラスのレクサスLFAで戦っていた。レース終盤の僕のパートを走行中にこんなシーンに出会ったのである。
目の前ではスピードの遅いBMWが2台で競い合っていた。パワーはほぼ拮抗しており、横並びだった。コース幅は狭く、インからもアウトからも、僕が抜き去るスペースはなかった。さらに僕の背後にはやはり総合優勝を狙うSP9のアウディR8LMSがいた。
僕は待った。BMWバトルの決着がつき、左右のどちらかにスペースが空く瞬間をじっと待った。コースが塞がれているのだから、それしか方法はない。そう思った。
だが、その時に衝撃的なことが起こった。背後のアウディR8LMSのドライバーは、僕がBMWを抜きにかからないことに業を煮やし、一気にダートに踏み入れたのだ。そこは、毛足の長い雑草で埋め尽くされており、地肌が見えない。雨の流れ掘った溝があるかもしれない。深い側溝がある可能性もある。それでもアウディR8LMSのドライバーは全く躊躇することなく、雑草で覆われたダート飛び込み、2台のBMWと僕のLFAをアクセル全開で抜き去っていったのだ。
目の前のバトルに決着がつき、ようやく僕が2台のBMWを抜いた時には、もうすでにアウディR8LMSの姿は消えてなくなっていた。
ニュルブルクリンクでのレースでは4輪脱輪禁止という規則はない。自己責任であり武闘派のドイツには、そんな保護過多な規則はない。だから、ダートに踏み入れても許された。
だが、僕らのチームではマシンを労わるためにダート走行は禁止されていたし、雑草を取り払った時の地肌を知らなかった。もし溝でもあったら、マシンは相当のダメージを受ける。だから踏み込めない。
ちなみに僕らを抜き去っていったアウディR8LMSは、まるでダートテストをしているかのように姿勢を乱さずに駆け抜けていった。

ニュルブルクリンクではコース外走行禁止という概念はない。誰よりも速く走ったものが勝ち。ただそれだけだ。

時にはコース外を走りたくもなろう。アイフェルの丘陵地帯でレースは戦われる。

コース上に抜くスペースがなければ、コース外を使うしかない。ごく自然なこと。
4輪脱輪禁止から始まった今回のコラムも、話が逸れてしまったけれど、あまり過保護にするとドライバーの感情が現れないばかりか、ドライバーの潜在的スキルが封印される。
コース外走行によってコースが荒れ、その後のレースに支障をきたすのというのが「4輪脱輪禁止」なのだろう。あるいは、コース外走行で一方が有利になるのもレースの性質上許されないという解釈なのかもしれない。
4輪脱輪によって有利になるエリアを限定して禁止、にしてはいかがですか!?そうすれば闘志溢れるドライバーは、いろいろ知恵を巡らせて伝説に残る走りをしてくれるはずだ。
どこを走っても速く走ったドライバーが勝者になればいい。がんじがらめの進学校でぎゅうぎゅう詰めに育てるよりも、おおらかにな環境に放り込んだ方が魅力的なドライバーが育つと思う。

ドライバーを誘うような美しいランオフエリア。サンドトラップでもない。ダートでもない。だが踏み入れることはできない。

ベストラインが見える。コース外にベストラインが見えるドライバーもいる。
キノシタの近況



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