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カメラマンが全日本F2のレース監督で優勝
これも異色の転身といえるのかもしれない。レーシングチームの監督を掛け持ちしていたプロカメラマンがいた。1980年代、カメラをヘッドセットに持ち替えて、全日本選手権のトップフォーミュラを数々の優勝に導いたカメラマンがいたのだ。いつも近い距離にいた木下隆之は腰を抜かしかけたという。レース経験のないカメラマンが、一流レーシングチームの監督で采配を振るうなんていうことがあるのか。そのカラクリを木下隆之が明かす。
親友から監督へ
全日本F2選手権(現在の全日本スーパーフォーミュラ選手権)で監督を務めたカメラマンとは、中野英幸氏のことである。古くから自動車雑誌業界で活躍するカメラマンで、愛称は「ぎょめさん」。おそらく多くのレース関係者や自動車専門誌の方はご存知のことだろう。
ぎょめさんが率いたチームのドライバーは、故・高橋健二氏。東名自動車メンテのアドバンカラーで数々の優勝を飾った名ドライバーだから、レース関係者で知らない人はいないはずだ。そう、あの名門レーシングチームである東名自動車の采配を、プロカメラマンのぎょめさんが担っていたのである。
じつは僕は、東名自動車の門をたたくことからレーシングドライバー生活を始めた。レースのイロハを学んだのが東名自動車なのだ、つまり、ぎょめさんが監督するチームを端から見ていたのである。
ぎょめさんは高橋健二さんと旧知の仲だったことから、監督を務めることになった。きっかけはそんな単純なものだったが、いくら仲良しだからといって、日本のトップカテゴリーを指揮することができるわけもないし、そんなわがままが通るような甘い世界でもない。
レーシングチームの監督は一般的に、現役を退いた元レーシングドライバーが就任することが少なくない。レースはマシンを使うという特殊性があるとはいえ、危険と対峙し、ステアリングを握ってバトルに挑むのは生身の人間である。バトル中の精神状態や、コース上の景色を知らぬ人間ではその職が務まるわけがないからだ。
まれにレース経験のない人材が監督を務めることがある。ただそれは形だけのこと。知名度を利用したお飾りの監督も少なくないが、大概がレース経験者か、もしくはマシンに精通した人材が監督を務めることが多い。
だがカメラマンとなると異質である。マシンを開発する立場でもないし、マシンを走らせる役回りでもない。むしろレース専門のチームやドライバーの活躍を、客観的に観察し報道する立場である。そんなカメラマンには監督の資質があるのだろうか?
たとえていうならば、音楽カメラマンがオーケストラのタクトを振るうようなものである。料理カメラマンが、料亭の料理長を務めるのと似てなくもない。いくらその世界に精通しているからといって、常識的には不自然である。おそらく多くの方が首をかしげるのだと思う。
だが、資質は他の誰よりも備えていると僕は思うのだ。それはカメラマンの行動をつぶさに観察し、言動を耳にしていればわかる。
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プロフェッショナルレーシングチームの采配をプロカメラマンが行なっていた。この大観衆の誰がその事実を知っていたのだろうか。
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データ分析ではなかったあの時代は、プロカメラマンの鋭い「目」も開発に有効だった。いや、今でも鋭く分析されることがある。
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僕は故・高橋健二さんの背中を見て育った。
プロカメラマンがレースを読む力
カメラマン氏「木下くん、今日はスタートを担当するのか?」
木下「はい、スタートは僕です」
カメラマン氏「◯◯チームは、△△がスタートするらしいよ。だったらスタート直後は1コーナーのアウト側で撮影するとするか…」
たわいもない会話なのだが、実はこの短いやり取りに深い意味を持つ。カメラマンはレースで起こる決定的なシーンを撮影することで禄をはむ。つまり、レース中に起こるであろう出来事を予測し、その場でカメラを構えていなければならない。
そこで会話が貴重な情報となる。木下はスタートを担当し、ライバルの天敵もスタートする。ならば意地の張り合いをするだろうから1コーナーで接触が発生する可能性が高い。だからそこでシャッターチャンスを待とう…と予測するのだ。
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この後のレース展開を想像し、撮影場所を移動するという。どのマシンが勝つのか。マシンはいつピットに入るのか。監督的な洞察力が求められる。
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どのマシンがどのタイミングでブレーキングを開始し、どのラインで攻めるのか。ドライバーよりも早く予測することで、直後に起こる決定的なシーンを捉えることができるのだ。
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エンジニアですら踏み込めない至近距離から走りを観察している。
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最近はレースを撮影するレース女子も増えているという。彼女たちもお気に入りのドライバーのレース展開を予測しているのだろうか。
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混戦の中のポジショニングやアクションは、コクピットの中のドライバーよりも俯瞰で観察できる分だけ的確なのだろう。
カメラマン氏「タイヤはどう?」
木下「路面温度が高くて厳しいですよ」
カメラマン氏「じゃハードタイヤだね」
木下「それでも最後までグリップが持つかどうかわかりませんね」
カメラマン氏「最後まで頑張ってね」
暑さでタイヤが厳しいという。たとえ先行しても後半にラップタイムがダウンし順位が入れ替わる可能性が高い。ならば、ライバルのマシンをメインに撮影をしておこう…となる。
つまり、些細な情報を元にレースを予測しなければ、いい写真は撮れないのだ。
カメラマン氏「セッティング変えた?」
木下「はい、キャンバー増やしました」
カメラマン氏「だろうね。初期応答が良くなっている」
木下「アンダーステアが減りました」
カメラマン氏「でも、ブレーキングが不安定だから戻したほうがいいと思うよ」
カメラマンは頻繁に、コースサイドでシャッターを切る。カメラマン専用の撮影席で、いつも同じアングルから同じレンズで被写体であるレーシングカーを狙っているのだ。それだけに目が肥えている。我々当事者よりも圧倒的に走りを観察する機会が多いのである。だから、ファインダーを覗けば、キャンバーの変化もすぐにわかるという。
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いつもの同じ位置から同じアングルでマシンを見続けてきたことで、ささいなロールの違いも気になるという。
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タイヤとフェンダーのクリアランスで、セッティングや荷重のかけ方がわかるという。
カメラマン氏「最高速度が伸びただろ」
木下「どこかに表示されていましたか?」
カメラマン氏「いや、さっきの2回目のピットインでウイング寝かせただろ?」
木下「たった0.5度ですけど、なんでわかるんですか」
カメラマン氏「スポンサーロゴが見えなくなったからね」
同じ位置から同じ角度で同じレンズを構えるから、ウイングの微小な角度変化もわかるというのだ。ウイングに貼られたロゴの見えやすさから容易に判断できるらしい。
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デジタル写真を拡大すれば、見過ごされそうなアクションすら確認できる。
カメラマン氏「あの若いのは伸びないな」
木下「どうしてですか、ポイントリーダーですよ」
カメラマン氏「競り合いになると、落ち着きがない」
木下「でも、今日のレースも押さえ込んで優勝しましたよ」
カメラマン氏「キョロキョロしているトップドライバーなんていないよ」
長いレンズで切り取った写真は、たとえ激しいバトルの最中であっても静止画のようだという。アップで狙えば、ヘルメットの中のドライバーの表情すら見える。怯えているのか、落ち着きがないのか、自信に溢れているのか…。そんな心理状態まで手に取るようにわかるそうだ。
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僕はプロカメラマンにどう評価されているのだろうか。
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プロカメラマンはある意味ストーカーである。被写体を見た瞬間に、イケるかイケないかも判断できるのだろう。
カメラマン氏「あいつはそのうちに怪我をするね」
木下「危なげなく勝ちましたけど?」
カメラマン氏「コース上のチーム関係者が見えないところで意地悪をするからね。最終コーナーで進路を塞いでおいて、しゃあしゃあとピットインするやつだからね、そのうちに弾かれるよ」
テレビモニターにも映らず、ほとんど関係者がいないところで意地悪をするドライバーは少なくない。そのドライバーの性根の悪さを知っているのは、競い合うドライバーだけではなくカメラマンも見ているのである。
カメラマン氏「あいつは伸びるね。姿勢がいい」
木下「ドライビングポジションですか?」
カメラマン氏「人の話を聞くときの姿勢だよ。関係者にも、ちゃんと挨拶ができている」
木下「若い子は、礼儀がなってないですからね」
カメラマン氏「木下くんの若い頃よりも、ずっとしっかりしているよ」
カメラマンはコース上での走りだけでなく、パドックでくつろぐ姿や関係者との会話する姿をも撮影する。遥か遠くからファインダー越しに狙うから、僕らも繕うことができない。それはまるでストーカーのようでもあり、探偵のようでもあり、不用意な人の人格すら看破できる立場にある。
レース専門のプロカメラマンは、ピントをぴったりと合わせる能力があれば成り立つわけではない。モーターレーシングの感動や躍動感を読者に伝えるためには、レース展開を読む能力が求められるのだ。だからマシンのセッティングやタイヤのチョイス、あるいはドライバーの精神状態や人格、マシンの挙動にも敏感なのである。これこそ監督に必要な要件ではないだろうか。
じつはぎょめさんとは、僕が中古のFJ1600で走り始めた20歳代からの付き合いである。
「あんなにインに飛び込んだって、抜けるわけないだろ。アホだなぁ」
「バカみたいにキャンバー付けたって速くは走れないんだよ。セッティングを勉強しろよ」
「みんなホイールを磨いたり、オイルを拭いたり努力しているんだよ。お前だけだよ、空気圧も調整しないでレースしているのは」
「ただブレーキングで前に出れば勝てると思ってんだから、センスないな。レースやめちまえよ」
散々ないわれようだったけれど、指摘は的確だったから反論はできなかった。
ただぎょめさんもひとつミスをした。僕がこれまでレースを続けてこられることまでは読み切れてなかったようだ。
写真提供 東名パワード
BMW Team Studie
田村弥
キノシタの近況
SUPER GT富士ラウンド「500マイルレース」のスタート前に、室屋義秀パイロットとのコラボによるデモドライブを演出させてもらった。室屋さんの超低空飛行と、地上での3台のレクサスのバトルはいかがでしたか?観客席は大興奮だったようで満足しています。