238LAP2019.2.27
中国がモータースポーツを制する日
ブランパンGTアジア参戦のために中国を転戦した木下隆之は、ひとつの貧相な中国版ワンメイクレースに見え隠れする、マグマのような恐ろしいパワーに震えたという。今はまだクルマは低レベルであり、ドライビングの技量も素人級だし、メカニックレベルも貧弱である。だが、数年後には驚くほどのレベルに達している可能性が否定できないというのだ。その理由は?
見慣れぬワンメイクレース
「なんだか奇妙なクルマが走っているなぁ」
ブランパンGTアジア寧波ラウンドが開催された週末、見慣れぬモデルに目が吸い寄せられた。統一カラーで華麗にデコレートされたワンメイクマシンは、無難なセダンの形をしており、スポーツカーのそれではなかった。サーキットが不釣り合いにさえ思えた。それでも、寧波のテクニカルなサーキットを懸命に走っていた。
車高が不自然なほど高く、ボディのつなぎ目は段差があり、リベット留めや溶接の跡も乱れていた。改造範囲も狭いようで、エンジンやミッションはノーマル然としていた。タイヤも溝付きのいわゆるSタイヤである。サスペンションとブレーキだけの強化が許されたマシンといえる。実際に速度は見るからにスローで、ラップタイムも極端に遅かった。
走行時間が終了し、すごすごとパドックに戻ってくるマシンを観察すると、「吉利汽車」のモデルであることがわかった。欧文では「GEELY AUTO」。カタカナで表記するならば「ジーリーオート」。ワンメイクレースの名は「GEELY SUPER CUP」であることは、ドライバーの背中にプリントされたロゴで判断できた。マシン名は「帝豪GL」。
サイドウインドーに記されたドライバー名は中国語だった。ドライバーのナショナリティを表す国旗もすべて中国旗。共産主義を表す、赤地に黄色い星が五つ連なる「五星紅旗」だ。中国籍のドライバー以外は見かけなかった。
ドライビングレベルはけして優れているとは言い難い。メカニックの技量もお粗末だった。スパナをエンジンルーム内に無造作に放置していることや、金属製のハンマーを力任せに叩く様子、あるいはジャッキで浮かせただけの不安定な状態でマシンの下に頭を突っ込み、サスペンションあたりを覗いていることなどから、整備のイロハすら学んでいないことがわかる。
「吉利汽車」の名は、最近になって耳にすることが多くなった、中国籍の自動車メーカーなのだ。つまりこのレースは、中国人のための中国車によるワンメイクレースなのである。
ゲスト不在の盛大なホスピタリティ
一見すると、レベルが低く、盛り上がりにも欠けるワンメイクレースに思える。だが、つぶさに観察していると、とてつもない可能性を秘めていることが想像できたのだ。
マシンレベルも運転の技量も、日本の数十年前レベル。お粗末極まりなく幼稚である。だが、パドックでは誰もが自由にマシンを走らせられるような特設コースが設定されていたし、レース参加者だけでなく誰をも歓待するホスピタリティが充実していた。雰囲気だけは最新なのである。
インドアテニスができそうなほど巨大なテントの前には、帝豪GLのベースモデルが展示されていた。モータースポーツを販売に結びつけようという、当たり前のプロモーションスタイルを取り入れているのだ。車両の前には、キャンペーンガールがいた。
しかし、広いホスピタリティスペースを確保しているにも関わらず、あたりは閑散としていた。というのも、ワンメイクレースに参戦するマシンは20台。ドライバーも20名。どのドライバーも大勢の仲間を連れ立っている気配はない。統括団体が雇ったメカニックの姿をちらほら見掛けるだけだ。なにしろ、閑散としているのだ。レース関係者以外でホスピタリティテントに足を踏み入れたのは、興味本位で覗いた僕だけではなかっただろうか。
あらためて見渡すと、マシンの試乗が可能な特設コースでは、一台のマシンがチョロチョロと走っているだけだった。そのほかの、待機している5台ほどのマシンは、ドアロックさえ開いてなかった。
ちなみに、キャンペーンガールは退屈そうに、仏頂面の目をスマホに落としている。
「こりゃ、ダメだな」呆れて乾いた笑いがこぼれた。
いまにも吹き出すマグマのように…
ただし、これだけで中国がモータースポーツ後進国のままでいるという考えは甘い。中国のありあまる経済力を基盤とした発展速度を思えば、一気にモータースポーツ熱が盛り上がる可能性が否定できないのである。
僕は上海から寧波へと、中国ラウンドはたった2回しか経験していないから、すべてを理解した気になって語るのは失礼にあたる。だが、確実に言えるのは、一気に燃え盛る可能性は高いということだ。その息吹を不気味なほど感じるのである。
中国の自動車産業はいまだに模倣文化であり、モータースポーツ後進国である。だが、一気に経済大国に成長したのが、そう断言する根拠だ。
今ではトランプとの貿易戦争にあえいでいるものの、底知れぬ経済力は色褪せてはいない。自動車保有台数は、いまでは米国を抜いて世界一だ。それでもまだ広大な国土の隅々まで行き渡っていないというのだから恐れ入る。
政治体制は社会主義であり、共産党一党支配だ。それでいて経済は資本主義にも見える。国が権力を掌握する体制を維持しながら、外資を受け入れ自由な経済活動を認めている。「社会資本主義」とも言える独特のスタイルが今の中国の経済発展の源である。
社会主義なのに、貧富の差が激しい。農村部は貧困にあえいでいるのに、北京や上海はバブル経済に沸き立っている。コネと忖度が渦巻く、ある意味徹底した実力主義でもある。国が権力を振りかざし、利益を生む者には蜜を分け与えるから、一気に経済が拡大している。
上海も寧波も、国策で優遇された街は整備され、EVバイクが走る。数年前にあふれていた自転車は今はもう見かけない。民族系ではなく、国策に縋った旺盛な中国経済を背景にしたモータースポーツ文化は侮れない。
国がモータースポーツを支える
と、そんなところに「吉利汽車」を巡るホットニュースが飛び込んできた。吉利汽車の親会社である浙江吉利控股集団(ジーリーホールディンググループ)が、独ダイムラーの9.69%の株式を取得、筆頭株主になったというのだ。メルセデス・ベンツからの技術供与を念頭に置いた資本投下であろう。
そもそも、2010年にはフォードからボルボを買収しているし、ロンドンタクシーの経営権を握るなど、企業買収を積極的に進めている。2017年にはマレーシアの国有企業であるプロトン株の49.9%を取得。ロータスカーズの51%の株式も手にしている。同じ年にはボルボの筆頭株主にもなった。そして今回はダイムラーの筆頭である。スウェーデン、イギリス、マレーシア、ドイツと、各国のナショナルメーカーをことごとく買い漁っている。
吉利汽車は2018年の北京モーターショーで、EVのフラッグシップ「博瑞GE」を発表。新エネルギーモデルとして、世界をリードすると公言した。2018年10月には、Lynk&Coが生産する「03」なる聴きなれぬモデルの発表イベントを、富士スピードウエイで開催している。Lynk&Coは実は、吉利汽車とボルボが出資した新興メーカーであり、このブランドでの世界制覇を目論んでいるのだ。
これほど潤沢な買収資金は、中国政府から確保している。浙江吉利控股集団は、外資と組まない特殊な企業体であり、政府が全面的にバックアップしている。新興著しい中国経済のなかにあって自動車産業は、国策とも言える産業であり、政府の力は絶大だ。浙江吉利控股集団は無尽蔵の金庫を背景に、施策を打ち続けているのだ。
僕が寧波サーキットで観たワンメイクレースも、元を正せば中国政府に辿り着く。驚くほど立派なホスピタリティを構えても、観客はほとんどいない。それでも平然としていられるのは、金が余っているからだ。
今でこそ、モータースポーツ後進国と言わざるを得ない中国だが、数年後には世界レベルに達している可能性が高い。なんといっても13億人もの人口を抱えるのだ。ここに資金投下されれば、世界のモータースポーツ絵図がガラリと変わる可能性がある。
持参金付きでメルセデスに乗るF1ドライバーの誕生も夢ではない。中国人だけのメルセデスAMG GTワンメイクが発足したとしても不思議ではない。中国のモータースポーツはけして侮れない。しばらく経過観察してみるつもりだ。
キノシタの近況
カラーリングが施される前のまっさらなマシンでのテストドライブは、いよいよ始まろうとしている2019年のモータースポーツシーズンへの期待感を刺激する。我がBMW Team Studieは、今年もブランパンGTアジアに参戦する。目指すは2年連続チームチャンピオンですね。