レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

239LAP2019.3.13

石浦宏明という男

 石浦宏明がセルモの取締役に就任した。そのニュースが駆け巡ったのは2月初旬のこと。レース界は2019年の活動発表が続いていた時期。ドライバーのチーム移籍であったりマシンのスイッチであったりした中にあってセルモは、立川祐路/石浦宏明というスーパーGT最強コンビ続投とともに、組織変更を発表した。そこに石浦宏明の名があった。彼をよく知る木下隆之が語る。

走る経営者

「株式会社セルモの代表取締役社長が交代。会長兼社長に卜部治久氏が就任。石浦宏明が取締役に信任される」
2月10日、僕の元に飛び込んできたニュースを目にして驚いた。トップが入れ替わるであろうことは想像に難くなかったが、石浦宏明の名が加わるとは思いもしなかったからである。
株式会社セルモの創立は1981年。それ以来国内のトップカテゴリーで活躍、トヨタ系レーシングチームとして名高い。
これまで輝かしい実績を残してきた。僕も全日本GT選手権時代には、我がチームのメインテナンスをセルモに依頼したことがある。木下にとっての古巣でもある。
スーパーGTでは、最速ドライバー・立川祐路を擁してタイトルを席巻。石浦とのコンビには一点の隙がなく、常勝チームに上り詰めた。スーパーGTでは3度、シリーズチャンピオンに輝いている。
スーパーフォーミュラでも活躍した。2015年に石浦が王者を獲得。翌2016年には、チームメイトの国本雄資がチームにとって2年連続の日本一に輝いている。石浦や国本のドライビングスキルが一流であることは論を俟たないが、2年連続でチームの二人が王者に輝いたことは、チーム力の高さの証明に他ならない。
プロモーション的な華やかさはない。ドライバー人気はトップレベルだが、チームブランドとしては質実剛健だ。勝利至上主義であり、ブランディングには興味を示さない。メーカーとのパイプが強く、マスコミ人気という より実利を優先する。そんな職人集団がセルモのイメージだ。
ただ、ここ二年は圧倒的な強さは影を潜めた。2017年と2018年は王者に手が届いていない。今シーズンの体制に大幅な変更があったのは、戦力強化のための施策なのか、あるいは人気引き上げの一手なのかと想像する。
代表取締役を卜部氏が担い、石浦だけでなく工場長の村田淳一氏も取締役に就任している。立川祐路は、スーパーGTではステアリングを握りながら、スーパーフォーミュラを含めて総監督として指揮を執る。新生セルモがスタートしようとしている。

 石浦とはニュルブルクリンク24時間レースでチームメイトとなって以来、公私ともに接する機会が多く、ひとりのドライバーとしてだけではなく日本のモータースポーツ界を担う才能を秘めていると感じていた。
「彼なら何かを整えてくれる…」
想像を絶するホットニュースが頻繁に飛び回るレース界において、石浦の取締役就任はとても嬉しい。期待を込めて、彼の取締役就任を祝う。立川との鉄壁のコンビネーションが新たな風を吹かせてくれるのだと思う。
立川と石浦という飛車角を観察していると、気持ちが通じている者同士に交わされる、親しげな目配せがある。

超一流の”無難”

 石浦はドライバーとしての才能だけでなく、驚くほど人間的なバランス感覚に秀でている。彼にまつわるネガティブな評価を耳にしたことがない。誰もが彼を前にすると、安心してすべてを晒したくなる。年齢を問わない。僕のような年かさの先輩からも、彼を慕う後輩からも絶大な信頼がある。
あるレーシングスクールでこんなことがあった。プロドライバーを発掘する育成プログラム合宿の最終日のことだった。すべてのカリキュラムを終えた時、参加するドライバーにむけて講師の代表がこう質問した。
「あなたたちが理想と思うドライバー名をあげてください」
具体的な目標を描いた方が、成長が早いと考えたからだ。すると生徒の中のあるひとりがこう言った。
「石浦さんのような、”無難”なドライバーになりたいです…」
会場が爆笑に包まれた。ニキビ面の生徒は「バランスのとれた」という意味を「無難」と言い違えてしまったのだと思う。
無難を辞書で紐解くと、以下のようにある。
「《名・ダナ》これといった特徴もないが、格別非難されるような点もないこと。平凡でまずまず無事といったものである」
数々のチャンピオンに輝き、「日本一速い男」の称号をほしいままにしたドライバーをもって没個性であるはずもない。幼いドライバーのボキャブラリーの無知さをあげつらう気はない。むしろその逆で、石浦がオールマイティの能力に長けていることは、社会に巣立つ前の幼いドライバーですら感じることなのだ。石浦の個性は本能にも訴えることができるのだ。

チーム優先主義者

 石浦と僕が初めて同じチームメイトとして走ったのは、GAZOO Racingの一員としてニュルブルクリンク24時間レースに参戦した時である。♯48レクサスLFAのドライバーとしてコンビを組んだのが、モリゾウ選手と石浦と大嶋和也だった。僕はそのチームのリーダー役を任命されていた。
濃いメンバーを揃えていたことで、少なからずプレッシャーがあった。開発が主目的だったから、完走が至上命令だった。だからといってマシンを労っての走行は許されなかった。徹底的にマシンを痛めつけ、それでいて無傷で完走させるという難題が突きつけられていたからだ。絶対に許されないのは、ドライバーのミスによるトラブルである。したがって我々は、マシンの一部の完璧なガジェットとして機能するほかなかった。
悩んだ挙句、予選アタッカーは大嶋を指名した。石浦でも僕でも、決勝に有利な「トップ40」のタイムを叩き出せる自信はあった。だが、チームの雰囲気を整えるために、あえて最年少の大嶋を指名したのだ。
スタートドライバーは自ら自分を指名した。本来なら安定感抜群な後進に経験を積ませるべきだとも考えたが、コース上の空気感を知るためにも、決勝ペースを探るためにも自らが真っ先にコースを走ることが正しいと感じたからだ。つまり、石浦には徹底的に黒子になってもらうことにしたのだ。これを彼に告げる時には勇気が必要だった。
だが、彼は僕の気持ちを先回りして、笑顔で承諾してくれた。それが当然だと言わんばかりに、快諾してくれたのだ。不平不満を口にするドライバーが少なくない中で、石浦の態度は素晴らしかった。

業界関係者をも欺くプロドライビング

 スーパーGTの岡山ラウンドを観戦した。石浦は表彰台圏内にいるライバルの背後を、2秒ほどの一定の間隔を保ったまま淡々と走行していた。そう淡々と走行していた…ように見えた。その様子を観ながら、ある業界関係者がこう呟いた。
「石浦も、ここでペースを上げられないようじゃあダメだな」訳知り顔だった。
だが僕は、その考えを疑っていた。はたしてそうだろうか?というのも、ライバルとの間隔は一定でではなく、コンマ数秒速いペースで迫っていた。あきらかにドライビングに余裕があった。自らに鞭を打って迫るのではなく、ライバルが周回遅れ車両の処理でのロスを巧みに利用しながらにじり寄っていた。抜きあぐねているのではなく、ライバルのタイヤの消耗を誘うようにみえた。剣の達人が、敵との間合いをジリジリと詰めるように、あるいは真綿で首を絞めるかのように追い詰めていたのだ。
しばらくすると、石浦に追い詰められたライバルは、迫りくる恐怖に怯えはじめタイヤを無駄に消耗させ始めた。最終的には単独スピンに陥り、石浦は労せずして表彰台を手にした。
長年レースを見続けてきた関係者も欺く冷静なドライビングに鳥肌が立った。素人が喜ぶ派手なアタックで観客を興奮させることは簡単だったが、自己アピールすることなくチームプレーに徹する。プロ中のプロの仕事を見たような気がして清々しかった。

敗者への気遣い

 彼がスーパーフォーミュラ2度目のチャンピオンを決めたのは、最終戦の鈴鹿だった。ポイントリーダーとしてサーキットに乗り込んだものの、テストではタイムが伸び悩んだ。一方、数ポイント差で逆転チャンピオンを狙うライバルは絶好調。石浦の逃げ切りは難しそうに思えた。
だが、天候が味方した。豪雨のためにレースが中止。その瞬間に石浦の年間王者が決定したのである。レース後のインタビューで彼はこう言った。
「レースが決行されてもチャンピオンになったと思います」チャンピオンらしい公式コメントである。
だが、後日開催された祝勝会での本音がイカしていた。
「レース後ではあんな強気なコメントを口にしてしまいましたが、実は、中止になってくれって祈っていたんですよ。レースしていたら負けていたかもしれませんね」会場は、笑いに包まれた。
それはけして本心ではないと思う。レースが決行されても、勝つための準備を整えていたはずだ。だが、そう言っておどけられることこそ真の強さのような気がした。
弱音を晒すことなく、鎧で武装するのが勝負の世界で生きる男の性である。だが本当に強い男だからこそ、そう言って周囲を和ませることができるのだと思う。その謙遜は、チャンピオンを逃したドライバーへの気遣いのようにも聞こえた。

 耐久レースでのドライバーは、ひとつのガジェットとしての振る舞いが要求される。それを石浦という人間は自然にこなす。まさに組織をコントロールする取締役の資質とイコールだ。いざステアリングを握れば獰猛なアスリートと化し、時には黒子に徹することも厭わない。石浦という男はそういう奴なのである。
そんな彼の今年の戦い方から目が離せない。そしてこれからはセルモが黄金期をたどるのだろうと思う。

キノシタの近況

 数年ぶりにスーパー耐久に参戦することになった。チームはマクラーレン・カスターマーレーシング。マシンはマクラーレン720SGT3である。おそらく最速マシンであろう。アドレナリンが沸々と湧き上がる…。←という近況を書き上げた翌日、スーパー耐久参戦延期が発表されてしまった。パーツの供給体制などが整わず、仕切り直しだというのだ。とっても残念だけど、チームの判断を尊重するし、いずれチャンスがくるでしょう(笑)