レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

244LAP2019.5.29

プライベートサーキットにクルマ好きの桃源郷を見た

 ポカポカと暖かい日差しに恵まれた春に、木下隆之はアメリカ西部地区のプライベートサーキットを訪れた。メインジョブはレクサスRCFを走らせることだったのだが、そのステージとなったサーキットに流れる豊かな雰囲気に完全に、木下隆之は心を射抜かれてしまったという。アメリカのプライベートサーキット事情を伝える。

そこはすでに楽園だった

 羽田空港から約8時間、サンフランシスコ空港から小型機に乗り換えて約45分。まだ寒い冬の日本から東に10時間ほど飛ぶと、そこはやや汗ばむような日差しに恵まれたクルマ好きの楽園だった。
降り立った空港はパームスプリングス。小型機からタラップを降りると、白いコンクリートの滑走路が日差しを反射し、さっそく肌が焦げていく感覚があった。簡素な空港ターミナルは、まるでハワイかタヒチのような、南国の空気が漂っている。ヤシの木が青い空を突き刺すように伸びているし、白い雲がふわふわと浮かぶ。建屋には内と外を隔絶するガラス窓や壁がない。風通しがいい分、ターミナルの通路にカラフルな鳥がなにかの種か豆を突いていた。そこは海のないリゾートなのである。
さらに空港からクルマで45分。砂漠の真ん中に建つ高級リゾートホテルで靴を脱いだ。翌日はサーキットでの走行が控えていた。プールで軽く泳いで、早めに横になった。気分はワクワクしていたから、疲れは感じなかった。それでも時差があるから、ストンと眠りに落ちてしまったらしい。翌朝、射抜くような鋭い朝日で目が覚めた。

 ロスアンジェルスから砂漠を貫くフリーウエイ15号を4時間ほど走ると、ラスベガスの街が現れる。見渡す限りの砂漠の中でそれは、幻のように見える。だから興奮を誘い、人の理性と正常な思考を奪うのだろう。一攫千金を夢見るには都合がいい。
パームスプリングスのサーキットは、ラスベガスのようにほんとうに砂漠の真ん中にあった。といっても、べラージオもMGMもなく、こじんまりとした二階建ての建屋があるだけだ。事前にエントリー許可を得ていたから、ゲートを守る門番もすんなりと招き入れてくれた。セキュリティが厳しいアメリカにあって、どこかのどかな雰囲気が漂っている。
「誰が好き好んで、こんな砂漠のど真ん中のサーキットを襲いに来るもんか」
太った黒人の守衛の大きなあくびが、そう語っているかのようだった。

砂漠の真ん中に緑生い茂る

 ゲートをくぐって適当に順路を進んでいくと、メインの建屋にたどり着いた。草木はよく整えられ、ブーゲンビリアのピンクの花が咲き誇っていた。白い砂漠と、緑の木々と、そして青い空を背景にするとよく生える。非日常感満点だ。
それにしても、こんな砂漠で草木を管理するのは大変だろうなぁとつまらぬことに思考が向かってしまった。
「降雨も期待できそうにないね」
「この時期には、ほとんど雨は降らないらしいですからね」
「だったらこの木々への水はどうやって確保するのだろうね」
それにしても不思議なサーキットである。砂漠の真ん中に幻のようにそびえており、砂漠だというのに草木が青々しい。
そしてもうひとつ、観客席がない。1周3.8kmというから、そこそこのディスタンスがある。本格的なレースを開催することも可能な規模である。だが、観客席はない。そう、ここは、大観衆を集めてレースをするためのサーキットではなく、個人が走行を楽しむためだけの会員制のプライベートサーキットなのだ。見せるのではなく走ることが唯一の目的。だから観客席は必要ないというわけだ。

走って汗かいてビールで喉を潤して…

 コースサイドに目をやると、高級な建物に囲まれていることがわかる。サーキット走行を楽しむ会員の別荘だという。それらはコースに沿うように建っており、プール付きのテラスがコースに張り出している。ここから走行を観るというわけだ。
「会員同士で、プチレースを楽しむこともありますよ」
サーキットのスタッフがそう教えてくれた。
コースを走る姿を、家族がテラス席から眺める。まさにセレブなプライベートサーキットならではである。
そう思ってサーキットレイアウトを観察すると、観戦しやすいコーナーのちょうどいい位置に、ソファーやテーブルが用意されている。
建屋のなかには高級なレストランがあり、バーカウンターには上等なウイスキーが並んでいた。走り終わってアルコールで喉を潤し、ほろ酔い気分で友達の走りを観察を楽しむのだ。
その時、同行した日本人の友達が妙なことを言い出した。
「サーキットでアルコールですか? 飲んだら運転できませんよね。タクシーを呼ぶにも辺鄙な場所ですし、砂漠の中を歩いて帰るのでしょうかね」
それを聞いていたサーキットスタッフがこういった。
「別荘に泊まられるか、もしくはプライベートジェットで帰ります」
「もともとプライベート空港があったところにサーキットを建設したのです」
アメリカのスケールの大きさを突きつけられた気がした。

 サーキットは基本的には会員専用である。だが、今回僕が走らせてもらったように、多少の対価を払えば門戸は広い。
「いつも閑散としていますから」
たしかに雑踏もない。レーシングコースの脇には立派なガレージがある。
「会員のプライベートレーシングカーを管理しています」
とはいうものの、床にはオイルのシミひとつなく、きれいに磨かれたホテルの床のようである。サーキツト特有の喧騒とは無縁の空間が広がっていた。

「会員権ですとか走行代金はどれくらいですか?」
「それに関して、今回は控えさせてもらいます。会員が嫌がりますので」
そういってウインクした。
おおかた税金対策にしているのだろう。あるいは金持ちに見られることを嫌っているのか、富裕層特有の事情がありそうなそぶりだった。プライベートジェットでやってくる会員の懐事情など、想像することもできなかった。

 実はこういったプライベートサーキットは、けして珍しいものではない。富める国アメリカらしく、コンペティションとは別次元で走りを楽しむ層が確実に存在する。僕がアメリカのプライベートサーキットを走るのは、これで3回目だ。
そのどれもが美しく整備されている。一昨年に訪問したテキサスのサーキットは、1周7kmだった。鈴鹿サーキット級の規模だったのである。
アメリカでは今でも、クルマは憧れの存在である。とても身近な存在でありながらも、それが日常に溶け込んでしまうことなく憧れでい続けることに嫉妬を感じる。クルマは移動するためのものでもあり、楽しむためのものでもあるという考えが根底にあるのだ。
クルマパラダイスである。

キノシタの近況

 ブランパンGTワールドチャレンジは、これまで4戦が消化して3度の優勝と1度の2位という好成績が続いている。このままいけば、次の鈴鹿と富士でチャンピオンが決まりそうである。とはいうものの、絶好調の裏返しでBOPが重くのしかかってくることは確かであろう。なので勝てるときにポイント荒稼ぎしておくつもりです。応援よろしくお願いします。