レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

256LAP2019.11.20

スーパーGT選手権FROの凄さと奥深さ

スーパーGTを観戦していて、つくづく羨ましいと思うことがある。FRO( First・Rescue・Operation)である。レーススタートでは最後尾から追走する。出動要請があれば、激走するマシンのすぐ脇まで接近する。時には、まだ熱をもっているマシンに触れることができる。こう言ってよければ、FROはサーキットでの最高の観戦エリアであろう。あれほど間近でレース観戦できるのだから、これほどバトルの醍醐味が味わえる”特等席”もあるまい。「なので乗っちゃおうか…」という、木下隆之の不純な魂胆から実現したのがこの取材。題して「FRO奮闘記」。腹の底で唱えたタイトルが「特等席でレース観戦しちゃった」だったことは口にしないで進めるという…。

4台のFROがコース全周で見守っている

FROは、「First・Rescue・Operation」の略である。それからも想像できるように、マシントラブルやクラッシュの発生によって、まず最初に現場に駆けつけるのがFROの使命である。2001年に発足し、スーパーGT(F4も含む)のレースを陰になり日向になり、支えつづけてきた。
FRO用の車輌は4台。ポルシェ・カイエンターボ。日産パトロール、トヨタ・ランドクルーザープラド、スバル・レガシィアウトバック。助けるはずのFROがサンドトラップにはまってしまったのでは洒落にならない。パワーのある4WD・SUVである理由はそこにある。
荷室には消火器やレスキュー用の器材が詰め込まれている。牽引フックが前後左右に突き出しているのは、どんな角度からでもレッカーするためだ。ルーフだけでなく前後にも、白くまたたくフラッシュライトが組み込まれていた。
待機場所は様々だ。コースに沿うように、緊急出動に適したそれぞれの場所に分かれて待機している。本コースと東コースのピットロードエンドと、そして・・・・・・でスタンバイしている。どこでクラッシュがあっても、迅速に駆けつけられるよう、フォーメーションが形成されているというわけだ。
僕の同乗が許されたのは、「FRO 1」と呼ばれる1台。ポルシェ・カイエンターボの後席で、予選から決勝が終わるまでの二日間、ベッタリ張り付きで帯同させてもらった。
待機場所はピットロードエンド。コントロールタワーの真下である。ゆるゆるとピットロードを走ってきたマシンがフルスロットルでコースインする様子が、ほんの数メートルの近さで観察できる。1コーナーに向けてブレーキングを開始する瞬間からターンインまでも、目視が可能だ。マシンが大地を揺るがす振動すら伝わってくる。目の前には、コースとの隔たりはまったくない。ほとんどコース上の感覚である。

スペシャリスト集団で構成されている

3台のFROは、それぞれ3名をひとつのチームとする。ステアリングを握る「ドライバー」に加え、応急処置など事故への対応全般を担当する「ファイヤー&レスキュー」が助手席に、レーシングドライバーのメディカルを担当する「ドクター」は後席が指定席だ。
それそれが耐火スーツを纏っている。ドライバーは白黒基調であり、ファイヤー&レスキューは、オレンジが鮮やかだ。ドクターは白ベース。腕先だけがブルーのスーツである。医師が白衣を纏うのは、出血等の確認をしやすくするためだ。それでいて手術では青緑なのは、補色の衣服を着ることによって、目のチラつきを抑えるためだと耳にしたことがある。ドクターの着衣が白青の理由はそれなのかと勝手に想像した。
それぞれの分業も徹底している。ドライバーは誰よりも早く安全に現場に急行することを任務とする。特別な場合以外は、車から降りることはない。現場に到着しても、基本的には車内に残る。ステアリングの握れるポジションを離れてはならないのだ。
今回、僕が同乗することになった「FRO 1」のドライバーは、古くからつきあいのある牧田克哉さんだ。何度も酒席を共にした。いつもは「マッキー」と呼ぶ。「さん」と呼ぶのは気恥ずかしい関係だから、ここではあえて「君」と呼ぶことにする。

ドクターは救護がメインである。ウエストポーチには、応急処置用の医療道具が詰め込まれている。注射器も準備されているという周到さだ。止血用なのか痛み止めなのか、緊急を要する場合には欠かせない。腕には、頚椎保護用のコルセットを巻きつけての待機である。一刻も早い対処のためである。医師の林達夫さんが「FRO 1」担当だった。
ファイヤー&レスキューは、その名のとおり、出火や救出の全般を担当する。日々、レスキュー訓練を受けているという。担当は松本和之さん。体格が良い。鍛え上げられていることは耐火スーツを着ていてもわかる。
松本さんは、自らレースにも参戦する。それがとっても心強いのだ。取材中コース上に、あるマシンがガス欠でストップした。ドライバーは自らの脚でピットに戻ってしまっていた。かけつけた「FRO 1」が牽引することになったのだが、マシンは高度なハイテク満載だというのに、軽い足取りで飛び乗り、まるで慣れ親しんだマシンであるかのように起用に操作していた。乗り込むだけで狭く、転がすだけで複雑な最新のGTマシンの操作手順を熟知しているばかりか、慣れていることに驚いた。

レースとは異なる緊張に襲われた

そんなスペシャリストチームに帯同させてもらい、いくら後席に一人分のスペースがあるとはいえ、邪魔にはならないものかと心配になった。だが、いざ走行開始が近づくと、僕の存在など忘れてしまったかのように集中しているさまが素敵だった。
スタンバイは走行開始10分前。公開練習、サーキットサファリ…。マシンが走行する時間帯には必ず、出動態勢で待機している。
決勝スタート前には、競技長がコースの安全を確認するための「コースインスペクション」がある。そこからゴールまでは、常に車両の中で、その時を待つ。ゴールまでひと時も職場を離れることはない。
待機中は、常にレースを監視しつづけている。車内にはレースの展開が読めるTVモニターがあり、場内アナウンスにも耳を傾ける。オペレーション室との直通無線で交信しながらの待機だ。

レーススタートは、最後尾からフォローすることになる。エントリーしていた全44台の最後尾に並びサポートするのだ。
僕の緊張が高まったのは、スタート進行がアナウンスされたときである。
「GT500がフォーメーションラップスタートです」
コントロールタワーから、雑音に交じって関係者無線が届く。
それでも「FRO 1」はまだ動かない。
「まもなく、GT300先頭車両、フォーメーションラップスタート」
それでもまだ待機だ。最後尾のマシンが動かなければまだ発進はできないのだ。
ようやく「FRO 1」が発進した頃には、GT500の先頭車両は4コーナーに差し掛かっていた。
「GT500はアンダーブリッジです」
「FRO 1」はまだ、メインストレートを通過中だ。
そこからは、GT300を追い掛けるようなかなり速いペースでの走行が続く。
スーパーGTは、GT500とGT300を別レースとして分けて開催されている。ふたつのレースが同居しているのだ。だが、FROは、その両レースをコントロールしなければならない。
そこに難しさがある。
スタートは間隔を大きく開ける。つまり、GT500がフルスロットルで1コーナーバトルを開始したころになっても、GT300はまだ隊列を整えながらのスロー走行を続けている。つまりその隊列の最後尾にいるFROは、全開で迫りくるGT500を背後に感じながらオペレーションしなければならない。万が一にも、GT500の先頭集団に追いつかれることは許されないのだ。
「GT500がS字コーナーに差し掛かりました」
迫っている。だが、コントロールタワーから、そんな無線が届いているというのに、こっちはようやくGT300の背後からスタートしたばかりなのだ。僕の心配は、「追いつかれやしないだろうな〜」である。
実際にステアリングを握ってレースしていたほうが楽なほどである。絶対にレースの邪魔をしてはならないという緊張感は想像を超えていた。
「FROの『F』は『First』じゃなくて『Fast』でもありますね」
医師の林さんは、そう言って笑った。

チームストラテジストのごとき洞察力で

スタートオペレーションというひとつの波をやり過ごしてからは、平穏な時間が過ぎていった。だが集中力は途切れない。車内で待機しながらも常に、レース展開に気を張っている。
「ゼッケン◯は、タイヤが厳しそうだね」
「おそらくソフトタイヤでスタートしたんだろう」
「ゼッケン△は、オーバーステア気味のセッティングみたいですね」
「彼のドライビングスタイルはアンダー好みなのにね。だから苦しそうだ」
TVモニターを凝視しながら、あるいは場内アナウンスや関係者無線に耳を傾けながら状況を把握し続けている。
「路面温度は低くなっていますね」
「ハードタイヤをチョイスしたチームは悩みどころですね」
そんな会話を続けながら、それぞれが頷きあっている。
驚いたのは、その造詣の深さと観察眼の鋭さである。有事のときだけに出動すれば良いのではなく、先読みが必要なのだ。
その様子はまるで、コメンタリーブースでマイクを前に報道しているTV解説者のようである。と言っても、興味本位で分析しているのではなく、物見遊山で見学しているわけでもない。あくまでも、レース展開を予測することです初動を早めるためである。マシン展開やマシンのコンディションから、万が一のクラッシュに身構えているというわけだ。
「ゼッケン●は、シリーズポイントが接近していますからね、アウトラップから果敢に攻めるはずですね」
「ゼッケン▼は、アンダーカットを狙ったんでしょう。だとすると、ピットインはあと2周後かもしれませんね」
チーム監督並みの読みを進めている。
「ブレーキングが早くなったように気がします」
「姿勢が乱れ始めしたよ」
それすらも、初動を送らせないための大切な分析なのである。
コメンタリーブースで解説しているよりも、ある意味ではコースに接近しているだけに、正しく生の情報が得られることに驚かされた。僕もスーパーGTのTV解説を長く続けてきたけれど、ここでの情報を聞きながらのコメントであれば、さらに正確だったのだろうと思った。

気配を消した忍びのように…

「あれ?」
牧田選手がつぶやいた。車内に緊張が走る。
「ゼッケン◯のブレーキが乱れましたね」
「とすると、S字かな?」
「いや、その先のV字かもしれないですね」
ときにバトルは終盤にさしかかっており、レースは緊張の度合いを高めていた。
牧田選手が、ポルシェ・カイエンターボのミッションを1速に入れ、パーキングブレーキをリリースした。発進に身構えた。1コーナーのブレーキングとバトル中のマシンの接近度合いから判断して、視界から離れたバトルを想像した。
シートベルトはしない。緊急時にすかさず救出に駆けつけられるように、シートベルトは未装着のままなのである。
だがまだ動かない。
無線に耳を傾けた。
「・・・・・」
無線からは何もオペレーションの指示はなかった。
それも道理で、ブレーキングの乱れから、接触が起こるとすればS字コーナーからV字コーナーであることを予想し、それに身構えたのである。
その予想が見事に的中した。

それは今思えば、#36auレクサスLC500と#6ワコーズレクサスLC500のコンタクトバトルの予言であった。つまりそれは、チャンピオン決定の瞬間ともいえるあのS字の激しい攻防を予想していたのである。

緊急出動

「130Rコーナーで出火した模様。「FR0 1」出動してください」
僕の乗るポルシェ・カイエンターボに、現場急行の指示が下された。牧田選手はすでに1速にエンゲージしており、スロットルを踏んだ。全速力でコースイン。容赦ない速度でコーナーに飛び込んでいく。
この感覚は恐怖に近い。自らの心臓の鼓動が聞こえた。
コース上ではレーシングマシンが激しいバトルを繰り広げている。コンマ1秒を削るために、限界ギリギリのドライビングに挑んでいる。その渦中に丸裸のまま放り込まれたのだ。
GT500のマシンが炎に包まれている、その130Rコーナーに到達する。「FRO 1」は現場の約30メートル前、アウト側のエスケープゾーンに停止した。その場所は、レーシングマシンが超接近するラインのわずか数センチ横である。盾となって作業を保護したのだ。
レーシングマシンが通過するたびに風圧が襲う。マシンがグラグラとゆれる。オイルの焼ける匂いが鼻孔に突き刺さる。エンジンの熱さえも肌に痛いほどだ。追突されるのではないかと体を硬直させた。
林医師と松本さんが飛び出していく。
ほどなくして、戻ってきた。安堵の表情を浮かべている。
「怪我人はないようです。良かった」
「良かったです」
「リタイヤですので、ドライバーは肩を落としていましたけれどね」
「でも、無事で良かった」
「マシンの撤収も終えました。これから戻ります」
作業を終えた林医師と小林さんを乗せ、「FRO 1」はふたたび驚く程の速度でコース上を疾走する。激しく戦いを続けているGTマシンの間を縫いながらだ。
所定のピットロードエンドまで辿り着き、ようやく大きく溜息をついた。
いやはや驚かされるのは、本当に全開走行なのである。
先を急ぐマシンの進路を遮ることは絶対に許されない。FROの動きが勝敗を左右することはあってはならない。日頃走っているベストラインをはずすから、コース上に転がっているタイヤカスが跳ね上がりフェンターを叩く。タイヤはスリッピーなラインに足を踏み入れる。そんな中、マシンの邪魔をしないために左右にラインを入れ替えるのだ。
「右背後から、二台絡みながら接近」
「次の直線で並びます」
パッセンジャーの松本さんが、背後を振り返りながらフォローする。
走りが絶妙だったのは、レーシングマシンの進路を塞がないのはもちろんのこと、血眼になってライバルを追っているドライバーが落ち着いて「FRO 1」の動きが予想できるように動いていることだ。アドレナリンが高まり興奮状態にある戦うドライバーをも、冷静にさせるようなドライビングである。レース後のドライバーにFROの介入の話をしても、おそらく多くのドライバーの記憶に残ってはいないに違いない。それほど自然に溶け込みながらのドライビングなのである。ドライバーの意識から消えさりながら現場に急行する。
まるで甲賀の忍びであるかのような気配を消したドライビングには鳥肌がたった。
「キノシタくんもFROドライバーをやってみたら」
今回の取材を終えて、多くの方にそう言われた。それが社交辞令であることはわかっていながらもまんざらではなかった。
ただ、これは軽はずみには勤まらない高度なスキルが必要だと思ったのも事実だ。牧田君は、スーパーGTでもすぐに勝てるドライバーである。だが、勝てるドライバーならば誰でも勤まるかといえば答えは否だ。高度なドライビングスキルが必要なことは大前提だが、それよりもむしろ、冷静にドライバーの心理を読めることが大切だと思えた。

FROは、それぞれの分野で活躍するプロフェッショナルが、ひとつのチームとなり活動する高度な技術集団である。役割分担ははっきりしている。それぞれの職域に手を出すことはない。いや、求められる能力が高度過ぎるあまり、手が出せないのだ。
それでも、FRO控え室での空気はやさしい。
「いや、それにしても、無事で良かったですね」
レース後に、まる一日纏っていた耐火スーツを脱ぎながら、誰かがそうつぶやいた。

キノシタの近況

GRコペンの試乗会で再会したのは、ダイハツのトップガンである松本豊さんだ。10数年前から数年間、ガズードライバーとしてニュルブルクリンク24時間詣でを続けていたころ、マシンの開発を担当していたのが松本さんなのだ。あいもかわらず肌の色ツヤもよくて、嬉しかったですね。コペンの味つけは、美味しかったですよ。