レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

269LAP2020.6.10

モータースポーツの新スタンダードはこうなる!

未曾有の災厄と呼ばれるコロナ禍が世界を覆い尽くし、われわれ人類は自らの非力さを思い知ることになった。数々のエンターテインメントイベントが中止、あるいは延期に追い込まれた。世界が楽しみにしていた東京五輪が延期になったというのだから、そのほかのスポーツイベントが正常に続けられるわけがない。われわれの生息場所であるモータースポーツフィールドも同様に、延期や中止に追い込まれた。そんな今、感染者数が減少傾向にある中、レース再開を求めて関係者は奔走している。そして木下隆之は、オンライン懇談会で仲間たちと侃々諤々語り合った。
オンラインでの会話だから、公式コメントではない。だが、だからこそ塞ぎ込むことなく楽観的に未来を創造した。

緑豊かな郊外にサーキットがある

新型コロナウイルス感染症に関する緊急事態宣言の全面解除に合わせて、政府が基本方針を発表したのが5月25日。宣言が解除された地域での屋外イベントは200人以下としており、2〜3週間の経過観察を経て、1000人規模まで拡大する可能性があるとしている。日々事態は変化しており、まだまだ予断を許さない。だが、霞の中に微かに光明が見えたような気がする。実際に世界のモータースポーツプロモーターは、あくまで今後の状況によっては変更が考えられると前置きしながらも、暫定ながら2020年レースカレンダーを発表している。自分ができることに気を配りながら、あとは終息を願うばかりである。
すでに米国ではインディが開幕された。まだまだ予断が許されないとはいえ、明るい材料であることは確かだ。

希望に満ち溢れていた

「飲食店では窓を開け放っているよね」
「ウイルスが停滞するのを防ぐためにね」
われわれはそんな会話から、モータースポーツ開催の可能性を語り始めた。
「とすると、屋外スポーツのモータースポーツは都合がいいと言えるのかもしれない。もともとサーキットは屋外だから」
屋内イベントは特に注意が必要だと言われている。密室ではコロナウイルスの感染力が強いからだ。
「その点でモータースポーツは、条件が悪くはないかもしれないね」
たしかにサーキットは広大だから、人と人が肩を寄せ合うことが少ない。設備に気を配り、注意喚起を徹底すればソーシャルディスタンスが保てる可能性が高い。
「野外フェスなどでも、歓声は禁止されたらしいですね」
大声で叫ぶときの飛沫感染が懸念されるからからだ。
「遊園地のジェットコースターも、大声禁止らしいですよ」
「あれは怖いから絶叫するのではなくて、楽しむために叫んでいるのだけどね」
歓声が響かないジェットコースターの方が不気味である。(笑)
「モータースポーツは、大声で応援するというスタイルではなく、心で声援をするというスタイルが定着している。
「みんなは気持ちの中で応援しているのだ」

激しいコンタクトはマシンだけ

「観客だけでなく、実際に体を動かすドライバー目線ではどうなんだろう」
「もともと一人乗りだから、狭いコクピットでのドライビングとはいうものの密室でのスポーツというとちょっと環境が違うかもしれないね」
「レースでのバトルはコンタクトが激しいけれど、マシンとマシンだからね」
政府は、ラグビーや相撲のような、肉体のコンタクトスポーツにも感染の懸念を示した。体と顔を寄せ合わせて息遣い荒く力を振り絞る肉体スポーツはたしかに、感染の危険性が高い。だから残念なことに、肉体と肉体がぶつかり合うスポーツは開催が懸念されている。だが、レースは基本的には一人乗りであり、接触はマシンとマシンである。バトルに関しては、コンタクトスポーツを心配する指針には当てはまらないのかもしれない。
「人と人が接近するとしたら、耐久レースでのドライバー交代くらいかな?」
「だったら、一定の間隔をキープしてドライバー交代をすればいいのかもね」
実際にもブランパンGTアジアでは、ドライバー交代を含むピットイン時間が余裕を持って決められている。ライバルに先んじてピットアウトしてはならないのだ。だから、ソーシャルディスタンスを確保してのドライバー交代時間に余裕がある。対応は可能なのだ。

難燃性の高いマスクとシールドで保護

「レースではマスクの着用は義務化されている。ヘルメットバイザーも装備している。安心材料と言えるかもしれないよね」
難燃繊維のマスクを着用している上に、ヘルメットも被っている。バイザーを閉めれば感染リスクを抑えることは可能だ。実際に、レース用のマスクを開発しているメーカーもある。これが新しいスタンダードになれば、今回の災厄が、むしろレースの世界をさらにクリーンに整えるいいチャンスになるのかとも思う。
「コンビニやスーパーのレジカウンターでは、マスクにシールド姿を見かけるよね。それ以上に防護しているのだから。グローブもはめているしね」
感染リスクを抑えるためにまだまだやれることを考えなければならないけれど、関係者は柔軟に受け入れようとしている。

よりクリーンなレースに…

「たとえば、レース中のトラブルでドライバーがライバルのピットにクレームをつけにいく…なんてシーンはどうなるのだろうね」
「僕は怒鳴り込まれるのも拒否するのと、怒鳴り込むこともしないから無縁である。ただ、たびたび見掛ける口論は、観ている関係者や後輩の手前、虚勢を張って怒鳴り込んでいる節がある。そうでもしないとメンツが立たないって気持ちが根底にあるのだろうね。だけど、冷静にマスクをしてからソーシャルディスタンスを取って…なんてやっているうちにアドレナリンが消えて怒りも収まるかもしれない。コロナ禍が思わぬ効果をもたらしたと言えなくもない」
不謹慎かもしれないけれど、そういって僕らは笑い合った。

無観客なのは、やはり寂しい

「どんなスポーツでも、現場のライブ感に勝るものはないからね」
「それは僕らも同様だよね」
モータースポーツは五感を楽しむスポーツでもある。鼓膜を強く震わせる爆音があり、650馬力ものマシンが疾走するときの地響きも魅力の一つだ。靴の底から伝わってくる大地の震えは快感に違いない。オイルの焼ける匂いが好きだというレースファンは少なくない。ギアオイルの甘い香りは、鍛え抜かれたマシンにしか発散できない体臭である。
ボディを触れば冷たく、ボンネットは熱い。マシンが駆け抜けるときの風圧。肌からもモータースポーツを感じることができる。だから現場に来ればまた別の醍醐味が味わえる。
ただし一方で、映像技術に支えられている性格のスポーツでもある。サーキットは広く隅から隅まで見渡すのは難しいから、関係者は苦心した。サーキットで行われている戦いのすべてをつぶさに観てもらうため、中継システムが発達した。時速300km/hの世界を実感してもらうためにインカーカメラが欠かせないツールになった。サーキットを取り巻く観客席でスマホ映像を見るファンも少なくない。結果的に自宅にいて観戦できる環境が整理されている。
eモータースポーツの発展はレースでも同様で、今後のスタンダードになるのかもしれない。
「自宅にいながら、トヨタTS050でサルテサーキットを疾走したりしてね」
「それはいい。ファンの人たちもレースに参加できるのだ」
そんなシステムが開発される日も近いのかもしれない。

コロナ禍のなか開催される無観客レースは、本来の姿ではない。だが、早く開催したいとの思いは、当事者であるわれわれも、レースを待ち焦がれてくださっている観客の方々も同様だと思う。
今回は仲間とで、コロナウイルス終息後のレースの可能性に関して語り合った。現実的には様々な障害がある。それを一つずつ丁寧に解決させてからの開催になるはずだ。ともあれ、1日も早くサーキットが興奮に包まれる日が来ることを望んで止まない。

キノシタの近況

3ヶ月ぶりの富士スピードウェイです。名誉ある東京五輪の競技場に指定されていたから2020年に訪れることはないのだろうと肩を落としていたけれど、思わぬ厄災によって走れることになった。決して喜べないことだけど、それでもなんだか嬉しいのは僕が走り屋だからだね。