レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

272LAP2020.7.22

もっともスリリングなモータースポーツは…?

「レーシングドライバーとラリースト、度胸があるのはどっち?」
この連載コラム270LAPでそんな話をしたら、思いがけないところから新説が届いた。レーシングドライバーよりもラリーストよりも、もっと危険な人種がいるという。それは自らハンドルを握ることもなく、あくまでパッセンジャーに徹する。それでも誰よりも勇敢だという。ラリーのコ・ドライバーか?
しかし、どうやらコ・ドラではないらしい。生身を晒しているというのだ。シートベルトで固定されてもいない。しかも、300km/hで疾走しながら、顔面を路面すれすれに沿わせるらしいのだ。これが危険でなくてなんというのだろう。その正体はサイドカーレースのパッセンジャーなのだと。YouTubeで確認したら、こりゃもう、その超越ぶりはクレイジーである。そんな思いを木下隆之が語る。

一心同体のモータースポーツ

レーシングドライバーとラリーストのどっちが狂気なのか…その議論を展開した270LAPのシメは、狂気のラリーストに命を預け、しかもドライバーがアクセルペダルを踏み込めずに躊躇している場面においても、なおかつ尻を叩いて鼓舞するコ・ドライバーこそ怖いもの知らずに違いない…だった。
だから、サイドカーの助手席で戦うパッセンジャーがいかに危険かは想像がついた。命をライダーの操縦に委ねている。高速で疾走するマシンにしがみついているのだから、その恐怖たるや尋常じゃない。想像しただけで身の毛がよだつ。

サイドカーレースをカテゴライズするならば、バイクというジャンルに組み込まれるだろう。だがバイクなのにタイヤは左右アンバランスに3輪ある。だから左右にロールしない。そんな特殊なバイクを速く走らせるには、体を右に左に移動させ、バランスを整える必要があるのだ。
とはいえ、左右に移動するといっても、それこそ座布団1枚ほどのスペースでの話だ。300km/hを超える速度で突き進むサイドカーには、小さな握りバーが組み付けられている。例えるならば、バスルームのタオル掛けか便所の握り程度のバーが唯一、自重を支える器具である。あとは自らの握力だけが命綱なのだ。
その様子は、サーカス団の曲芸師や、御輿の櫓で扇子を打ち鳴らす踊り子のようである。動きは華麗にして一瞬の隙もない。美しさすら感じる。だがそれが、300km/hオーバーの世界だと思えば、見ている方の足がすくむのである。

タイヤの特性をコントロール

僕に新説を突きつけた友人はこういう。
「まさか、必死にしがみついているだけだと誤解していないでしょうね」
いやいや、それほど僕は無知ではないし鈍感でもない。 パッセンジャーが巧みにバランスをとるからサイドカーは速く走れるのだろうことは想像に難くない。
サイドカーレースの基本は体重移動にある。遠心力に逆らう。ちょっとバランスを崩せば、その場でゴロンゴロンと横転するに違いないのだ。実際にYouTubeの動画では、内輪がフワッと浮き上がり、今にも横転しそうなシーンが珍しくはない。というか、そんなスリリングなシーンのいくつかは、ものの見事に横転しているのである。

「サイドカーレースのパッセンジャーは、マシンエンジニアリングなんですよ」
友人はそういってパッセンジャーの能力を語る。
「荷重を計算に入れて、体重移動しているのです」
それは理解しているつもりだ。
「スタートの時はどこに座ると思いますか?」
「空気抵抗を減らすために伏せる」
「いや、後輪の真上にのしかかります」
「リアタイヤのトラクションを稼ぐためだね」
「右コーナーではどのような姿勢になりますか?」
「右側にのしかかる」
「正解です。右コーナーではマシンを抱き抱えるようにしてイン側に体重をかけているのです」
サイドカーは、右側にハンドル操作をするライダーが乗る。
「左カーブでは?」
「もちろん左側に乗るんだろうね」
「半分正解です。正確には、左側に尻を突き出すようにします」
サイドカーの車幅を超えて体重移動するのだ。
「お尻を路面に擦ることはあるの?」
「しょっちゅうです」
「迫り出した時にサイドカーが蛇行して、引きずられることもあります」
「怪我はしないの?」
「日常茶飯事です」
「迫り出したタイミングが悪く、イン側の壁にヒットしたこともあります」
「コンクリートの壁と頭突きだ」
「痛いでしょうね」
命知らずとはこのことだと納得した。

「荷重を予測して…」

僕ら4輪のレーシングドライバーは体重移動することがない。がっしりとボディに組み付けられたバケットシートに座り、シートベルトにがんじがらめに固定されている。もともとバケットシートの位置は、マシンの重心点近くに固定されている。
レーシングカートは体重移動がある。加速時にはリアタイヤに体重が加わるような姿勢になり、パワー不足を感じればぴょんぴょんと飛び跳ねるようにしてタイヤへのストレスを軽くさせることもある。だが基本的にはドライバーの体重を荷重として活用することはない。だがサイドカーではそれが勝敗を左右するというのだから興味深い。
そもそもスポーツといわれるもの全般に、体重移動を絡める能力が問われることが多い。ヨット、サーフィンなどはもちろんのこと、スキーやスケートも体をくねらせることで巧みに荷重変化を活用するスポーツだといえるのかもしれない。サイドカーはその体重移動がもっとも視覚的に想像しやすい競技だと思える。

「サイドカーのパッセンジャーが、もっとも命知らずだね」
僕がそう結論づけると、友人はこう言った。
「実はハンドルを握り、スロットルを開け閉めするライダーも命知らずなんですよ」
どうやらこういうことらしい。パッセンジャーの体重移動次第で、タイヤのグリップがコロコロと変化する。だから、パッセンジャーが適切なタイミングで体重移動をしてくれることを信じてスロットルを操作するんです」
「体重移動してくれることを信じて…?」
「それも恐怖ですよね。パッセンジャーはライダーの操作に合わせて体を入れ替えるんですから、一歩間違えれば即クラッシュですがライダーもライダーで、パッセンジャーの動きを予想してコーナーに挑むのです。ライダーも無鉄砲ですよね」

友人の話を聞いていて、足がガクガクと震える思いだった。
他人の体の動きを信じてコーナーに挑むなんて、レース屋の僕には到底できない芸当である。それを思えば僕たち4輪のレーシングドライバーは正常だと思えた。

キノシタの近況

スーパーGTが開幕した。今年はドライバーとしてではなく、スポーティング・ディレクターとしてチームに帯同します。BMW Team Studieが走らせるM6GT3の采配にご期待ください。