レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

273LAP2020.8.12

24時間耐久 in JAPANを制した男たち(笑)

平成8年6月。フランス・サルテサーキットで第64回ル・マン24時間耐久レースが開催されているその日、日本でも同様に24時間に挑む男たちがいたことをご存知だろうか。ドライバーは、杉浦、佐藤、神村、高橋、生島、そして広瀬の6名だ。マシンはトヨタ・スープラ。そしてその24時間耐久で見事完走。日本の空に金字塔を打ち立てたのである…。
…と書くと偉業を達成したかのように聞こえるけれど、実態は遊び心に満ち溢れていた。トヨタがフランス・サルテサーキットでル・マン24時間耐久レースに挑んだその日その時刻、自動車専門誌ジェイズ・ティーポの編集部員たちが、日本の公道で24時間連続走行を楽しんでいたのだ。その顛末を見届けた木下隆之が、かつてを回想する。

冗談から駒

企画したのは自動車専門誌ジェイズ・ティーポ編集部。2010年に惜しまれつつ休刊になってしまった伝説の自動車専門誌だ。日本車をこよなく愛し、遊び倒すことにかけては頭抜けたセンスを披露することで有名な雑誌であった。過去にもクレイジーな企画を連発し、自動車業界のお笑い部門担当であった。
とにもかくにも、自動車を題材にした笑える企画力は抜群だった。そしてそのどれにも、マゾヒスティックな要素を含んでいた。なんでそんな辛い思いをしてまで遊びたいのか意味不明だが、笑いながらもやり遂げてみると、クルマの魅力が見えてくるから不思議だ。
そんな不思議な編集部だったのだ。
過去に敢行した珍プロジェクトを挙げればキリがない。
「550ccの軽自動車4名乗車で東京-鳥取ノンストップ往復」
「オープンカーでルーフを開けたまま冬の降雪地帯ドライブ」
「猛暑日のその日にエアコンレスのスポーツカーで日本縦断」
「プレステ24時間耐久レース」
パッと思い出すだけで笑える企画が山積みだ。
実は僕はジェイズ・ティーポで巻頭連載を続けており、これまで編集部の珍企画に何度も付き合わされている。その度に僕自身も辛い思いをしているのだが、それでもクルマを愛し楽しむ彼らを微笑ましく見守っていた。もちろんこの「24時間耐久 in JAPAN」レースも、楽しく俯瞰していた。

ことの顛末は、写真で紹介した当時の記事に詳しい。参照していただきたいのだが、単純に遊びで終わらないのが彼らの微笑ましいところだ。
「真剣に遊ぶ」は僕も信条だった。
「それ、どこに意味があるの?」
意味などない。楽しければいいのだ。
「アホじゃない?」
それは彼らへの褒め言葉である。
2018年から僕とお付き合いしてくれているBMW Team Studieも同様に、クルマ遊びのアイデアは富んでいる。僕がこのチームで楽しく仕事をさせてもらっているのは、同様なテイストに溢れているからなのだろうと思う。

発想の原点は単純なことから…

「24時間走り続けたら、走行距離は何キロになるのだろう」
そんな素朴な疑問からこの企画は湧き上がった。
「ならば、北海道から九州まで日本縦断だよね」
そこまでは常識的な発想だ。だがジェイズ・ティーポの発想は違った。時に世の中は、日本チームのル・マン参戦で湧き上がっていた。
「ル・マン24時間のその時間に日本のサーキットを周回しよう」
そう発想したのだ。
だがその予算がない。ドライビングスキルもない。
「ならば…」
そうして浮かんだアイデアが、高速道路周回である。
東京を起点に東名高速を西走、名古屋付近で中央高速と連結している。そこで中央高速に乗り換え東に戻ればそのまま首都高速4号線につながる。環状線を周回し首都高速3号線に乗ればまた東名高速につながるのだ。それでサルテサーキットよろしく、東名中央サーキットが出来上がる。だが、ドライバー交代ができない。
しかし、都合が良かったのは、ジェイズ・ティーポ編集部は、東名高速の起点である環状8号用賀インターの目の前なのだ。つまり、編集部をスタート地点に設定し用賀インターから東名高速に乗り入れ、中央高速から折り返し、環状8号線をひた走り、用賀インター前の編集部でドライバーチェンジをすることが決定したのである。
だが、遊びはそれだけに止まらなかった。
「マシンはどうする?」
「そりゃ、スープラでしょ。トヨタがル・マン24時間耐久レースに参加することだし…」
「改造する?」
「トヨタのル・マンカーと同じTRDにメンテナンスを依頼しよう」
「それじゃ、ワークス体制じゃん」
「どうせなら、カラーリングも同じにしよう」
「スポンサーは?」
「同じだ」
「大塚家具?」
「もち、大塚家具」
「タイヤは?」
「トヨタ・スープラは?」
「ダンロップっす」
「ならばダンロップ」
何から何までパクったのである。
「ホイールは?」
「悩みようがないだろう。レイズで決まり」
「オイルは?」
「モービル1」
写真からも想像できるように、まるパクリなのである。
「チーム名は?」
「TTJ」
「?」
「トヨタ・チーム・ジェイズだ」
「本家は?」
「TTS」
「?」
「トヨタ・チーム・サード」
かくして24時間耐久 in JAPANは、遠くサルテサーキットに号砲が鳴り響いた午後3時(フランス時間)にスタート。日仏両方で過酷なレースが始まった。

24時間走行は順調だった

本家のトヨタチームが時折トラブルに見舞われ、度重なるピットインを繰り返していたのとは対象的に、TTJは順調に周回をこなす。350km走行を目安にサービスエリアに立ち寄り給油を繰り返す、8時間、1ラップするごとにドライバー交代をし、休むことなく周回を続けた。
ル・マンがそうであるように、応援も少なくなかった。スタート地点にはトヨタの関係者も激励に顔を出してくれたし、途中のサービスエリアにはTRD関係者が差し入れに来てくれた。すでに誌面で24時間耐久 in JAPANを予告していたから、沿道には読者が詰めかけてくれた。さらには思わぬサプライズも。フランスでル・マン24時間レースを戦っている関谷正徳選手から、激励の国際電話が届いたのである。
「共に頑張ろうね」
僕も何度か運転中のドライバーに電話で激励した。
ジェイズ・ティーポ編集部員のシャレに、本家であるトヨタや関谷選手までもが乗ってくれたのである。最高のシャレである。

24時間よりも過酷に…?

結果的にはノントラブルで完走。走行距離は2447.1km。レース同様に給油中にはエンジンストップしたから、合計23時間15分エンジンをかけ続けていた。それでも連続8時間もクルマの中に居続けるのは辛かっただろう。
「いや、笑いっぱなしですから…」
本人たちは意に介さない。
「食料も積み込んでスタートしましたからね」
ほとんど旅行気分である。
「でも尿意だけは辛かった」
平均燃費は8.25km/ℓである。道路交通法規に従って、制限速度は遵守した。それを思えば夢のようなリザルトである。
残したデータの素晴らしさよりも、思い出は熱い。周回中は、助手席の仲間と語り尽くす。時折届く電話メッセージが心に響く。常にマシンのコンディションに集中する作業も心地いい。バトンを次に託さねばならない緊張感も刺激である。そして何よりも、遠く離れたル・マンでも、同様に戦っているであろうスープラとの気持ちが通う。戦っている臨場感が得られるのだ。自宅でテレビ観戦しているのとはまた一味違う楽しみなのである。

ネット環境が進んだ現在ならば、さらに濃い24時間耐久 in JAPANが可能なのかもしれない。平成8年、いまから24年前の1996年を振り返りながら、今だったらどんな遊びができるのだろうかと思いを巡らせて楽しくなった。

キノシタの近況

スーパー耐久がいよいよ始まろうとしている。SS/YZ Racing with Studieのチームも顔を揃えた。興奮は高まる。恒例の記念撮影。僕だけスーツが赤いのは、僕の年齢を考えてのチームのいたずらだ。新しいフェーズに走る僕を応援してください。