レーシングドライバー木下隆之のクルマ連載コラム

282LAP2020.12.24

サーキットは刻々と表情を変える

最近のレースは、展開が読みきれない。そう感じている御仁も少なくなかろうと思う。バトルの先行きだけではなく、タイムの変動などが、予想を超えて移り変わる。目の覚めるようなタイムを連発していたのに、突如として悪化する。快走していたトップマシンが、突然崩れ落ちる。あるいは一気にタイムを縮め、敵を追い詰めていく。詳細を分析せねば理解できぬ現象が多発しているのだ。
その原因の一つが、路面の変化にある。レースで何度も路面に翻弄され、その一方で武器として活用してきた木下隆之が、路面とタイヤの関係を解説する。

「路面は生きている」

スーパーGTの予選では、セカンドアタックのドライバーが好タイムを記録することが少なくない。
二人のドライバーがコンビを組み一台のマシンを走らせるスーパーGTでは、規則によってQ1とQ2という二度の予選が行われる。大概それはGT300のQ1予選から始まり、GT500のQ1へと続く。そこで勝ち上がった予選通過マシンにより、次のステージであるQ2が行われる。グリッド上位を狙うチームは、最終的なグリッドを決定するQ2にエースを投入するのがセオリーだ (Q1通過が危ぶまれるチームは、Q1にエースを投入することになる。)
そういう流れで予選が進むのだが、一般的にはQ2のタイムがQ1よりも大幅に上回ることが少なくない。
もちろんそれには、Q2をエースが担当することが多いのが理由の一つだが、実際には路面コンディションの変化が、Q2のタイムを飛躍的に高める効果を生むのである。
路面は生きている。Q1はまだ、路面コンディションが整っていない。朝一番のサーキットはまだ、眠りの中にある。長い夜の間に路面は冷え、アスファルトは硬化している。夜露がしっとりと路面を濡らしている、朝陽を浴びて黒光りしているのは、ちょっと湿っているからに違いない。
だが、深い眠りから目覚めたコースは、レーシングマシンが走り始めると性能を高めていく。太い高性能なスリックタイヤを装着したマシンが、路面をかきむしる。レーストラックに高性能なゴムが付着する。自らのゴムを路面に練り込むことで、路面の摩擦係数=ミューが高まっていくのだ。
GT300Q1、GT500Q1、GT300Q2、GT500Q2と激しいアタックが繰り返されると、路面のグリップは高まっていく。GT300Q1であれほどアンダーステアやオーバーステアに悩まされたのに、Q2では挙動が安定し、目の覚めるようなタイムを記録することも珍しくない。1秒もラップタイムが短縮することさえある。Q1よりもQ2の方が圧倒的にタイムアップするのは、それが理由なのだ。

「夜が明けると…」

前日に雨が降った日などは特に、路面コンディションの変化は想像を超える。雨の流れが路面に付着した良質なコンパウンドを流してしまう。せっかく整った路面がリセットされるのだ。レーシングマシンの走行が始まり、太いタイヤが路面をかきむしり、こそげ落ちたゴムが路面のミクロの溝に付着して、初めてコースは最良となるのである。

鈴鹿サーキットは三重県鈴鹿市の東に位置しており、伊勢湾に近い。夏ともなればマリンフリークで賑わう磯山ビーチがある。東風が強い日などは、ビーチの砂が風に乗って運ばれてくる。それがコースを包み込む。砂がうっすらと積もった路面のミューは低い。鈴鹿サーキットの朝は特に滑りやすいのである。走行するレーシングマシンが、表面に積もった砂を払うことでグリップ力が増すのだ。
鈴鹿サーキットに東風が吹けば、路面コンディションの変動は激しくなる。メインストレートやバックストレートは向かい風になり、最高速度が低下するのに比例して、路面コンディションの変化幅が大きくなる。それを考慮してセッティングを進める。あるいは戦略担当がレース展開を予測し、作戦を組み立てる必要に迫られるのだ。

かつてオランダのGTレースに挑戦していた頃、海風が運ぶ砂に翻弄されたことがある。
サーキット・パーク・ザントフォールトはオランダの有名なサーキットであり、かつてはF1オランダGPが開催されたほどの名門だが、コースは北海に面しており、ビーチまでは徒歩でも数分の距離である。海風は日々強風となって吹いており、コース上には絶えず砂が舞っている。しかも、もともとが砂丘だった場所をコースにしているから、コースエリアは玉砂利ではなく粒子の細かいパウダーサンドである。これはもう、砂は避けられない環境なのである。
ハイスピードの最終コーナーから駆け上がってきたマシンを待ち受けるのは、右に傾斜しながらも洗濯板のように路面が荒れている1コーナーである。そんな難所に砂が堆積しているのだから、もはや、まともに走行することすら困難なのだ。そんな過激なサーキットで鍛え上げられる欧州のドライバーが、高度なコントロール技術を備えているのもむべなるかなと、納得したことがある。
チームのエンジニアも有能で、走行とともに変化する路面への対応能力に長けていた。走行が繰り返されるに従って変化する路面を計算に入れながらデータを補正し、的確なセッティングを導き出していくのだ。ドライバーだけでなく、セッティングを担当するエンジニアの洞察力の高さに舌を巻いた。

「ピックアップという難敵」

最近、ピックアップがレースを翻弄することが多い。ピックアップとは、コース上に転がっている夥しい数のゴムのかけらが自らのタイヤに付着してしまい、タイヤのグリップを極端に悪化させる現象のことだ。ゴムの破片を拾うのではなく、自らのゴムがトレッド面に付着したまま、塊となって離れない場合もある。
ピックアップに見舞われると事態は最悪である。ラップタイムにして2秒〜5秒ほどタイムが悪化することも少なくない。タイヤは激しく振動する。耳の穴が痒くなるほどである。
その傾向が顕著だから、サーキット走行ではデブリに神経を注ぐ。タイヤのゴム片を避けながら走行しているのだ。安全を確認した上で、蛇行することがある。そしてレースを混沌の坩堝に落としてしまうのである。
前日のコース清掃で、早朝の路面は整っている。タイヤ片もデブリもない。だから爽快なサーキットアタックが可能だ。だがタイヤ片がコースを埋め尽くす頃になると…。レースは混乱するのである。
サーキット走行は、タイヤグリップとの戦いと言えなくもない。限られたパワーを確実に路面に伝えること、それがドライビングのすべてだと言い切ってもいい。となれば、とどのつまり、路面とタイヤの相性ですべてが決まる。その路面が常に変化しているのだから、レースとは面白いものだ。 路面は常に生きているのだ。

Photo by Hiroyuki Orihara、 Wataru Tamura

キノシタの近況

スーパー耐久の最終戦は、年を越えた1月。年末年始のご挨拶を終えてからまた2020年シーズンは開催されるのだ。世の中の季節感が薄れている昨今、年始という節目さえも曖昧になりそうである。ということで、2020年の「木下隆之クルマ・スキ・トモニ」はこれで最後。来年早々から、ますますパワーアップしてお届けします。ひとまず、今年もお付き合いいただいた感謝を伝えます。そして、良いお年をお迎えください。